日伊相互文化普及協会

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【アグリトゥリズモ・マッセリアトレモンテ】 10月11日(水)

2006-11-11 15:00:31 | Weblog
カターニアの空港から30分。マッセリア・トレモンテはエトナ山ふもとにある。
300年ほど前に建てられた屋敷で、室内はシチリア色が濃く、封建領主時代やガリヴァルディのリソルジメント(イタリア統一)が思い出される。
キッチンでは女主人のアンナと娘のシモーナが我々を歓迎するためにご馳走を作っていた。
庭ではアンナの夫のサヴェリオと、シモーナの夫、マッシモがシチリア特産のとぐろを巻いたソーセージを炭火で焼いていた。
あたり一面にオレガノの香りが立ち上っている。


我々が入っていくと嬌声をあげながら飛びついてきた。
アンナの24歳の息子のリカルドは人なつこく、早くも荏原君と意気投合。しかし荏原君は英語は分かるが、イタリア語はあまり分からない。リカルドは若者には珍しい、英語を全く解さない男の子。しかし、会話は成立している。
エドアルドがニクラに連れられてやってきた。肩にはギブス、立っている姿は固まっていた。怪我人にいうのは申し訳ないのだが、エドアルドは固まるタチなのかとも思ってしまう。天才アーティストで世紀の芸術家といわれるフランコ・バッティアートの隠れ家といわれる家を訪問したときも、門をくぐる前から帰るまでずっと固まっていた。
ちょうど今のように微動もなく。

おなかが空いていた我々はそそくさとテーブルに付く。さっさとつまみ食いをしていた人もいた。
アンナの手製の鰯の入ったタリアテッレ、カリフラワーのフリット、カポナータ、オイル漬けの乾燥トマト、ナスの重ね焼き、フレッシュ野菜、そして炭火で焼いたミックスハーブ入りのソーセージとオイル漬けのマグロ。デザートはコトニャータとカッサータ。全て手製だ。自家製のワインを飲みながら、笑い声が飛ぶ。


Emi

【人・ニクラとエドアルド】 10月11日(水)

2006-11-11 14:48:34 | Weblog
ニクラはカターニアの空港でシークレットサービスの仕事をしている。飛行機を降りるとニクラが待っていた。我々の荷物や空港に出る手続きに気を配ってくれる。
彼女の夫、イタリア政府観光局員のエドアルドもいるはずだった。
エドアルドは3週間前にホンダのバイクに乗っていて転倒し、肩の骨を折った。車の運転はできず、フォークもやっと持っているそうだ。
心配をかけまいと、事故を知らせてきたのは我々が日本を出る直前。
どうりでメールはニクラの代筆が多かった。知らずにせっせとメールを送り、さっさと返事をよこせとせっついてしまった。
エドアルドは、ニクラが家まで迎えに行って、あとでアグリのマッセリアで会うことに。
帰国日の14日、カターニアの空港にいる人たち、全員が天災にあい、大変な苦労を強いられることになるのだが、我々はこの二人のおかげで難を避けることができたのだった。
                                   Emi

【カターニア】

2006-11-11 14:45:17 | Weblog
カターニアはシチリア州に属し、遥かギリシャ時代から栄えていた。豊かな緑の中で育つオリーブ、豊穣なワイン、ふんだんに捕れる魚介。ギリシャ人はシチリアを「大いなるギリシャ」と呼んでいた。ギリシャ時代のあとはアラブの文化に長い間支配された。町にはその二つの文化が色濃く見え、食文化でも大きな影響を受けていて、本土と異質な料理も多くある。

カターニアの漁港は世界的に有名で、魚市場の活気は昔も今も変わらない。
現在の町の地下はエトナ山の噴火のたびに粉塵やマグマで埋められた過去の都市が幾層にも重なっている。難を逃れた地区もあり、そこはチッタ・アンティーカと呼ばれて600年前の町の姿を見せている。
生産物は魚介の加工品、蜜蜂製品や果実の加工品、ワイン、オリーブオイルなど。
オイルは本土のものに比べ、粘度が高く感じるという人が多い。ワインは果実味が深く、アルコールの度数が本土のものより高いものが多い。
蜜蜂製品はオルヴィエートと並んで高品質を誇っている。
シチリア名物のグラニータやカッサータはぜひ食べてみたいもの。サボテンの実もおいしい。
Emi

第14期短期イタリア留学報告 ラツィオ州 シチリア州 【陽だまりのティレニア海】 10月11日(水)

2006-11-11 14:44:27 | Weblog
オルヴィエートからローマの空港へ。夕方の便でシチリア島のカターニアへ飛ぶ。
朝はロカンダのみんなと名残を惜しみ、ゆっくりとオルヴィエートを発った。
夕方の出発まで時間があるのでローマ郊外の海岸へティレニア海を見に行く。
みんな桟橋からボーっと海を眺める。水が透き通って小さな魚が群れをなして泳いでいる。
聞くと鰯だそう。日本の鰯とは性格が違うのだろうか。

何かを食べよう、とバールへ。バールじゃ物足りない浜田さん、潤子さん、大窪さん、悠ちゃん、坂口君、園田さん、川上さん、ジャンルーカは隣のピッツェリアへ。
浜田さんは眼を輝かせてピッツァのメニューを、全然わからないけれど手に取る。
しかしピッツァは夜だけだという。落胆する浜田さん。
魚介のパスタやサラダ、焼き野菜を取ってみんなで食べる。
ここはお奨め。料理はもちろんのこと、ワインも、そしてオリーブオイルは格別だった。
名前は忘れたが、桟橋から道路を渡ってすぐ左のバールの左隣。

ジャンルーカはローマの空港に我々を降ろすと彼の住む町、ピエモンテ州のアルバに帰る。海を見ながら、食事をしながらみんなは別れを惜しんでいた。
Emi