日伊相互文化普及協会

日伊相互文化普及協会のブログです。

ケ・ベッラ!(なんてきれい!)

2008-01-23 15:34:01 | Weblog
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イタリア人は老若男女を問わず、ベッラ(美しい、きれいの意)を一日中使います。
昨日帰国したルッカ料理学院のジャンルーカ先生は、食材にもきれいを連発します。
さっき電話で話した12歳のフランチェスコも「マンマがきれいなトルタを作ったんだよ」とか「霜がおりて今朝はきれいだったんだよ」とか「すごくきれいな鳥が迷い込んできた」
とかきれいを3回以上言っていました。


「きれい」の使用例をいくつか書いてみました。
ついでに、日本人だったらこう言うかな、との想像も。
登場する日本人たちは、私の家族や友人とは関係がありません。



イタ・夫 「ベッラ(きれい)なキノコだね!」
イタ・妻 「ベッラ(きれい)でしょ! おじいちゃんが採ってきたのよ」
日・夫  「お、うまそうなキノコじゃない!高かっただろ」
日・妻  「初物だからバカ高よ、おいしくなかったら、コープに文句言ってやる」

イタ・夫 「あ、髪切ったの、とってもベッラ(きれい)だよ」
イタ・妻 「グラツェエ、あなたも今日のネクタイ似合ってるわ、ベッロ(きれい)よ」
日・夫  「うるさいなあ、髪切った、髪切ったって。違いなんてわかんねえよ」
日・妻  「んもう! あなたっ、新しいネクタイ、呑み屋で汚さないでよっ」



イタ・夫 「今夜は星がベッラ(きれい)だよ、来てごらん」
イタ・妻 「ベッラ(きれい)ねえ、あ、あの星座なんだっけ」
日・夫  「今夜はやけに星がいっぱい出てんな、なんか起こるんかいな、来てみなよ」
日・妻  「入るか出るかして、そこ閉めてくんない、寒いじゃない」

イタリアでは男性もウインドーショッピングをします。ミラノでの目撃。
イタ・会社員「見ろよ、あの鍋、なんてベッラ(きれい)なんだ!!!」
イタ・同僚 「ああ、ベッラ(きれい)だね。でも三つ隣の鍋の方がもっとベッラ(きれい)だと思うよ」
日・会社員 「見ろよ、あの鍋、なんてきれいなんだ!!!」
日・同僚  「なんだと!? 鍋が・・・きれい・・・と言った・・か!? ・・・・、俺、先帰るわ。こえー奴」

イタリア人は生まれたときから絶えず「きれい」という言葉を耳にしてるんですね。
だから自分でも使うのでしょう。
また「美」への感性はとても豊かだと思います。




ベッラとともにグラツェ(ありがとう)も同じ頻度で、家族間や友人同士、また街中でも
使われています。
「ありがとう」と言うと「あなたにもね」とか「あなたにこそ」という言葉が返ってきて
気持ちがいいものです。



今まで「イタリア人め!」とうっぷんを晴らすことをたくさん書いてきましたが、いいなあ、と思ったことも書いてみました。

日伊相互文化普及協会          Emi

冬季懇親会のお知らせ

2008-01-19 19:11:01 | Weblog
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冬季ネットワーク懇親会 ~エミリア・ロマーニャの冬の食卓~



エミリア・ロマーニャ地方の冬の料理が中心、佐野洋平シェフが張り切って腕を振るいます。

佐野シェフ(下写真右側)はイタリア・アルトゥージ司厨士協会の会員であり、エミリア・ロマーニャに滞在し、イタリア全国の料理研究を経て、新宿にオステリアを経営しています。



料理にかける情熱は人一倍で、ルッカ国際料理学院、校長のジャンルーカ・パルディーニシェフは、佐野シェフの才能を評価し、今後の活躍を期待しています。



佐野シェフの経営する新宿のレストランはアットホームで、心安らぐ雰囲気です。
席の都合上、今回は参加者数20名とさせていただきます。

メニューは決定し次第にブログ上にて公表させていただきます。

*イタリア、日本の食や生活文化を取り上げてミニ討論会を予定しています。
 独自の考えをお持ちの方はぜひ、お話いただけますでしょうか?
 スローフードについての意見や質問も歓迎します。

詳細はこちらのページをご覧下さい。

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日時 2008年2月23日(土)17:00~
場所 オステリア・ヴェッラ・ヴィータ
   〒160-0022
 東京都新宿区新宿1-2-11 第一日東ビル1F 
 ℡ 03-5269-8010
 地下鉄丸の内線新宿御苑前駅 2番出口 徒歩2分 
 JR新宿駅 南口 徒歩15分

会費 8,000円 前菜、プリミ、セコンディ、ドルチェ、全20品前後。ワイン、コーヒー。
定員 20名


ジャンルーカ先生の伝統料理講習

2008-01-15 21:09:20 | Weblog
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ルッカ国際料理学院の校長、ジャンルーカ・パルディーニ先生が来日し、トスカーナの伝統料理の講習とパーティを開催し、講習会には35名、パーティには50名ほどが参加をしました。
場所は、全国に料理教室を持っているホームメイド協会の有楽町教室です。



ジャンルーカ先生は好奇心が旺盛で、いろんなことにトライします。
社会的貢献度も高く、料理の腕とともに人格も評価され、イタリア政府から「グランデ・マエストロ・ディ・クチーナ(料理の巨匠)」の称号を授かりました。



一見、とても新しい人のように見えるのですが、料理では伝統を大切にし、奇抜さや、ヌーベル・キュイジーヌなどは追求しません。
「僕の料理は豪華絢爛じゃないよ、でも、大切なことがいっぱい詰まってるんだよ」とジャンルーカ先生は言います。



また、ジャンルーカ先生は季節の食材を大切にします。
冬に茄子やキュウリの料理は作らないし、ドルチェ用に苺やメロンを用意しておいても跳ね除けてしまいます。


今回の講習料理のメニューです。

【エルバデッラ】(アンティパスト)



 これは12世紀の料理で、現在まで食べ続けられてきました。
 葉玉ねぎとトウモロコシの粉、リコッタ、すりおろしのパルメザン、ペコリーノ、ミル 
 クなどを使います。
 リコッタやミルクなどは牛乳のものを使いましたが、12世紀の頃のトスカーナでは羊やヤギから取ったものを使ったそうです。
 葉玉ねぎは千葉県長生村の農協から「ながいき葉玉」をご提供いただきました。
 甘みと深みがあって、いろんな料理に使えます。
 エルバデッラを食べながら、「12世紀かあ・・・」と昔に思いを馳せました。


【ポルチーニ茸と鴨肉ソースのタリアテッレ】(プリモ)



 鴨はイタリア語でアナトラといい、トスカーナではアナトラを使った料理はこの季節に
よく食べられます。
ポルチーニ茸はジャンルーカ先生が持参をしました。



トスカーナから鴨をしょってくるわけにはいかなかったので、日本で市販されている鴨
を使用。
オリーブオイルをたっぷり使用しているのですが、とてもあっさりしていて「いくらで
も食べられる」感じです。


【豚肉のスペアリブ、西洋ゴボウ添え】(セコンド)



 使用した西洋ゴボウは、トスカーナではバルバと呼ばれています。
 「はて、バルバは日本にあるかしら・・・」と思っていたら、ありました!
 グリーンサービスの鈴木さんのところでサルシフィという名で売られていたのです。
 ゴボウといっても日本のゴボウとは全く味が違います。
 アーティチョークの味に少し似ている気がします。
 香ばしく焼いたスペアリブとバルバのコンビネーションがたまらなくステキでした。


【パネトンチーネ】(ドルチェ)

 パネトーネの赤ちゃんみたいな、ちっちゃくて、かわいいケーキです。
 これはトスカーナだけでなく、イタリア全般で食べられています。
 アーモンドのスライスとラム酒に漬けたレーズンを入れて作ります。
 素朴で、いつ食べても飽きない、心温まる味です。



この日はもう一皿、特別な料理を作りました。

【車エビとヤリイカ入り、古代麦のサラダ】です。



古代麦は、現在、スペルト小麦と呼ばれています。
食べられてきた歴史は深く、2,000年以上も昔、エトルリア時代に遡ります。
外皮が硬いため、自然のままほったらかしにしても虫に食われたりしません。
自然の麦なので強くて、病気にかからないのも特徴です。

でも、近年に製粉の楽な小麦が流通するようになって、古代麦は食卓から遠ざかっていました。
古代麦は一般的な麦に比べると10倍以上も多くのミネラルやビタミンを含んでいます。
そんなことから、また人々に食べられるようになりました。
モチモチ感があってとても美味しい麦です。

イタリアのお医者さんたちや医療機関は、健康の維持や健康の回復に、この古代麦や、ヴィーナスという黒米を食べるように強く勧めています。
古代麦にはガンを抑制する成分があることも分かっているそうです。

古代麦は、冬はスープや煮物のようにして、温かい料理で食べることが一般的です。
「ま、今日はパーティ用だからね」とジャンルーカ先生は、取りやすく、食べやすいサラダ仕立てにすることにしました。
お代わり続出だったのは言うまでもありません。



この日、新宿のイタリアレストラン、Bella Vitaのオーナー、佐野さんがパーティ料理作りの助っ人に来てくれました。
ホームメイド協会のスタッフの方々と、和気藹々で美味しいものをたくさん作ってくれました。

全ての料理にはオリーブオイルをたっぷり使っています。
このオイルは先月、12月20日に、スローフード協会オルヴィエート会長の農場で精製したもので、精製後、まだ1ヶ月も経っていません。
光を遮断した、缶入りで当協会に送られてきたもので、色は濃い緑色、香りも抜群です。
オイルというよりはオリーブジュース、または野菜の感覚で、たっぷり使っているにも関わらず、あっさりと仕上がるのは当然かもしれません。



当協会での販売期間は終了しましたが、購入をご希望される場合は、先月の12月に精製したものを、スローフード協会オルヴィエート会長から取り寄せることができます。
日本に着くまで約1週間かかります。ご連絡はこちらまで。



ホームメイド協会の方々、参加された方々、そしてジャンルーカ先生、楽しい時間を過ごさせていただいたことに、心から感謝です。

2008年4月23日(水)より、4月30日(水)まで、ジャンルーカ先生の運営するルッカ国際イタリア料理学院を訪れて、料理講習を行います。

この滞在中には、オリーブオイル精製所、ワイナリー、スローフード館なども訪問し、イタリア人たちと過ごしながら、イタリアの食文化にも触れます。

詳細はこちらに載っています。 短期イタリア留学・料理講習とアグリトゥリズモ

参加申し込みやお問い合わせは、日伊相互文化普及協会 info@nichiibunka.com まで。


日伊相互文化普及協会             Emi

元旦の魔女

2008-01-04 20:17:12 | Weblog
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皆さん、明けましておめでとうございます。
今年もよろしくおねがいします。

私は時々ブログ内で、「腐れ縁のミラノの世話焼きばあさん」にちょこちょっと触れてます。




36年前の元旦、私はロンドン経由のミラノ行きの飛行機に乗っていました。
ミラノの音楽学校へ入るためで、私には初めての海外でした。
隣の席にはスタイル抜群で超美人、頭のよさそうな女性が座っていました。
彼女は自分をマリアンジェラと名乗り、イタリア語で話しかけてきました。
その女性が今の「腐れ縁のミラノの世話焼きばあさん」です。
彼女はミラネーゼです。

当時の私にはチャオ、グラッツェ、テレッフォノ、そしてアモーレ・ミオくらいしかイタリア語が分かりませんでした。ホントです。
何とかなる・・・と思ってあんまり考えていませんでした。



ろくにしゃべれない私を、彼女は心もとなく思ったのか、ミラノのリナーテ空港から私のホテルまで送ってくれました。

彼女の美貌はホテルでも人目を集め、ホテルマンとの対応もエレガント。
私を優しく気遣ってくれるマリアンジェラは私には「慈愛に満ちたマリア様」に映りました。

この「美しいマリア様」に、もう会うことはないんだ、と思いながら、私はホテルの入り口で彼女を見送りました。

ところが、翌朝、マリアンジェラは私のホテルに現れました。
同時に、私の世話をしてくれることになっていた、ロッコという若いイタリア男も。



ホテルのロビーで、二人は私を見ながら何やら話していましたが、マリアンジェラが急にがなり立て始めたのです。人目も構わず。
すごい剣幕のマリアンジェラに、ロッコは押されながらも必死で抵抗している様子でした。

イタリア語の分からない私があとで分かったことは、
「あんたみたいな若造に、この娘を任せられるか、引っ込め!」とマリアンジェラが言い、「僕が日本の友人に頼まれたんだよ~」とロッコが抵抗していたのでした。
マリアンジェラは相当、きたないスラングを使っていたようです。

イタリア人の口論は初めての上、マリアンジェラの迫力は並外れていました。
マリア様のように見えていたマリアンジェラが豹変するのを見て、私は震え上がってしまいました。



その時以来から現在まで、マリアンジェラは私に張り付いています。
彼女はしだいに肉付きもよくなり、あの美貌はなんだったの、になりました。
持ち前の持論主張にはオバタリアン的な強引さが加えられ、形相や声音(コワネ)、は凄みを増しました。

私は昔からけっこう抜けていて、マリアンジェラをヤキモキ、イライラさせてきました。
何かある度に、いえ、ある前に彼女は先回りをして飛び回ります。(頼んでもいないのに)
一度、精神的にも金銭的にも常識以上の大迷惑をかけたことがあって「いいかい、二度とあたしの目の前に現れるんじゃないよ、電話にも出るもんかい!!! 勘当だよっ!!!!!」と言われたこともありました。
そんなこともあってか、私は常ににボロクソに言われています。

私をののしり、罵倒するマリアンジェラですが、気に掛けてくれたこともあります。
観光旅行にイタリアへ行っていたという、若い日本人女性から電話をもらいました。
マリアンジェラは観光途中のその女性に「あなた、若い頃のEmiに似ているわ」と声を掛け、私や私の家族の写真を見せました。

マリアンジェラはその日本人女性の観光や買い物の手伝いをして、家に呼んでご馳走をし、帰りは空港まで自分の車で送ったそうです。
「Emiはしばらく子供のことでこっち来れなくて、生ハムを食べてないの」
マリアンジェラがその女性に預けたのは2kgの生ハムの塊と、いくつかのごっつい塊のチーズでした。



生ハムは持ち込みやっかい品です。
よくも、まあ、日本人のその彼女が引き受けたもんだ、と思いました。
「ステキな人ね、マリアンジェラさんて! 優しくて、親切で!!! 」と彼女は手放しでマリアンジェラを褒めました。(ホントは魔女なのよ・・・)
でも、この時はマリアンジェラをありがたいなあ、と思いました。食い意地で。



私が研修の引率でミラノにいる時は、私が通る道やレストランに、「バンッ!」と表れます。
レストランでは私の引率者たちの世話をやき、マリアンジェラはみんなから頼もしくってステキな人ね、と言われます。
「どこがよ、頼もしいって~? 仕切ってるだけじゃん」とムッとなるのですが、和を考えて黙ってます。

レストランを出るとき、マリアンジェラは、みんなの前で私に「さあ、トイレへ行ってらっしゃい」と私の背中を押します。
「ノロノロしてんじゃないわよ」とお尻を叩かれたこともあります。みんなの前で。
「私にも面子ってもんがっ!」と喰ってかかったら、「へえ」と私をマジマジと見て、ハハハと笑います。




マリアンジェラの夫も息子もマリアンジェラにどやされていて、その息子は養子です。
息子の名前はヴィンチェンツォ、ナポリ人の実の父親は飲んだくれ、母親もナポリ人で児童手当に手を出して自分の毛皮を買い、家政婦をして得る収入は全部自分のために使ってしまう人でした。
中学生だったヴィンチェンツォはある冬の夕方、リナーテの病院の前で、花売りをしていました。
そこへマリアンジェラが車で通りかかりました。
ヴィンチェンツォは上着も着ずに、スニーカーは穴が開いて靴下も履いていなかったそうです。
マリアンジェラは震えているヴィンチェンツォをバールに連れて行き、温かい飲み物を飲ませました。
「戦後じゃあるまいし、飽食の時代に子供にこんなことさせてっ!」とマリアンジェラはヴィンチェンツォの両親に激怒したそうです。
「怒りのマリアンジェラ」にヴィンチェンツォも震え上がったに違いありません。

マリアンジェラは「あんな親には任せて置けない」と両親に会いに行き、養子縁組の手続きをしたそうです。
ヴィンチェンツォは高校と大学へ進み、今はエンジニアとして働いています。




私もヴィンチェンツォもマリアンジェラに拾われたんでしょうか。
でも、拾い主は魔女だったのです・・・・・・!
             
日伊相互文化普及協会       Emi