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イタリア人は一人で食べるご飯にいいイメージを持っていないようです。
昔、今のように車が普及してない頃、遠くのブドウ畑に出かけたお父さんは、畑の脇で独りでお弁当を食べました。
今はあんまり見なくなりましたが、地元の人達がお昼を食べに家に帰って、誰もいなくなった工事現場で、出稼ぎにきた人がポツンとお弁当を食べている姿がありました。
小屋にこもる炭焼き人さんも独りでカルボナーラ(ベーコンとニンニクと粉チーズ、又はニンニクと粉チーズだけ。たまに野鳥の卵入り)なんかを作って食べてました。
今は炭焼きも近代化されて、独りでご飯を食べることはありません。
イタリア人にとっては一人で食べることは恐ろしいほどに「かわいそう」な孤食のようです。
伴侶に先立たれた人や事情のある人なんかが、集まって一緒に食事を摂れる「チルコロ」を持っている自治体はたくさんあります。
私は、試食をしてくれないか、とレストランから誘いを受けることが度々あります。
そんな時はオーナーが私と一緒にテーブルに付いたり、でなければ「お相手は○○がするからね」と、必ずオーナーの身内や友人をパートナーとして私のテーブルに付けます。
イタリア人は仕方なくお昼なんかを一人で食べなければならなくなると、レストランではなく顔なじみのバールへ行きます。
で、バールのおじさんやレジのおばさん、また見知った顔の人達といくらかの言葉を交わしてパニーニなどを頬ばってます。
都会の夜、セルフサービス「チャオ」で夜一人で食べている人をたまに見かけます。
その人が外国人でなく、地元の人らしいと、どうしたのかな? と思ってしまいます。
みんな無表情で黙々と食べてますから孤食なのでしょうか。
日本ではお母さんが「ご飯作ってあるから適当にね」などと言って自分のお稽古事やお友達とのお食事に出かけて行くことがあります。
子供は塾、夫は残業で、夕食を一人で済ます「お母さん妻」もめずらしくありません。
これらも個食ではなくって孤食の部類に入るのでしょうか。
私は孤食ではない、個食が好きな時と場合があります。
ひとつは長距離電車でお弁当を食べるとき。
窓の外の景色がお弁当の味をいっそう引き立たせます。
独りでしみじみ、お弁当と景色を交互に、またいっぺんに味わえます。
旅情と食べ物を一緒に味わうには個食をしたいです!
日本はいいですね。ほっといてくれます。
話しかけてきても、「見えないバリアー」を張れば、察して引っ込んでくれます。
イタリアの長距離電車。
自分で作ったパニーニと、お気に入りのワインを持って乗り込んだ電車。
どんどん都会を離れてく。
「あ、湖だ! あれ~、この森おもしろい、見たことのないキノコが採れたりして」
時間もお腹の空いたお昼時。夢のような私の時間がやってきた。
と、コンパートメントのドアが開き、おばさんが私の前にヨッコラショ。
おばさん:(ニコッ)どこ行くの?
私: サレルノです。(ム)
おばさん:あっ、そ。
私: ・・・・・・(これ以上話しかけないでね、と「見えないバリアー」を張る)
おばさん:(私が広げかけたパニーにを見て)そろそろお昼ね。(バッグをゴソゴソ)これねーえ、私の田舎のパンなのよ、食べてみて。(有無を言わさず私の手に握らせる)
私: (おばさんが見てるので食べる)おいしいです。(自分のが食べたいっ)
おばさん:でしょうーっ? 今朝、娘が作ったの。アンコーナに嫁いでてねえ、やっぱりマンマの味は覚えてるのねえ、んで、なんたら、かんたら、あーでもない、こーでもない・・・。
私の湖と、空想のキノコは吹き飛びました。
が、気を取り直して、自分で作ってきたパニーニをかじり始めました。
またコンパートメントのドアが開き、今度はおじいさんと孫らしき子供が入ってきました。
ガキ: ボク、窓のとこがいいっ!(遠慮のないガキはおばさんではなく私の方を指差しました)
じいさん: これこれ、お邪魔をしてはいかんぞ。(と言いながら私が動くのを待ってる)
私: (ニッコリとむかつきながら)どうぞ。
ガキ: このシニョーラ、変なパニーニ食べてる
私のパニーニにはペコリーノチーズと葉唐辛子の佃煮と焼き海苔が挟んでありました。
けっこういけるんです。
私の腐れ縁の世話焼きばあさんは、海苔の佃煮をパンに塗って食べてます。
みんなが見てるので私はパニーニを千切って3人に差し出しました。
おばさん:あら、海苔ね、昔は私、海苔をカーボン紙と思ったのよ、日本人はミステリアスねーって、ホッ、ホッ。
じいさん: 海草は身体にいいんじゃ、日本人にハゲが少ないんは海草を食べるからじゃと。
ガキ: おいしくない、ボク髪の毛いっぱいあるからいらない!
くっそーっ、ほっといてくれーっ、個食させてよーっ、と心の中で叫びましたが、あきら
めてワインとパニーニをしまい、寝ることにしました。
イタリアで、旅情の中の個食を望むのは、遠くにあるカゲロウを追うようなものです。
日伊相互文化普及協会 Emi
イタリア人は一人で食べるご飯にいいイメージを持っていないようです。
昔、今のように車が普及してない頃、遠くのブドウ畑に出かけたお父さんは、畑の脇で独りでお弁当を食べました。
今はあんまり見なくなりましたが、地元の人達がお昼を食べに家に帰って、誰もいなくなった工事現場で、出稼ぎにきた人がポツンとお弁当を食べている姿がありました。
小屋にこもる炭焼き人さんも独りでカルボナーラ(ベーコンとニンニクと粉チーズ、又はニンニクと粉チーズだけ。たまに野鳥の卵入り)なんかを作って食べてました。
今は炭焼きも近代化されて、独りでご飯を食べることはありません。
イタリア人にとっては一人で食べることは恐ろしいほどに「かわいそう」な孤食のようです。
伴侶に先立たれた人や事情のある人なんかが、集まって一緒に食事を摂れる「チルコロ」を持っている自治体はたくさんあります。
私は、試食をしてくれないか、とレストランから誘いを受けることが度々あります。
そんな時はオーナーが私と一緒にテーブルに付いたり、でなければ「お相手は○○がするからね」と、必ずオーナーの身内や友人をパートナーとして私のテーブルに付けます。
イタリア人は仕方なくお昼なんかを一人で食べなければならなくなると、レストランではなく顔なじみのバールへ行きます。
で、バールのおじさんやレジのおばさん、また見知った顔の人達といくらかの言葉を交わしてパニーニなどを頬ばってます。
都会の夜、セルフサービス「チャオ」で夜一人で食べている人をたまに見かけます。
その人が外国人でなく、地元の人らしいと、どうしたのかな? と思ってしまいます。
みんな無表情で黙々と食べてますから孤食なのでしょうか。
日本ではお母さんが「ご飯作ってあるから適当にね」などと言って自分のお稽古事やお友達とのお食事に出かけて行くことがあります。
子供は塾、夫は残業で、夕食を一人で済ます「お母さん妻」もめずらしくありません。
これらも個食ではなくって孤食の部類に入るのでしょうか。
私は孤食ではない、個食が好きな時と場合があります。
ひとつは長距離電車でお弁当を食べるとき。
窓の外の景色がお弁当の味をいっそう引き立たせます。
独りでしみじみ、お弁当と景色を交互に、またいっぺんに味わえます。
旅情と食べ物を一緒に味わうには個食をしたいです!
日本はいいですね。ほっといてくれます。
話しかけてきても、「見えないバリアー」を張れば、察して引っ込んでくれます。
イタリアの長距離電車。
自分で作ったパニーニと、お気に入りのワインを持って乗り込んだ電車。
どんどん都会を離れてく。
「あ、湖だ! あれ~、この森おもしろい、見たことのないキノコが採れたりして」
時間もお腹の空いたお昼時。夢のような私の時間がやってきた。
と、コンパートメントのドアが開き、おばさんが私の前にヨッコラショ。
おばさん:(ニコッ)どこ行くの?
私: サレルノです。(ム)
おばさん:あっ、そ。
私: ・・・・・・(これ以上話しかけないでね、と「見えないバリアー」を張る)
おばさん:(私が広げかけたパニーにを見て)そろそろお昼ね。(バッグをゴソゴソ)これねーえ、私の田舎のパンなのよ、食べてみて。(有無を言わさず私の手に握らせる)
私: (おばさんが見てるので食べる)おいしいです。(自分のが食べたいっ)
おばさん:でしょうーっ? 今朝、娘が作ったの。アンコーナに嫁いでてねえ、やっぱりマンマの味は覚えてるのねえ、んで、なんたら、かんたら、あーでもない、こーでもない・・・。
私の湖と、空想のキノコは吹き飛びました。
が、気を取り直して、自分で作ってきたパニーニをかじり始めました。
またコンパートメントのドアが開き、今度はおじいさんと孫らしき子供が入ってきました。
ガキ: ボク、窓のとこがいいっ!(遠慮のないガキはおばさんではなく私の方を指差しました)
じいさん: これこれ、お邪魔をしてはいかんぞ。(と言いながら私が動くのを待ってる)
私: (ニッコリとむかつきながら)どうぞ。
ガキ: このシニョーラ、変なパニーニ食べてる
私のパニーニにはペコリーノチーズと葉唐辛子の佃煮と焼き海苔が挟んでありました。
けっこういけるんです。
私の腐れ縁の世話焼きばあさんは、海苔の佃煮をパンに塗って食べてます。
みんなが見てるので私はパニーニを千切って3人に差し出しました。
おばさん:あら、海苔ね、昔は私、海苔をカーボン紙と思ったのよ、日本人はミステリアスねーって、ホッ、ホッ。
じいさん: 海草は身体にいいんじゃ、日本人にハゲが少ないんは海草を食べるからじゃと。
ガキ: おいしくない、ボク髪の毛いっぱいあるからいらない!
くっそーっ、ほっといてくれーっ、個食させてよーっ、と心の中で叫びましたが、あきら
めてワインとパニーニをしまい、寝ることにしました。
イタリアで、旅情の中の個食を望むのは、遠くにあるカゲロウを追うようなものです。
日伊相互文化普及協会 Emi