日伊相互文化普及協会

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Emiが残したもの

2009-07-25 15:32:14 | Weblog
先日15日にこの世を去った母のために、日本各地から沢山の方が葬儀に来てくださいました。
お越しできなかった皆さんからも、心のこもったお手紙や贈り物を受けとりました。
母の突然の知らせに、皆さんには、驚きと悲しみと空しさが溢れんばかりかと思います。

数ヶ月前から、連絡のとれない母にあてて、心配の声がイタリアからも寄せられていました。
もしかしたら…と思った私は、知らせてあげるのが優しさだと、何度も説得を試みました。
が、言わない、と一点張りの母。「あなたとは人生観が違うから。」と言われ、それ以降、もしものことは一切口にしませんでした。


…そして、まるで雲のように、逝ってしまいました。
しばらく看病がつづく、と構えていた私には、ちょっと早すぎる気がしました。

母の生前に、もっと、母を知るみなさんと交流をもてばよかった、と悔やみました。
でも、これまで私と面識のなかった方も、そうでない方も、受けとめきれないほどの暖かい励ましの言葉をかけてくれました。



母はこれまで、大学の勉強しか頭になかった私に、日伊のことを引き継いでほしいとは、一言も言いませんでした。
むしろ、あなたの好きなことをやりなさい、の一言。

母の病気のことを知ったときも、何も心配しなくていい、の一言でした。
ひょっとすると人並みには生きられないかも-という考えが浮かんだ私は、母を想い、母を知るイタリアの友人を訪ねにいきました。
幼い頃から、母と歩いたイタリアは、私にとってもうひとつの家の庭でした。
クリスマス、夏休みと、忘れられない時を過ごし、いつしか私は、母を知る沢山のイタリアの友人と、メールや電話で連絡をとり合うようになりました。

「あの子にとって、物理学は恋人なのよ」
誰にも嬉しそうに話す母をみて、私は、これからも自分の好きなことをやればいい、と一人合点していました。
が、昨年に入り、研修旅行もやっとの母をみて、さすがにこのまま続けるわけにはいかない、と思うようになりました。
「来春、大学院を終えたら、母の仕事を手伝おう。」
そう決めた今年の矢先、一気に母の容体が変わり、月日はあっという間に過ぎ去ってしまいました。


まだ23歳という子どもの私に、何ができるでしょうか。



母が亡くなったことを知らせたとき、イタリアから母を偲ぶメールや電話が多数とどきました。
中には、20年以上前の思い出を、鮮明に書きつづったものもありました。

いまの私にできることは、これらの友人の想いを、ただただ受けとめるばかりです。
そして、「エミの子だから」と無条件でくれる、受けとめきれないほどの愛情を、日本の皆さんと分かち合っていくことだけでしょう。



母のように、素晴らしい旅行を率いる力は、いまの私にはありません。
私は、私のやり方で、やっていかなければならないでしょう。

ただ、母が残した、イタリアの人との数え切れない尊い絆を、これからも絶やさず、日本の人々に伝えていきたいと思います。
そして皆さんを通して、イタリアの人が求める日本の文化を、伝えてあげる事ができたらいいでしょう。

具体的なことは、兄と相談しながら、少しずつ形にしていきます。
ただ、母が残した、沢山の尊いものを、守り育てていくためには、
皆さんの力と期待が、私たちに無くてはならないということを、どうか忘れないでください。

これからも、どうぞよろしくお願いします。

Sacci(サチ)


P.S.
母の四十九日を終えた頃に、追悼の懇親会を予定しています。
発起人は私の父ですが(?)、私にとって、初仕事になります。
これから、みなさん一人一人にコンタクトを取りながら、みなさんのことを知る、最初の機会にしていきたいと思います。
母との思い出を、たくさん聞かせてくださいね。