草むしり作「わらじ猫」後8
大奥のお局様(煤かぶり1)
昨年も一昨年も宴の晩に鈴虫を庭に放すだけだったが、今年は虫籠に入れ庭の方々に置くことになった。列席した諸藩の大名や、旗本の手土産として与える趣向だと聞いた。おかげで今年は鈴虫だけではなく虫籠の注文もあった。名のある竹細工師の作ったご紋の入った虫籠百個が、鈴乃屋に届いたばかりだった。
鈴乃屋の離れには、鈴虫専用に造られた部屋がある。その部屋の中には卵から孵して育てあげた鈴虫が、観月の宴を今やおそしと待ちかねていた。今年は胡瓜や茄子などの餌のほかに猫の餌を細かくして与えたせいだろうか。毎年二~三割りがたは共食いで数が少なくなっていたのに、それも無い。おまけに体も大きく羽音も心なしか澄んでいるようだ。
虫籠に入れた鈴虫を庭の方々に置くための準備だろう。庭木の植え込みや灯篭の影からチリンチリンと鈴の音が聞こえる。庭の中央では難しい顔をした中年寄りの蔦山さまが、鈴の音に耳を傾けていた。少しでも鈴虫の音色がよく聞こえるようにと、虫籠の置き場を探しているようだ。何度も係りの女中に鈴を鳴らさせ、一つ一つ場所の確認していた。
「これは、これは、鈴乃屋殿。ちょうど良いところに参られた。近こう寄られよ」
蔦山さまは鈴乃屋を呼びつけると、なにやら熱心に話し込み始めた。秋月のお局さまの片腕といわれる蔦山さまが、じきじきに宴の総指揮をなさるとは。秋月のお局さまの観月の宴への意気込みがひしひしと感じられた。
あれこれ蔦山さまと鈴乃屋は意見を交わしながら、虫籠の置気場所を決めていった。中には松の木の枝先や池の中の築山の上などもあり、途中から太助が女中に変わって鈴を鳴らしていた。
最後の場所は庭の梅の古木の根元だった。朽ちて中が洞になった幹の中に置くことになった。女中の鳴らす鈴の音を少しはなれた部屋の前で、蔦山さまは満足げに聞いていた。
「おや・・・・・・」
満足げな笑顔がまだ残ったままの顔で蔦山さまは、池の向かい側に目をやると慌ててその場に座る込み頭を深く下げた。お供の女中たちも慌てて地面に座り込み、頭を深く下げた。鈴乃屋も何のことだか分からないという顔つきの太助を急かせて、地面に座り込み、頭を深く下げた。
「若様がまた仔猫を見たいと、お局さまにせがんだのでございましょう」
蔦山さまの話によれば、湯殿の薪小屋の中で猫が子どもを産み、若君とお局さまはその仔猫を見に毎日のように薪小屋に行かれるとの事だった。
薪小屋の猫などよりももっと可愛らしい猫や犬が大奥にはたくさんいるのに、若君がことのほかその猫がお気に入りだとか。ならばいっそ生まれた仔猫ともども若君のお部屋近くに置いて、女中に世話をさせようとしたのだが、母猫のほうが仔猫を咥えてすぐに薪小屋に戻ってしまうのだという。
「その母猫というのが実に鼠を捕るのが上手であって・・・・・・」
蔦山さまが言い終わらないうちに、薪小屋の向こうから黒い煙のようなものが上がった。
「なにごとじゃ。あれは湯殿じゃ」
慌てて駆けだした蔦山まさの後を追って、女中たちにが駆け出し。女中たちに混じって、鈴乃屋や太助までもが駆け出していった。