草むしりしながら

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まだ子ども

2024-01-16 15:53:38 | 草むしりの幼年時代

まだ子ども

 昨日はほんとに寒かったですね。日中は天気が良くて家の中は暖かかったのですが、外は風も吹いていて寒かったです。午前中に近くの公園に遠回りして行き、ウォーキングコースを4周しました。前日は3週だったので、少しだけ増やしました。

 午前中の公園には元気に遊ぶ子供の姿はなく、閑散としていました。落ち葉の溜まったあたりには、鳩の群れがしきりに落ち葉を脚でかいていました。きっと食べ物を捜しているのでしょうね。

 鳩の群れに近くにには数羽の雀もいて、同じように落ち葉をかいていました。ただ縄張りがあるのでしょうか、鳩とは一定の距離を取っていました。鳩の方も決して雀を攻撃したりはしません。

 双方のリーダーが賢いのでしょうか、それとも同じところで同じ餌を獲る異種の者同士、相手のテリトリーを侵さないような気づかいが自然に備わっているのでしょうか。人間も見習わなければなりませんね。

 雀の群れを見ていたら、不意に父親との思い出が浮かんできました。

 あれは今日みたいに北風の吹く寒い日でした。学校から帰ると、父がいたのを思い出しました。その頃まだ父の仕事先には夜勤があり、たぶんその日は夜勤明けだったのでしょう。

 とても寒い日で、雪もちらちら舞っていました。当時家には内所(ないしょ)と呼ばれる炊事場があり、竈で煮炊きをしていました。竈の後ろには囲炉裏がありましたが、このころにはもう使っていなかった気がします。

 普段は学校から帰ると勝手口から入るにですが、その日は内所から入っていきました。いつも家にいない父がいたからでしょう。  

「寒かっただろう」と父はいい、温かなお湯を飲ませてくれました。たぶん砂糖をお湯で溶いたものだと思います。当時はジュースなども無かったので、よく砂糖をお湯に入れて飲ませてもらっていました。

 父はその時たぶん囲炉裏にあたっていたのでしょうね。家の中がとても暖かかった記憶があります。砂糖湯を飲んでいると、父が見てごらんと牛小屋の餌箱を指さしました。当時は草と藁を小さく切って、それに糠をまぶしたものが牛の餌でした。たぶん餌箱の中の糠を雀が食べにきたのでしょう。

 たくさん雀がいた気がします。そして餌箱から少し離れた地面には丸い竹籠が細い棒に立てかけられていました。かごの下には米がまかれ、籠を支える棒の下の方は糸が結ばれていました。

「つかまえてやるからな」

 糸を結びつけた棒を握って父が私に言いました。ごくりと息をのみ私は静かに頷きました。

 なんて馬鹿な親子でしょう。後にこのやり方ではでは絶対に鳥は捕まらないと、聞いた覚えがあります。いい歳をして父はなんて子どもじみていたのだろうと、思い出すとおかしくなってきました。

 ただ考えてみれば当時父はまだ三十そこそだったはずです。三十なんて今の私から見れば、子どもも同然です。その時父はまだ、半分子どもだったかもしれませんね。

 結局雀は捕れたませんでしたが、あの時の雀は今の雀よりも大きかった気がします。



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