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草むしりしながら

読書・料理・野菜つくりなど日々の想いをしたためます

草むしり作「ヨモちゃんと僕」前9

2019-07-26 15:16:30 | 草むしり作「ヨモちゃんと僕」
草むしり作「ヨモちゃんと僕」前9
(秋)尻尾フサフサ君⑥
 
 居間の窓際には座布団がありました。僕はさっそく座布団に座ってみました。座布団はヨモちゃんの匂いがいっぱいしていました。トントンと階段を下りて来る足音が聞こえてきました。ヨモちゃんが二階から降りてきたようです。僕は目をつぶって寝たふりをしました。

「ああー、食べられちゃった。後で食べようと思っていたのに」
 ヨモちゃんは聞こえよがしに独り言を言いながら、居間の方にやってきました。僕は怒られるのではないかとビクビクしながら、そのまま狸寝入りをしていました。ヨモちゃんは寝ているぼくをチラッとみると、何も言わずに二階に上がっていきました。

 トントンと階段を上がるヨモちゃんの足音が、心なしか怒っているように聞こえました。

「ヨモちゃんの座布団、もらうよ」
 僕はヨモちゃんを怒らしてしまったことを、少しも悪いとは思いませんでした。むしろヨモちゃんの座布団を取ったことが、嬉しくてならなかったのです。
「ヨモちゃんは、ぼくが何をしても怒らないンだ」
 僕はそのまま座布団のうえで、本格的に昼寝をはじめました。
 
 車のエンジンの音で目が覚めました。お父さんとお母さんが帰って来たようです。軽トラックの荷台には荷物がいっぱい積まれていました。いつの間にかお日さま姿を隠してしまい、薄暗くなった部屋の中は急に冷え込んできました。

 ヨモちゃんの姿が見えます。二階にいるものだと思っていたら、いつの間か外に出ていました。車から降りて来たお父さんに向かって、背中を地面につけてクネクネと体を動かしています。お父さんは嬉しそうにヨモちゃんに話かけています。

 お母さんが荷台に積まれた、コンテナと呼ばれるプラスチックの丈夫な箱を持ち上げています。どのコンテナにも、収穫したみかんがぎっしりと入っています。お母さんはコンテナを持ち上げて、下にいるお父さんに渡しています。みかんの入ったコンテナはとても重いのか、お母さんは口をギュウっと横に結んでいます。

 お父さんは受け取ったコンテナを台車に積んでいます。収穫したばかりのみかんはしばらく倉庫で貯蔵しておき、年が明けたら出荷するのです。お父さんが台車を押して倉庫の中に入っていきました。ヨモちゃんは尻尾をピンと立てて嬉しそうに、お父さんの後についていきました。本当は僕も外に出て行きたかったのですが、自動車のエンジンの音や荷物を積んだ台車のきしむ音が怖くて、どうしても外に出て行けませんでした。

 荷台のみかんを下ろし終えたお母さんが、家の中に入ってきました。お母さんの後からヨモちゃんが顔を覗かせています。お父さんは忙しげにトラックをバックさせて、またみかん山に戻っていきました。積み残しのみかんを取りに行ったのです。お父さんはこの後、家とみかん山を三往復しました。

「あれ、いない」
 お母さんは納戸部屋を覗いて言いました。家に帰るといつも納戸部屋を一番先に見にきます。
「お母さん、ヨモちゃんにもらったの」
 納戸部屋にいるはずの僕が、居間にいたので驚いています。
「まあ、どうやって出て来たの」
 ヨモちゃんの座布団の上にいる僕を見て、お母さんはちょっと困った顔をしています。
「嫌い」
 やっぱりヨモちゃんは僕を見ると、怒って外に出て行きました。

「ここはね、ヨモギのお気に入りの場所だからね。ダメだよ、あっちの部屋に行こうね」
 お母さんは僕を納戸部屋に連れていきました。
「ほら、しばらくここでいい子にしていないと」
 そういって僕の頭を撫でると、空っぽのお皿にカリカリを入れてくれました。お母さんの手は青いみかんの匂いがしていました。

 納戸部屋の板戸の向こうから、かつお節しだしのいい匂いがしてきました。ぼくは思わす鼻を、ヒクヒクとさせてしまいました。

 せっかちな秋の夕日が沈んで、あたりがすっかり暗くなったころ、部屋の板戸を押し開ける音がしました。僕は途端に部屋の隅に隠れました。僕はちょっと臆病なところがあり、人の気配がするとすぐに物陰に隠れてしまうのです。

「あれ、いない、どこ行った」
「あっ、お父さんだ。遊んで」
 大喜びで僕はお父さんの足元に走って行きました。
「ビビリ虫だなぁ、フサオは」
 お父さんは僕のことをビビリ虫って言います。
「でも一人ぼっちは寂しいよな」
 お父さんは納戸の入り口の板戸を外すと、代わりに網戸をはめ込みました。網戸は少しだけ板戸よりも小さくてすぐに外れてしまうので、下に重石を置いて外れないようにしています。
 
 おかげで今まで見えなかった台所が、見えるようになりました。ヨモちゃんと僕を少しずつ慣れさせるためだと言っていました。ヨモちゃんは僕が拾われてから、ずっと二階に上がりっぱなしで、お父さんとお母さんはとても心配していました。

 「ヨモギが下に降りてきても、これなら大丈夫だろう。フサオも台所が見えるようになったから、寂しくないよなぁ」
 話をしているお父さんの顔が二重に見えます。おかしいなぁ、目がどうかしてしまったようです。僕はお父さんの話を聞きながら目をこすっていました。

「なんだいフサオ、もう眠いのか」
 お父さんは目をこすっている僕を、寝床にしている段ボールの中に入れてくれました。
「そうか、そうか。お子チャマはもうネンネなのか。寒くないかい。今夜はこのタオルにくるまって寝なさい。明日暖かい毛布を買ってきてやるからな。かわいそうになぁ、寒いよなぁ」

 次の日お父さんは約束通りに、毛布を買ってきてくれました。ついでに屋根のついたハウスも買ってくれました。どちらもヨモちゃんとお揃いなのですが、ヨモちゃんはきれいなピンクの毛布と白いハウスで、ぼくは両方とも渋い茶色でした。

草むしり作「ヨモちゃんと僕」前8

2019-07-26 14:17:26 | 草むしり作「ヨモちゃんと僕」
草むしり作「ヨモちゃんと僕」前8

(秋)尻尾フサフサ君⑤

「あれ、開いている」
 納戸の板戸が開いたままになっていました。僕は恐る恐る部屋の外に出てみました。

 僕のいる納戸部屋の隣は台所のようです。部屋の隅には長四角の大きな箱が置いてあり、ときおりブーンという低い機械音がしていました。テーブルや椅子の下を通って前に進んでいくと、黄色いトレーが置いてありました。

「食べないンだったら、僕がもらうよ。」
 トレーの中には、食べかけのカリカリの入ったお皿がありました。トレーの中はカリカリの美味しそうな匂いと、ヨモちゃんの匂いでいっぱいでした。

 食べ残しのカリカリは少し湿気ていましたが、とてもおいしかったです。カリカリは少し湿気ていた方がおいしいと、僕はその時思いました。

「ごちそうさま。また食べ残したらちょうだい」
 誰もいないのは分かっていたのですが、お礼は言っておきました。お腹がいっぱいになったぼくは気が大きくなって、あちこち歩き回りました。台所と居間はひと続きになっていて、居間のドアも開いています。ヨモちゃんが開けたのでしょうか。

 ドアの向うは玄関になっていました。玄関の奥には階段があり、居間のドアを挟んだ向かい側には廊下がありました。廊下の横には部屋があるようで、白い紙が張られた障子が立てられています。

 ここの障子はきちんと閉められているのですが、一枚だけおかしな紙の貼り方をしているところがあります。障子の一番下の隅っこだけ、貼ってある紙が縦に細く切られています。細く切られた紙の下の部分は、糊付けされておらずピラピラしていました。障子のピラピラが「ここからお入いり」って言っているようです。

「やっぱり。ヨモちゃん、見つけた」
 僕はピラピラの障子紙をくぐって、部屋の中に入って行きました。部屋の中は畳が敷かれて、壁際には黒い大きな木の箱が置かれていました。やけに上等の木で作られたその箱は、手前に観音開きの扉が付いていました。  

 扉は大きく開かれていました。そして箱の前には、小さな木製の机のようなものが置いてありました。その机のようなものの上には灰の入った鉢が置かれ、両隣には白い棒のようなものが立っています。そして何だかとっても不思議な香りのする細い棒の入った箱もありました。

 これは後でわかったのですが、灰の入った鉢は線香立て、白い棒はろうそく、不思議な香りのする細い棒は線香という物でした。その他にも棒でたたくとチーンと音のする鈴や、ポクポクと音のする木魚もあります。

 大きな箱はお仏壇と呼ばれていて、ご先祖様の御位牌を奉ってあります。お仏壇には花が活けられ、お菓子や果物がお供えされています。そしてお位牌の手前にはコップに入った水と、湯飲みに注がれたお茶、小さなお皿に盛られたご飯も供えられていました。

 ヨモちゃんはお仏壇に上がって、コップの水を飲んでいました。
「嫌い」
 僕が近づいていくとヨモちゃんは、お位牌の前に置かれたいろいろなものを器用によけて、下に降りてきました。
「お仏壇の中の物を、倒したらダメだよ」
 すれ違いざまに呟やくと、ヨモちゃんは障子のピラピラをくぐって出て行きました。静まりかえった家の中に、トントンと階段を上るヨモちゃんの足音が響き渡りました。

「上がっていいンだ」
僕はお仏壇によじのぼりました。ヨモちゃんの言われたように中の物を倒さないように気をつけていたのですが、鈴を鳴らす棒を下に落としてしまいました。
「お水飲みたかったなぁ」
 コップの中の水は底にわずかに残っているだけでした。きっとヨモちゃんが飲んでしまったのでしょう。飲まれてしまったと思うと、僕は無性に水が飲みたくなりました。  
「うん、これおいしい」
ためしに湯呑の中のお茶をなめてみました。

「好かんのう」
夢中になってお茶を飲んでいると、どこからか男の人の声が聞こえてきました。
「誰」
 驚いて顔をあげたものだから、湯飲みを倒してしまいお茶をこぼしてしまいました。
「ほれ、こぼしたろうが」
今度は女の人の声がしました。
「ごめんなさい」
今度は線香たての中に後ろ脚を突っ込んでしまい、辺りに灰を飛ばしてしまいました。誰がいるのだろうと、あたりを見回しても誰もいません。

「こら、ここじゃ。ここじゃ」
天井から声がします。ぼくは天井を見上げました。
「ごめんなさい。もうしません」
 僕は天井に張り付いている、黒い影のような人に謝りました。
「これ、これ。どこを見よるのか。そっちは、この前雨漏りしたときにできたシミだ。まあ、確かに人間の顔に見えんこともないが。こっちじゃ、こっちじゃ。もうちっと、下を見らンかい」

 言われたとおりに下をみると鴨居の上に、人間の顔写真がたくさん掛かっていました。額縁の中の写真の多くは男の人でした。一人だけ兵隊さんの格好をした若い男の人の他は、みんな黒い着物を着て難しい顔をしています。でも最後の二枚だけはカラーの写真で、二人とも洋服を着て笑顔で写っていました。

 写真は男の人と、女の人でした。男の人はにっこりと笑っていますが、女の人は少し照れたように笑っています。どちらかというと男の人の写真の方が少し古ぼけていて、女の人よりも幾分若いように見えました。

「ぼくを保健所に連れていくの」
ぼくは写真に聞きました。
「そんなことはせん」
「私ら、まんまんさんはそんなことはせんよ。だけど仏壇の上にあがる時には、もうちょっとお行儀よくせんと、罰(ばち)をかぶるで」
「まあ、そのうち上手になるだろうが……」
写真の人たちは自分たちのことを、まんまんさんだと言いました。

「うん分かった、まんまんさん。今度はもっと上手に飲むからね。」
 僕はまんまんさんたちに謝ると、障子のピラピラをくぐって廊下に出ました。
「まぁ、あん猫。お茶飲ンじょる」
 後ろから、女のまんまんさんの呆れたような声が聞こえて来ました。

草むしり作「ヨモちゃんと僕」前7

2019-07-26 14:01:45 | 草むしり作「ヨモちゃんと僕」
草むしり作「ヨモちゃんと僕」前7

(秋)尻尾フサフサ君④

 僕が拾われた家はお父さんとお母さんの二人暮らしでした。二人は毎日軽トラックに乗って、みかん山に出かけていきます。二人はお昼になると、荷台にいっぱいみかんを積んで帰って来ます。それから倉庫にみかんをしまい、昼ごはんの後もみかん山に行って夕方まで帰ってきません。

 昼ごはんが終わって二人が出かけていくと、家の中はまた静かになりました。僕は納戸と呼ばれる部屋で寝ていました。ヨモちゃんが僕のことを嫌がるので、しばらく別々の部屋で暮らすことになったのでした。
 
 納戸と隣の部屋は板戸で仕切られていました。板戸は重くて僕は自分では開けることができませんでした。誰もいなくて寂しいけれど部屋の中は暖かで、おいしいご飯やお水もあります。好きな時に好きなだけご飯が食べられて、僕はとても幸せだと思いました。

「でもやっぱり、お父さんとお母さんがいないとつまらないなぁ。早く帰ってこないかな」
 窓辺の陽だまりの中で二人を待っていた僕は、いつの間にか眠ってしまいました。ふと気がつくと、誰かがぼくの顔を覗きこんでいます。
「あなたは誰」
 目を開けようとするのですが、窓から差し込こむお日さまの光がまぶしくて、どうしても目を開けることができません。
「誰」
 僕は前脚をそっと伸ばしました。するとフワフワとした頬に少しだけ触ることが出来ました。

「あなたは誰」
自分の声で目が覚めました。あの柔らかな頬は、どこかで触ったことがあるような気がしました。優しくて、暖かくって、柔らかで、もう一度あの頬を触ったらきっと思い出すことができるかもしれません。お日さまの光の中で見えた姿を、もう思い出すことができません。でも微かに触った頬の柔らかな感触だけは、まだ覚えています。

「お願い、もう一度来て」
 もう一度触れば誰だか思い出すことができるかもしれない。

「………」
その時板戸がガタガタと揺れる音がしました。少しだけ板戸が開くと、その隙間から白い手が差しこまれました。
「戻ってきてくれたの」
白い手がぐんぐん入ってきて、板戸を押し開けています。

「なんだ、ヨモちゃんか」
ヨモちゃんは無理やり板戸の隙間に頭を差し込みました。頭が入ってしまえば後は簡単です。そのまま体を押し込んで板戸を押し開けました。ヨモちゃんは部屋に入ると僕の所にやって来ました。それは夢の続きのようでした。
「あなたは誰」
 ヨモちゃんは僕に鼻を近づけて、クンクンと匂を嗅いでいます。僕は思わずヨモちゃんの頬に手を伸ばしました。
「嫌い」
 もう少しで触ることができたのに。ヨモちゃんは僕の手をするりとかわして、部屋から出て行ってしまいました。

「忘れてしまう」
 柔らかかった頬の感触を、僕は忘れてしまいそうでした。もう一度触れば誰なのか思い出せるのに。僕は悲しくなって、ヨモちゃんが出て行った方を見ていました。

草むしり作「ヨモちゃんと僕」前6

2019-07-26 13:15:36 | 草むしり作「ヨモちゃんと僕」
草むしり作「ヨモちゃんと僕」前6

(秋)尻尾フサフサ君③

「このカリカリしたのも美味しいね。」
 次の朝、あの人が缶詰とは違ったものを出してくれました。柔らかな缶詰に比べ、これはカリカリとした歯ごたえのあるものでした。僕はこのカリカリも大好きになりました。
「お前、小っちゃいなぁ」
 お腹がいっぱいなって、ウトウトしているぼくを見て、大きな人が言いました。
「また缶詰くれるの」
「なんだよ、抱っこしてほしいのかい」
 大きな人は僕を抱いて手の平に乗せると、空いている方の手で頭を撫でてくれました。その人の手は大きくてごつごつしていましたがとても暖かくて、僕の喉はゴロゴロと鳴り出しました。

「尻尾の毛がフサフサだね」
 大きな人は僕の尻尾の毛が、とても長いことに気がつきました。
「そうなのよ、拾った時には気がつかなかったンだけど。ほんとフサフサだわ。それにね、この子の尻尾の先って曲がっているのよ」
 あの人がぼくの尻尾の先を触って言いました。
「あっ、本当だ。いいのか。骨が折れているンじゃないのか」
 恐る恐る尻尾の先を触ってみた大きな人は、僕の尻尾の先がクリンと曲がっているのに驚いています。そうなのです。僕の尻尾の先は釣り針の先みたいに、クルリと内側に曲がっているのです。
「こういう猫ってね、尻尾の先の曲がったところに幸運を引っかけてくるンだって」
「フーン、幸運を引っかけてくるのか」
大きな人はぼくの尻尾の先を、まだ触っています。
「缶詰ちょうだい」
「うーん。今度宝くじでも買いに行くかな」
ぼくの尻尾をしばらく触っていた大きな人が、ポツリと呟きました。
「それにしてもフサフサだ。尻尾フサフサのフサオ君か」

 雨の中道に倒れていた僕を助けてくれたのは、あの人でした。あの人はお母さんと呼ばれています。僕に缶詰を食べさせてくれた大きな人は、お父さんと呼ばれています。そして僕のことを「嫌い」って言ったあの子は、ヨモギという名前の猫でした。

 お母さんが神様によもぎ餅をお供えして、「どうか倉庫のネズミを退治して下さい」とお願いしました。すると翌日、玄関から子猫が家に入って来ました。お父さんとお母さんはその子にヨモギと言う名前をつけて大事に育てました。

「ヨモギは神様らの授かりものだよ」って、お父さんは言うのだけど。本当かな…。
それから僕はフサオと呼ばれて、この家で暮らすようになりました。

草むしり作「ヨモちゃんと僕」前5

2019-07-25 16:37:58 | 草むしり作「ヨモちゃんと僕」
草むしり作「ヨモちゃんと僕」前5

(秋)尻尾フサフサ君⓶

 目が覚めると僕は段ボール箱の中にいて、タオルにくるまれたポカポカしているものにぴったりとくっ付いていました。このタオルにくるまれた物は、暖かくてとても気持ちがいいのですが、どうも固くて、今ひとつしっくりしません。でも暖かいから好きになりました。

「まあ、気が付いたのね」
誰かが、僕の顔覗きこんでいます。
「人間だ。つかまったら保健所に連れて行かれる」
 でも起き上ることができません。そのまま僕はその人を見上げていました。
「お母さん、それ何」
 可愛い声がして、誰かが僕の匂いをクンクンと嗅ぎ始めました。
「嫌い」
 誰かはそう叫んで、どこかに行ってしまいました。
「あらあら、困ったわ。ヨモギが怒っちゃった。どうしましょう」
 それがぼくとヨモちゃんの出会いでした。

「怖かったわね。もう大丈夫よ」
 お母さんと言われた人は、指の先でぼくの鼻の頭をツンツンと軽く触りました。その人の指の先は少しザラザラしていました。するとぼくの喉はひとりでに、ゴロゴロと鳴り始めました。
「ぼくを保健所に連れて行くの」
「あら、意外とどら声ね」
 ぼくの声を聞いたその人は、ちょっと驚いたように言いました。

「お父さん、変な子がいるよ」
 あの子がまたやってきました。ぼくの匂いをクンクンと嗅いでいるあの子の上から、体の大きな人が顔を覗かせています。
「嫌い」
 あの子はまた怒って、どこかに行ってしまいました。

「ああ、お父さん。生き返ったわ、この子」
「うーん、生き返ったか……。あっちの子は裏山に葬ってやったよ。かわいそうに母親でも探していて、道路に飛び出したンだろうな。白と黒の毛並みがね、ちょっとヨモギに似ていてね、切なかったよ」
 大きな人は大きな手で、ぼくの頭を優しくなでてくれました。
「しかし、運の強い子だよ。どうせなら一緒の方がいいだろと思って、隣にこの子の分も墓穴を掘っておいたのに」
「本当ね。いつ息が止まってもおかしくなかったわ」
 ぼくが眠っている間、この人は何度もぼくのようすを見に来たようでした。

「おい、缶詰食うか」
 大きな人は手にキラキラ光るものを持っていました。
「ご馳走だぞ」
 手に持っていた物がパッカンと音を立てました。
「お父さん、ヨモギにも缶詰ちょうだい」
 パッカンという音がすると、あの子がどこからか走ってきました。大きな人が手に持っている物を見るあの子の瞳は、キラキラと輝いています。
「子猫用の離乳食だけどな。まあ構わないか。お母さんお皿持ってきて」

 大きな人はあの人が持ってきた二つのお皿に、缶詰という物を入れ始めました。
「何がはじまるの」僕は大きな人のやることを見ていました。あの子はまだ缶詰という物がお皿の中に入ってしまわないうちから、もう口をつけて食べ始めていました。でも一口食べただけで、どこかに行ってしまいました。

「離乳食だからな、ヨモギにはおいしくないンだよ」
「ほらほら、ヨモギには大人用をあげようね」
 あの人があの子を追いかけていきました。隣の部屋からパッカンという音が聞こえてきました。

「ほら、うまいぞ」
 大きな人がぼくの口の中に、少しだけ缶詰という物を入れてくれました。
「なんておいしいンだろう。もっとちょうだい」
たぶんその時の僕の瞳は、あの子と同じようにキラキラ輝いたと思います。僕はもっと食べたくて、缶詰の入ったお皿に向かって這っていきました。意識が戻ったばかりで、僕はまだ立って歩くことができなかったのです。

「そうか、旨いか」
 大きな人はあの子が食べなかった分も、僕に食べさせてくれました。おかげ僕はすぐに元気になりました