日伊相互文化普及協会

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珍トマトさんたちの紹介と、本当のトマトの旬(?)のこと

2007-07-30 18:00:11 | Weblog
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7月21日に行われた懇親会の時に、IGSの鈴木さんと藤井さんが珍しいトマトを持ってこられて皆さんに紹介したことを書きました。

そのトマトたちを私個人にも届けていただいたので、生い立ちなんかを書いてみたいと思います。







ルビーのように輝く、小さな小さなミニトマト。
これはマイクロトマトといいます。
生まれは愛知県。人為的に作ったものではありません。
桃太郎トマトを育てていたら、偶然ちっちゃな実がなっていて、その種を集めて試作したところ、愛らしさと濃縮された味が人気を呼んで、今では市場に乗るようになりました。



グリーンゼブラ。
硬い緑のトマトです。
これはスライスしてサラダなどに混ぜると彩がステキになるそうです。
懇親会会場となったレストラン、イザベラ・ディ・フェッラーラのオーナーシェフの谷本さんはこれを冷製スパゲッティのソースにするそうです。
私はまだそのスパゲッティを食べたことがありませんが。
手元には4個あります。どうやって料理をしようかな。



アメーラトマト。
これはフルーツトマトで静岡県生まれです。
静岡県の方言で、「~ら~」という言い方があります。「しょっぱいら~」とか「天気がいいら~」などです。
このトマトを食べて「あめーら~(甘いなあ)」と言ったそうで、ネーミングは「アメーラトマト」になりました。



そしておなじみのイタリアントマト。
種はイタリアから取り寄せ、日本で育てたもの。
ゼリー状が少なく果肉が多いので、シチューやソース作りなど加熱用に最適です。



これらのトマトはIGSグリーンサービスから買うことができます。
藤井さんは珍しい野菜や果物に詳しいのでいろいろと聞いてみるのもいいと思います。





ところでイタリアではトマトは2月が旬という人達が多くいます。
トマトの故郷ペルーは標高3000メートル以上の土地が多く、雨はめったに降りません。
昼間は陽が射しますが、長袖のセーターを着ます。夜はもっと冷え込み、厚手の上着で身体を保護します。
昼も夜も寒い、雨もめったに降らない痩せた土地でトマトたちは人生を過ごします。




ペルーから世界に散って行ったトマトたち。
行った先々はまちまちですが、太陽がいっぱいの温暖地中海では、トマトも生育が早くなって量産ができます。

けれども、極力水をやらずに育てた、真冬のトマトの方が夏のトマトより果肉がしっかりしていて味が濃く、甘みも多いといいます。
IGSの藤井さんも、北海道で育った真冬のフルーツトマトはどこより、いつより、一番甘みがあると言ってました。



日本では春から夏にかけてトマト作りが盛んになります。
日本のトマトは弱いようで、農薬を使わないと病気になるそうです。私は農薬をやるから弱くなるのではと思うのですが。
量を生産するために化学肥料もたくさん使います。
それも重なってなのか、トマトの性質はもっと弱くなるようで、日本のトマトは翌年に実生で芽が出てきません。専門家がポットに芽を巻き、苗を育てます。

ペルーの気候が頭にあった私は、真夏のトマトにちょっと(?)がありました。
私は10年間野菜を育てていたことがあって、自己流でほったらかしのトマトを育てたことがあります。


最初の種はイタリアから持って帰りました。
パラパラと地面に撒いて間引き。大きくなったらつっかえ棒をしました。
トマトはまだ日本の気候に慣れていないと思ったので、最初の年の真夏は、普通の日本の農家のように水をやりました。秋に入ると木を抜きました。抜く必要はなかったかも。



翌年の初夏、自然に落ちた種から芽が出ていました。木になると水は極力やらないようにしました。
木は秋に入っても抜かずに、冬に持ち越すことにしましたが花は咲き続け実も付け続けました。
日本では夏野菜といわれるトマトに水をやらないなんて、拷問のようですがトマトは大気から水分を摂取するようになります。自立です。



年を追うごとに、木はどんどん太くなっていきました。幹には棘のようなものがビッシリと付き、葉や実には産毛が生えます。
真冬のトマトは実ががっしりしていて、かじるとカリカリと音がして、甘くてまるでリンゴを食べるようです。味はトマトですが。

「トマトは2月が旬」という人達の言葉を実感しました。
台風で農作業小屋が吹き飛ばされてから、野菜作りはやめてしまいましたが、またいつか再開して、真冬のトマトを食べたいと思ってます。



日伊相互文化普及協会         Emi

夏の懇親会、充実でした。

2007-07-23 16:24:00 | Weblog
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北海道から参加された野崎さん、大阪からの井上さん、宮城の佐々木さん、静岡の森さん、遠方からの参加をありがとうございました。



今回の夏のネットワーク懇親会の参加者は、今回も定員を上回ってしまいました。
やむを得ずお断りをせざるを得なかった皆さん、次回の懇親会の日程が決まりましたら早めにお知らせいたしますので、早めのお申し込みをお奨めします。
参加受付は申し込み順になっています。
全員が充実したコミュニケーションを図るには30名がリミットで、これ以上の参加枠を広げる予定はありません。



今回はいつもにも増して中身の濃い懇親会となりました。
乾杯の音頭は下山佳子さん。
下山さんはウンブリアですばらしい休暇を過ごして帰って来たばかり。イタリアの香りで溢れていました。覚えてきた料理は、おいおいブログで紹介するそうです。



オーガニック野菜を扱うIGSグリーンサービスの鈴木大樹さんは自社のトマト数種を持参して、みんなの前でそのトマトたちの個性を語りました。
イクラのように小さいトマトがあるのは驚きでした。
甘みが凝縮された、果物のようなトマトでした。



オーガニックスパイスの会社、ヴォークス・トレーディングの飯尾拓志さんも、オーガニックのスパイスについて、みんなに熱く語ってくれました。

食の環境に熱心な小松さんからは日本の食事情について、たくさんの問いかけがありました。結論は出ませんね、これは。次回にまた小松さんや皆さんと一緒にトーキングをしたいと思います。



今回も谷本シェフの料理は大好評でした。
新作料理が料理が6品もありました。
参加者は食の関係者や料理関係者。谷本シェフはそれを念頭に気を配ったメニューを作成してくれました。
谷本シェフの挨拶の時には、参加者の方々からたくさんの質問が谷本シェフに向けられました。
そして何度も拍手が贈られました。



お料理は18種、デザートは9種。
どれもがとても美味しかったので、全部の料理について書きたいのですが、とても大変です。いくつかを抜粋しました。



エミリア・ロマーナ地方の伝統料理となっているピアディーナは薄~く焼いたパンに、ハムやチーズ、煮た野菜、生の野菜などを好きな具を載せて食べるもの。
1280年にローマ法王の宴会で食べられ始めました。
日本の小麦粉でパンを焼く場合は、強力粉と薄力粉が半々づつに塩とオリーブオイルを加えればいいそうです。



オクラと白魚のフリット。魚はシラウオでカリッと揚って美味でした。
イタリア語でシラウオはBianchetti(ビアンケッティ)、オクラはBamia(バミア)といいます。

冷たいミラノ風アスパラのスープはよくこされていて、とてもなめらかな口当たりで、風味も活きていました。



豚肉のローストクレモナ風にはフィノッキオのキッシュが添えられていました。
ローストのソースはピスタチオがベース、高品質のバルサミコソースがかけられていました。



ドルチェは5種。
この頃にはお腹がいっぱいになっていた私はローマ風チーズケーキとカンノーリをいただきました。でも結局美味しかったので3回おかわりをしてしまいました。
イタリア人はこんな風にして太っていくのでしょう。



ジェラート4種が出てくるとすぐに男性たちがジェラートに群がりました。
彼らも明日は体重がアップしてるでしょう。




以前にも書きましたが、谷本シェフは1歳の時に両親を亡くし、寂しい子供時代を味わったといいます。
でもたくさんの人達の温かい心のおかげで成人を迎えられたとも言っています。
シェフを志してイタリアへ修行に渡ったときには、イタリアでもまた、多くの方たちの優しさに触れたそうです。

天性の才能があったのでしょう、その才能をイタリア政府から認められ、政府から栄誉賞をいただいています。
イタリアで最も古い歴史と権威を持つ「アルトゥージ司厨士協会」からも入会を薦められ、現在は「アルトゥージ司厨士協会の」日本支部の会長も務めています。



控えめな谷本シェフは自分の功績をけっして言いません。
代わって少しだけ紹介をさせていただきました。

「イタリアにも両親のない子供たちはたくさんいます。日本料理を食べて日本の文化に触れるきっかけも少ないでしょう」
と、谷本シェフは年に1度、イタリアにわたり、両親のいない子供たちに日本料理を食べていただくボランティアを行っています。
今年も8月末か9月初旬にイタリアの子供たちに会いに行くそうです。



次回の「秋の懇親会」は9月の下旬か、日伊相互文化普及協会の「イタリア研修」の終わった、10月下旬を予定しています。

皆さん、この夏は50℃近い猛暑になるか、冷夏だといわれています。
どちらにしても元気で過ごしましょうね。

日伊相互文化普及協会                 Emi.

夏の懇親会(7月21日) メニュー決定

2007-07-18 13:25:21 | Weblog
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さて、今回も谷本シェフが張り切ってくださいます。




今回はエミリアロマーナ州に1300年代に生まれ、この地方で食べられ続けているピアディーナという伝統的な食べ物がアンティパストに登場します。



ピアディーナは酵母を使わず薄~く焼き上げた、ナンのようなチャパティのようなパンとチーズやハム、新鮮な野菜を使った食べ物です。
町や家庭によって大きさや厚さ、食べ方も少し違うようです。
楽しみですね。


                メニュー
            【夏を乗り切るイタリア料理】



今年はあまり暑くありませんね。
暑さをしのぐというより、不穏な天候に打ち勝つメニューです。

●アンティパスティ 11種
 *ピアディーナ・ロマニョーラ
 *アッフェッタート・ミスト
 *小海老とアボカド、卵のサラダ
 *茄子のサレルノ風
 *グリル野菜のマリネ シチリア風
 *オクラと白身魚のフリット
 *魚介とお米のキャベツ包み
 *豆鯵のマリネ 黒胡椒風味
 *パテ・ディ・カルネ
 *野菜と肉の串揚げ


●プリミ 6種
 *冷製アスパラガスのスープ ミラノ風
 *冷製トマトのパッパ
 *燻製あなごとポルチーニのマリア・アントニエッタ風スパゲッティ
 *揚げ茄子と冷やしトマトのカッペリーニ
 *渡り蟹のリングイーネ
 *ピッツァ ???


●セコンド 1種
 *豚肉のロースト クレモナ風 バルサミコソース


●ドルチェ&ジェラート 6種+
 【ドルチェ】
 *トルタ・ディ・ミモザ
 *ビアンコ・マンジャーレ
 *ローマ風チーズケーキ
 *カンノーリ
 【ジェラート】
 *スイートコーン
 *トマト
 *ほか

皆さん、お昼ご飯は早めに軽く済ませて、お腹を空かせてきてくださいね。
メニューのレシピはそれぞれ、谷本シェフに聞いてください。

日伊相互文化普及協会    Emi

イタリア人家族と携帯電話

2007-07-11 14:24:27 | Weblog
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イタリアで携帯が活きてるなあ、と思うのは、家族の連携に役に立ってることでしょうか。
日本も同じですがやり取りの頻度はイタリアの方が多いようです。
ある、平均的なひとつの一家を追ってみました。



クラウディオは食品会社に務めていて、朝、8時に出勤します。
伝票をめくっていると携帯がなりました。妻のアンナからで、ガス入りの水が切れてるのでお昼に家に戻る時買ってきて欲しいと。

今日は午前中にかなり集中して仕事をしたので、クラウディオは少し早めに会社を出て、日課になっている息子ジョルジョをの「お迎え」に小学校へ向かいます。
フッと娘を思い出したクラウディオは、車の中から娘のアレッサンドラに電話をかけて、「おまえの水はあるのか?」と聞きます。



大学生のアレッサンドラはダンスが好きで、スポーツダンスのインストラクターもしています。
肌に気を使うアレッサンドラは亜鉛が多めに入っている水を愛飲してます。
娘は21歳息子は10歳、歳の離れた姉弟です。


クラウディオは妻のアンナの携帯にかけて「アレッサンドラがジム出たってさ、なんか疲れたなんていってたなあ」とおしゃべりします。




アンナは家から近い市役所に勤めていて、もう家に戻っていました。お米を計りながらクラウディオの相手をします。
「プリモはリゾット、セコンドは鱒の松の実ソースかけはどう?」とクラウディオに聞きます。




ガス入りの水を買って息子の小学校へ向かうクラウディオの携帯が鳴ります。息子のジョルジョからです。
「バッボ(とうちゃん)、カルロとピアッッツァ・デル・コムーネまで帰ってきちゃったからこっち来て」。やんちゃなジョルジョはおとなしく学校でお迎えを待ちません。



アレッサンドラはダイエットにも熱心で、食事に少し神経質です。
母親に似てボリュームのあるラザーニアが好きですが、この頃控えています。
しかし、先週の金曜日、朝、アレッサンドラが念を押したにも関わらず、母親はラザーニアを買って帰っていました。
不安になったアレッサンドラは母親の携帯に電話を入れます。母親は「私もダイエットを始めることにしたわ」と答えました。ラザーニアは食べれないけどよかったですね。




息子を拾って家に向かうクラウディオの携帯がまた鳴りました。
午前中にキノコ狩りに行っていたクラウディオの両親が、突如キノコ持参でクラウディオの家族の昼食に加わるというのです。
クラウディオはアンナに連絡します。「おい、メニューが変わるぞ、変えてくれ、プリモからコントルノまでキノコだ」。

家族中が大好きなキノコづくしの昼食を摂ると、クラウディオ家の今夜の食卓はきっとサラダとドルチェが少しだけでしょう。
キノコのフリットはとても重いんだそうです。
クラウディオはダイエットに全く関心がありませんが、「身体に毒だ」といってキノコのフリットを昼食に食べた日の夜はほとんど食べないこともあります。



キッチンでお湯を沸かし始めるアンナの携帯が鳴りました。
パステッチェリーアをやってる幼ななじみのマルコからです。今朝、出勤がてらマルコの店にリンゴのトルタを注文しておいたのです。
アレッサンドラがとってくることになってました。
彼女がマルコの店の前を通った時は母親と携帯で話しながら歩いていたため、アレッサンドラはマルコに声をかけられても気がつかずに素通りしました。

アンナは慌ててアレッサンドラの携帯にかけて、「戻ってトルタを取って来て、お祖父ちゃんの好きなプディーノとお祖母ちゃんの好きなチャルダを買い足して」と言います。




家に戻ってテーブルセットをしているクラウディオの携帯がまた鳴りました。
こっちに向かう両親の車が溝にはまったというのです。
溝にはまったのはこれで4回目です。

クラウディオが両親の車を溝からすくい上げてみんなで家に戻ってきた時は、2時になろうとしていました。
これから昼食を食べて、4時には職場に戻らなければなりません。
あわただしく食事をするのを嫌うイタリア人。
クラウディオとアンナはそれぞれの同僚の携帯にかけて、「職場に戻るのが遅れる」と告げました。アレッサンドラも友達の携帯にかけて、午後の自分の替わりのインストラクターを頼みました。



夕方仕事が終わって帰宅をするときもこんな調子です。
誰がどこにいるか、今夜の団欒にそれぞれが何を望んでいるか、携帯電話を通してみんなの会話が交わされます。
家族の誰かが「風邪っぽい」と家族の誰かに言えば、決めていたメニューは変わります。
夕食後に家族でビデオを見る夜は、それぞれが見たいビデオを主張しながら家路に着きます。みんなが家に着く頃には、みんなで見るビデオは決定しています。

携帯電話はイタリア人家族になくてはならないものになっています。
日本でも最近は「帰るコール」などというものがありますね。


日伊相互文化普及協会     Emi

子供の送り迎え

2007-07-08 17:04:52 | Weblog
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日本でもイタリアでも幼稚園児は親が送り迎えをしてます。
小学校に入ると日本では送り迎えがなくなります。
イタリアの小学校では低学年から高学年の全てを、両親のどちらかが送り迎えをしています。
小学校はお昼で終わります。両親が仕事をしていてもお昼には一旦家に帰るので、職場の帰りに迎えに行けます、





友人キアラの9歳と11歳の子供たちの学校は、家から歩いて5分の距離、のどかな町の郊外で交通量はほとんどありません。たまあに車が通ると、誰かなあと見るくらいです。
充分一人で帰れると思うのですが、キアラは仕事が終わると小学校へすっ飛んで行きます。



なんで小学校に入っても送り迎えをするの、とキアラに聞いたことがありました。
「昔、誘拐があったじゃない」とキアラ。
「でもミラノやローマの昔の話しだし、超お金持ちの子供や大人しか的にしてなかったじゃない」と私。
「変態がいたことあってね、見せるのよ、あれ」
「あ、それ日本でもある。じゃ、集団登下校して親が交代で面倒見るとか」
「でもねえ・・・」とキアラ。
「遊びに出かけたときは遠くにいたって一人で帰って来るじゃない」




イタリアの小学校は何台もスクールバスを持ってます。
このバスは校外授業などで使っています。
余談ですが、オルヴィエートの小学校の子供たちは、日伊相互文化普及協会主催のイヴェント「ジャパンフェスタ」を校外授業の一環で参加していて、スクールバスでやってきます。
こんなスクールバスを、登下校が心配なら使えばいいのではないか、親も楽だしと日本人の私は思ってしまいました。




キアラや他の親たちからいろいろ聞いて分かったことは、親は子供と甘い関係にいたいということでした。
イタリア人親子はベタベタです。迎えに行ったときの子供の幸せそうな顔。親はでれ~。1年も会わなかったみたいな再会ぶりです。
「1年生ならまだ分かるけど、5年生にもなって。ったく親も子も、ばかたれどもめっ」と思ったのは小学校の送り迎えの習慣がない国の、私のジェラシーなんでしょうか。






また余談ですが昔はサルディニア島に組織を持っていた「赤い旅団」というのが、お金持ちの家の子供や大人をさらって行きました。身代金は膨大で、明治乳業規模の会社が吹っ飛ぶほど。
経営者がさらわれて、身代金を払ったために消えて行った、いくつもの企業を知ってます。


写真は1978年に起きたアルド・モーロ元首相誘拐事件の時


赤い旅団は絶滅したとか、スイスで息を潜めてるんだとか聞きます。
(赤い旅団はキアラの子供をさらわないと思います。わがままなだけの貧乏ガキはかえって迷惑でしょう)




送り迎えの話に戻ります。ノンフィクションエピソードです。
私の親しい友人の一人、エリアーナは子供を産んで、けっこういい母親をやってます。
でも幼い頃は、独裁者の、悪でした。
彼女はシチリア州のパレルモで生まれ、幼い頃は年子の弟と幼稚園に通っていました。

送り迎えはお母さん。時々お手伝いさんというか、昔から家に住み着いているばあやさんが行くときもありました。
エリアーナはばあやさんが迎えに行くと「この人知らないもん」と言います。
そして「知らないもんね?」と弟を睨みます。弟は姉が怖いので「うん」と答えます。

園長先生はばあやさんを知ってますが、子供たちが知らないと言い張るので、引き渡すことができません。

ばあやさんは「嬢ちゃん、坊ちゃん、お願げえでごぜえますだ、このばあやを知ってると言ってくだせえまし」と両手を合わせ、ひれふしてエリアーナに懇願したそうです。

エリアーナは幼稚園で遊んでいたいので、「知らないもんねー」と、弟を引っ張って園庭に飛び出して行ったそうです。
困り果てた園長先生は母親に電話をして来てもらいました。
母親に叱られても繰り返すので、ばあやさんは苦労をしたそうです。



送り迎えとは話がずれますが、彼女と上野の商店街を歩いていたときのこと。
彼女は炒った天津甘栗が盛り上がっている釜に眼を止めて、ダダッと釜へ。そしてガバッと一掴み、栗を掴んで戻ってくると、「はい」と私に握らせました。
「待ってて、今度は私のね」とまた釜へ。

仰天眼をした甘栗売りのお兄さんを見て、私は栗を握ったまま、走り出しました。
「まってよーっ、どしたのよーっ」とエリアーナは私を追いかけてきました。
「惠美っ、えみっ、えーみーーーっ!」と私の名を連呼します。
「名前呼ばないでよっ、ついてこないでよっ」
私は上野の山に向かって全力疾走、エリアーナから必死で逃げました。

彼女は山盛りの天津甘栗は「自由の試食」で、袋入りが売り物と思っていたようです。
私の知らないところで何度も繰り返してたそうです。
私は彼女といて何度もひどいめにあってます。
渋谷の日伊学院の生徒さんは、あなた達の語学教師エリアーナを覚えてますか?
あなた達も驚くことがあったんじゃない?



話がどんどん逸れました。
イタリアの小学校の送り迎えを見て、「んもうっ」と最初はじれました。
でも、「甘く見守りたい」という気持ちにはグッときました。



イタリア人は子供を甘やかします。
15歳の娘が「バッボ~(とうちゃ~ん)、ローマまで車で送って~」
と父親に言えば父親は「よしよし」と仕事をやりくりして、ローマまで何十キロも車を走らせます。もう大きいんだから電車で行きなさいとは言いません。

甘やかしますが干渉はしないようです。
かなり大事な選択でも、子供の気持ちを尊重して任せています。




勉強については、宿題は守らせますが、だいたいの親が自主学習にはあまり関心がないようで、放っています。
成績がいいと、母親は「私に似たのね」と言います。父親は「ふうん」と言うだけが一般的です。
成績が悪いと、母親は「才能が発揮できてないのよ、いまにすごい芽がでるわ」とニッコリと子供を見、父親は「俺の子なんだ、こんなもんだろ、ワハハ」です。


日伊相互文化普及協会     Emi

イタリア人と携帯電話

2007-07-04 13:57:30 | Weblog
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初めてイタリア人が携帯を使ってるのを見たのは、12年前の春のペルージャ。中世の城壁前でした。
40代くらいの男が両足を踏ん張り、胸を張って、こぶしを宙に振りまわしながら、天を仰いで叫んでました。
少しはなれた所から、呆然と携帯男を眺める私の足は固まってました。

その頃、日本ではイタリアより携帯が普及、年輩層や専業主婦、子供を除くとかなりの人達が携帯を持っていました。



日本で電車内のマナーがうるさくいわれるようになった頃、イタリアの電車内では小声で話すとか、用件を言って切る、留守録にするなどということは考えられない事でした。
特にミラノ、フィレンツェ、ローマ間を走る電車、ユーロスター線の車内通話量はすざまじいもので、大半の人が携帯を耳に当ててたんじゃないでしょうか。
もともと大声のイタリア人は相手の顔が見えない電話だと更にトーンは上がります。



会話は座席を乗り越えて、車内は個人別空間が綾織り成す居間のようです。
電話を切った人は、隣が話していると負けじと、また誰かにピッ、ピッ、ピッ、ピッ。

「マンマ、アントニオったら全然私のいうこと聞かないのよ、別れようかしら、クスン・・」
(私:こんなかわいい娘を泣かせてっ!)
「また、太ったのよお、いよいよ中年太りよ、そうそっ、今度のダイエット法はねえっ・・」
(私:食べすぎよ、顔見れば分かる。もちょっと静かにしゃべってよ)
「今度こそ離さないよ、アンナ、君は世界一だよ、アモーレ・ミ~オォ~」
(私:会って言いなよ、んなことっ、アホガキ)
「バカンス用のキャンピングカー、買い替えたんだ、ま、クレジットだけどさ」
(私:家のローンあと何年だっけ。ち、余計な事思い出しちゃった。)
「バレたんだよ、汚職、バッカだよなあ、あいつ、要領悪いんだな、俺見ろ、俺」
(私:んなこと、ここで言って平気なの?)
「爺さん、自転車乗れなくなったんじゃ、おだぶつだな」
(私:どこのじいさんかわかんないけど、落ちたみたいね)
「ほーほっほっ、宅の船上パーティにいらっしゃいません?ロマンチックですことよぉ」
(私:ふん、船上でも戦場でも勝手にさわげば。声でかすぎんのよっ、トーン下げろっ)
日本でもこんな内容は話されますが、周りに遠慮しながらが多いです。
大きな声で話すと嫌な顔もされます。



イタリア人は、どこでも、いつでも自分の人生舞台に没頭するんでしょか。
天真爛漫で見栄や体裁がないのはいいことだと思うんですが、ユーロスターの車内はそんな人たちに通信革命が降りかかって、タガが外れた人たちが詰め込まれた箱のようでした。



いくつものプライベートを延々と聞いていると、ホント、疲れます。
「エーッ、ホントなのっ!!!」という嬌声が上がると(えっ、何が、どうしたのっ?)と耳がビクッ。とても疲れます。
うるさいなあ、やだなあ、と思ってた人もいたのでしょう、さすがに最近は、マナーについてのアナウンスが流れています。
電話にどうしても出たい時は「スクージ(すみません)」と回りに断りを入れてから、手短に用件を言って切っています。



ミラノの路上や公共の場所も傍若無人でしたが、最近は変わりました。
ジェラッテリーアにいた時、かかってきた携帯に出た私は、私の腐れ縁おせっかいばあさんに「外出なさいっ、外っ」としかられました。
ふん、自分だってこの前までレストランや、道のど真ん中に足踏ん張って大声上げてたくせに。


日伊相互文化普及協会     Emi