日伊相互文化普及協会

日伊相互文化普及協会のブログです。

スローフード・味覚教育 イタリア

2008-03-28 15:49:00 | Weblog
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6月のルッカ商工会議所公式招待視察は定員を満たしました。
定員を超えた応募がありましたので、今後のキャンセル待ちは受け付けておりませんのでご了承ください。

10月にはオルヴィエートのスローフード祭参加を予定しています。今年もスローフード祭の翌々日のジャパンフェスタで、日本食を紹介する予定です。


プログラムが決まり次第、ブログとHPにて日時の発表をいたします。
定員は12名ですが、すでに6名の予約が入っており、現在6席があります。




さて、イタリアの子供たちの味覚体験のお話です。

半年に一度、担任の先生に引き連れられ子供たちは目いっぱいのおしゃれをして、最高級ランクのレストランで食事をします。
対象となる年齢は10歳くらいから16歳くらいまで。



食事の代金は1人2万円くらいでしょうか。
ですが、それらはレストランの経営者と子供たちが住んでいる地域の自治体が負担をします。
親には負担がかかりません。
ある北の地域ではスローフード協会も何パーセントかを出すこともあります。

そのレストランではすばらしい食材を使っていて、値の張る贅沢品も揃っています。
シェフは全国に名の知れた敏腕シェフ。
そのシェフは他の客同様、子供たちにも礼儀正しく接して、「本日の料理」の説明をします。
子供たちはここで食べたスズキの旬がいつかを絶対に忘れないでしょう。
添えられたハーブが料理と健康にどのように作用するかも。
他の客を見ながらお行儀も考えるでしょう。


学校の机の上で、ビタミンがどうだこうだと聞いているよりいいんじゃないでしょうか?

イタリアでは本物を覚えるのは早いほどいいといいます。
こういったレストランには本物の美術品も飾られています。
味覚も感性も育つのではないでしょうか。



日本では「子供のうちからこんな美味いもんをくわせたら先が大変だ」などと言う人がいます。
「どうせ子供なんだから」と適当にあしらう人もいます。




20、30代で財布とにらめっこをしながら、背伸びして高級レストランで食事をするより、子供のうちに美味しいものやドキドキするものに出会った方が、ずっと多くの事を吸収出来ると思います。


日本でスローフードという言葉が広まってから、子供の食育などに力を入れる学校や団体が出てきました。
ですがそれらはビタミン講座、芋ほり体験、収穫の手伝い、etc・・・
「静かにしなさい」、「ノートをとりなさい」と先生の厳しい指導にさらされて、後日宿題のレポートを提出させられます。



これでは、どんなに意味のある事を体験したとしても、「提出課題」としか子供達は印象を持ちません。
“楽しく”ないのですから“また行きたい(学びたい)”とは思わないでしょう。



給食の話に飛びますが、日本の学校では給食の量は均一によそって、「残したらいけません」といいます。
イタリアではよそうときに「クアント(どれくらい)?」と聞きます。
残しても何もいいません。
「あっ、それ入れないで」と子供が苦手なものを言えばお皿には入れません。
「甘やかしなのよ」と言う日本人は多いでしょう。



食卓はリラックスの場です。
自分の胃の許容量を超えたものを食べるよう、また苦手なものを食べるように強要されるのは苦痛なことであって、もはや団欒ではなくなってしまいます。

胃袋にはその日のコンディションがあり、許容量もそれぞれ違います。
前夜に天麩羅をたくさん食べた子供が、学校の揚げ物を残したくなっても当たり前のこと。
休み時間にサッカーをする子供と、窓から紅葉を眺めている子供も食べる量に差があります。
でも日本では何でも均一にするのが平等だと思うのでしょう、子供たちの内面的な都合は見ないことにしているようです。


一昔前の経済的に貧しかった頃のイタリアの孤児院や刑務所は均等盛りでした。
孤児や服役者は均等盛りを全部食べてもまだお腹が減っていました。


好き嫌いについても日本の親は深刻になります。
イタリアではほとんどといっていいほど気にしません。
なぜなら大人になる頃には何でも食べるようになっているからです。
大人になっても嫌いなものはもうそれでいいのです。




子供が苦味のある野菜や酸味のある料理が好きではないというのは理にかなっています。
子供は代謝が盛んなので、大人が好むものを摂らなくてもすむようになっています。
人参やニガウリ、ピーマン、酢の物を普通に食べる子供はいいとしても、それらが大好物で、むさぼり食べるという子供は病院へ連れて行って健康検査をすることをお奨めします。

食卓はリラックスの場。
楽しく過ごしてこそ情緒が安定、感性が豊かになるのだと思います。





また話は変わりますが、日本ではスローフードという言葉を知っている人が多くなりました。
ところが本家のイタリアでは知っている人はとっても少ないんです。
スローフード協会本部のある地域は別として。

トスカーナの丘の上のホテルに泊まったとき、夕食のテーブルでホテルウーマンが食材について説明をしてくれました。
野菜は全て無農薬有機栽培、農法にも特別な工夫をしているそう。
家禽も餌は全て自然のもの、飼育も自然で薬品なども与えていない。

「さすが、スローフードをしっかりやってるんですね」と我々のメンバーの一人が言ったところ、ホテルウーマンはきょとんとしました。

「スローフードを知らないって? あなたたちが作ったんでしょ」とホテル中の人たちに聞いてみても誰一人スローフードを知りませんでした。

翌朝、そのホテルウーマンが「ズローフッド、分かったわ、あちこちの友達に電話できいたのよ」。



空港の出入国係員たちも知りませんでした。
係員が私に話しかけてきて、私の会話の中にスローフードという言葉が上りました。
「なにそれ?」と係員に聞かれ、「あなたたちが始めたスローフードよ」と私。
その係員は周りにいる係員たちにスローフードを知ってるかと聞きましたが、誰一人知りませんでした。

南へ行くと知っている人は公共関係の人でもまばらで、一般では生産者であろうとアグリトゥリズモであろうと皆無といっていいでしょう。


ちなみに、検索サイトで“Slow Food”と検索してみてください。
トップに来るのはスローフードインターナショナル。その次は日本のサイトです。
検索結果の1ページ目は日本のスローフードが非常にたくさん目に付きます。
それ以外はアメリカ、イギリス、カナダ・・・
言っちゃなんですが、スローフード、という言葉とあまり結びつかなそうな国ばかりですね。

本家(?)のイタリアはなんと、検索結果の8ページ目にやっとこさ現れました。


日伊相互文化普及協会         Emi

働くイタリア人・フーデックス幕張

2008-03-17 16:06:04 | Weblog
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幕張国際見本市フーデックス。
今年も会員の皆さんが出展をしていました。
AONケミカルの安積さんは20世紀の梨酢、中井酒造の中井さんは日本酒。両方とも二人が誇りを持っている生産品です。



大坂の株式会社メモスのカンタトーレ・ドメニコさんもイタリアのコーナーでイタリアの食材をアピールしました。




南日本酪農の工藤さんのところはチーズが専門ですが、リニューアルした飲料も紹介していました。
とても美味しくなったそうです。



さて、今年もバカでかいイタリアブースコーナー。
歩いていてバルサミコクリームが目に付いたので、足を止めました。

ブースの中ではイタリア女性2人とイタリアおじさん1人がおしゃべりに夢中、3人とも交互にチラと私を見たものの、席を立ちません。(チョットォ、お得意様になるかもしれないのよ)

「すいませーん」と声をかけたらおじさんがヨッコラショ。
あれこれ聞いてみたけど、なんか要領を得ない。
それもそのはず、おじさんは通路を挟んだブースのオリーブオイル生産者。油をここで売ってたんですね。

イタリアのブース内ではお昼になると差し入れが飛び交います。

マルケ州の、あるブース内。
小さな丸テーブルには、ラツィオ州のブースのワインと、ご近所ブースの乾燥パスタ屋が、裏でゆでて届けたショートパスタ。と、北国出身っぽい男の子が生ハムとサラミの盛り合わせを「ヘイ、おまち」。



よその国の人たちは昼ご飯どきであろうが、おやつ時であろうが「いかがですかあーっ」と叫び、通行人を呼び止めている。



ブース内を我が家のダイニング化、レストラン化しようとするイタリア人。
彼らは開き直ってるわけではないと思います。顔が傲慢ではないから。
抗えない自国の習慣と自分の本能に抗えない自分に悲しい気持ちになっているようにさえ見えます。

でも「んも~、知らんもんね」と前向きになろうとしてるように思えます。
「なんだ、こいつらは」と通行人に思われている気がしてくると、自分の味方の家族の顔が浮かんでワインをあおります。




「イタリアコーナーに来る客はね、あんたらの生産品の味見や、説明を聞きにきてんのよ、それをそっと目をそらしてさ、ワインでほっぺた赤くして、パスタをパクつくなんて、あんたたち、偉いっ、並大抵の偉さじゃないよっ、異常な偉さだよっ、いっそのことカーテンでも吊るして隠れてしまったら?もっと落ち着くよっ」と彼らに言ってあげたい。


聞くともなしに聞こえるイタリア人のおしゃべり。
「5時になったらすぐに出よう、アキバはけっこう遠いらしい」
(この人は私にアキバへの行き方を聞きました)
「日本ブースの干したイカの、墨まみれが美味かった」
(この人はさつま揚げも食べてました)
「あと、1時間半、もちょっとの辛抱さ」
(なにしに来たんじゃい)


いろんなオイルを作っているブースでオイルを見てたら椅子を勧められました。
話はオイルからどんどん逸れていきました。
彼らの田舎のすばらしいアグリトゥリズモ、おもしろい祭り、私の持ってるカメラの許容量と値段、同じようなタイプのイタリアでの売値。


出展時間は普段は夕方の5時終了、最終日は4時30までとなってます。
最終日、イタリアのコーナーには3時30分頃から「無音の蛍の光」が流れます。
4時頃にはビーッ、ビーッとガムテープを切ったり貼ったりの音がにぎやかになります。梱包を急いでるんですね。



4時30分ギリギリまで「いかがですかああーっ」「お試しくさださあああーいいいーっ」と声を張り上げる日本人の労働姿勢は彼らの勤労意欲を刺激しません。
彼らの心はすでに故郷の駅や、家路に咲く花、我が家のリビングにあるんでしょう。
目はアキバで買ったお土産に喜ぶ家族の姿を見ています。(だからうっかり自分と他人のダンボールを取り違えたり、カッターで手を切ったりするのです)

熱心に交渉ごとに励むイタリア人もいないことはありません。
彼らは商売人としてのバイブレーションをふるわせ、「できる」という雰囲気を漂わせています。顔には自信が見て取れます。

私は、お客をホッポリ出しておしゃべりに励み、狭いブース内で「食べる時間」の確保に頭を悩ませ、終了時間になるとブースから逃げるように帰っていくイタリア人の方が好きです。



日伊相互文化普及協会           Emi

イチゴと地球温暖化

2008-03-07 15:41:33 | Weblog
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ミラノの腐れ縁の世話焼きばあさんが魔女だったことは以前書きました。
この魔女は日本のスーパーに行くと「ブルーット、ジャッポネーゼッ」といいながら店内を回ります。



昔、「ブローッコリッ、ブローッコリッ」とミラノのブロッコリー売りがリヤカーを引きながら声をあげるように。
ブルットとは「ひどい」「汚い」「醜い」などの意味があります。



魔女は3月のスーパーでイチゴを見たとき、激怒しました。
私は魔女の激怒に慣れているし、なんで怒るのかも分かるので平気ですが、周りの人たちは太ったばあさんがイチゴを見て目を吊り上げている理由は分からなかったでしょう。



イチゴの旬は5月の終わりから6月です。
魔女のお姉さんは幸い魔女ではなく、ミラノの郊外で農家をやっています。この季節の畑の一角にはイチゴの甘い香りが漂っています。もちろん露地もの、それが当たり前のイタリアです。







日本では秋も冬もイチゴを出荷していますが、ハウス栽培で莫大な量の灯油を使います。

この頃地球の温暖化が騒がれていて、ある学校では生徒活動で生徒達が「灯消し隊」ということをやって、その日の日照具合を見て蛍光灯を消したりします。
一方、学校給食ではデザートには、蛍光灯を1万回消したって足りないほどの温暖化悪化の副産物であるイチゴやメロンがのぼります。
灯油の値上がりで高値になったメロンを今までよりカット数を増やして皿につけるなど、苦労をテレビで訴えてもいます。



地域に「監視おじさん」のような人が最近出てきて、家庭を回って「使っていないコンセントは抜きましょう」とお世話をしています。
そんなおじさんも家では真冬のイチゴや暖房育成をした野菜を食べてます。

私たちが季節内の旬を外してまで「食べるという事」に無頓着なのは混沌とした日常で慣らされた麻痺なように思えるのですが。



けっしてイタリア人が環境保護者たちというわけではありませんが、「スタジオナータ(季節もの)」を好み、「フォーリ スタジォーネ(季節外れ)」を避けるイタリア人のスタイルは地球の環境を守る基本のような気がします。




日伊相互文化普及協会         Emi.

P.S.
友人がイチゴ生産をしているとう、当協会の会員の小松さんから聞きました。
小松さんの友人は、このままイチゴの生産をしていると目がつぶれるとお医者さんにいわれたそうです。
ハウス栽培のイチゴは病虫害にやられやすいので大量の農薬を使うそうです。
よその国ばかりを非難できないなあ、と思いました。