日伊相互文化普及協会

日伊相互文化普及協会のブログです。

心のやり取り

2008-11-24 17:31:45 | Weblog
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この記事は本年10月の研修旅行の経過を報告しています。



10月6日(日)
今日はオルヴィエート市とスローフード協会が主催する味覚祭りの日です。
城壁内の町のあちこちの建物の中や庭園、エトルリア人が3000年前に町の真下に張り巡らせた古代地下都市の中で、前菜からデザートまでのフルコースのご馳走が振舞われます。

スローフード祭 オルヴィエート・コン・グストについてはこちらのページをご覧下さい。



この味覚祭りに参加する人たちは市庁舎でチケットをもらい、ワイングラスの入った袋を首から提げて、ご馳走のある会場から会場へと周ります。
全国各地からは優良食材、食品、ワインなどが集められて、それらはドゥオーモ広場に展示されます。この展示会場は一般の観光客も見て周ることができます。



基本的には展示はイタリアの生産物ばかりなのですが、当日伊相互文化普及協会とオルヴィエート市との付き合いが長くなったこともあり、当協会の推薦品を出展してもよいことになっています。



一昨年、昨年に続き、当協会は(株)にんべんさんの鰹節と(株)袋布向春園本店のお茶を出展します。ブースには野崎さん、井上さん、辻本さん、西貝さん、そして当協会のスタッフのヤス君がつくことになっています。



この日の朝、今回のイタリア研修に参加したホームメイド協会に所属する木村さんと福原さんが宿泊しているロカンダの庭で丸まると太った栗を拾ってきて、ご飯を炊きました。
そして栗ご飯のおにぎりをブースを担当するみんなに持たせてくれました。
いざ、出陣、にはやはりおにぎりですかね。

木村さんや福原さん、そして他のみんなはブースには関わらず、思い思いにご馳走の会場を周ることになっています。

この日、天気はいいのですが風が強い。
私はブースをみんなに任せてブース会場の前のドゥオーモの中へ。
私は教会が大好きです。
暑さ寒さをしのいでくれて、静かで、誰にも邪魔をされずに眠ることができます。

私は外の喧騒を忘れてしばらくウトウトしました。
ふと、顔を上げると見慣れた顔が脇の小出口の方に。
ピエモンテ州、ノヴァラ県、カサルベルトラメ市のノヴェッラ市長です。
私は彼に声をかけて一緒に外に出ました。



カサルベルトラメ市のブースは寄寓にも私たちのブースの隣でした。
ノベッラ市長は「持ってけ、持ってけ」と黒米ヴィーナスやゴルゴンゾーラチーズを大きな袋にボンボン入れて私にくれました。



カサルベルトラメ市はピエモンテ州にある広大な水田地帯。ゴルゴンゾーラも特産です。
お米は有機が中心の栽培なので水田にはすごい数の蛙がいて季節になると水田一帯が蛙の大合唱のステージになります。
カサルベルトラメの町のシンボルは蛙。市庁舎の入り口にはユニークな大蛙の置物、そして町のいたるところにも蛙の置物があります。

私がまだカサルベルトラメに行き始めた昔のこと、私は日本のお米も食べてみて欲しくてお米とお煎餅、そして小さな蛙の置物を持って行きました。
ノヴェッラ市長とテレジア副市長はお米とお煎餅を喜びましたが、それ以上に気にいったのが蛙の置物でした。

「こんなにしてもらって!!! 俺たちはいったいどんな心をEmiにあげられるんだろう!!!」「私たちはあなたに答えたいのになすすべがないわ!!!」と喜び嘆くのです。
まあ、多少イタリア的オーバー表現ではありますが。
そして最高級ワインや、黒米ヴィーナス、チーズ、ハム、お菓子などなど、いったいどうやって運べばいいのよ、というほどの膨大な量をくれたのです。

ミラノの腐れ縁の世話焼きばあさんは私によく言います。
「私のマンマはね、私にいつも言ってたんだよ、人様に良くしてもらったらその何倍もの心を返しなさい」と。

ボローニャ大学の学生だったダニエレが日本に来た時に、小学校の運動会に呼んだり、ハイキングや海に連れて行ったことがあります。
そのダニエレはその時きり日本には来てなくて、以来私が彼の家を何度も訪ねています。
彼の家族は言葉にならないくらいの熱い心を私にくれ続けています。



さて、ブースに戻りましょう。
寒いのでワインでも飲んであったまりますかな、と知り合いのブースでワインを買いました。私のブースに戻る途中、蜜蜂製品を研究し、出展しているレナート博士のブースの前を通りました。
「風が強いから、温まって」
と博士の前にあったグラスにワインを注ぎました。
「おうっ、気が利くなあ」
博士は喜びながら蜂蜜、ポーリン、ローヤルゼリー、プロポリスを調合して作った高価な食品と、プロポリスクリームをくれました。

イタリア人は心の見える贈り物が好きです。
祝い事や改まった時は別ですが、何気ないものを喜びます。
勘のいいイタリア人は義理で贈ったものやご機嫌取りの贈り物は見破ります。
その時だけは喜びますが、心にインプットされないので単純なイタリア人は高価な贈り物であってもすぐに忘れます。

カサルベルトラメと反対側のブースではシチリアの生産者が出展していました。
時々、チラチラと(株)にんべんの味噌だれの小瓶を見ていました。
なので「イタリア料理にも合うのよ」と味噌だれ1本とレシピをあげました。
「えっ、いいのっ? 気になってたんだよ」
満面の笑みを浮かべて「どうしよう、どうしよう、そうだ!」
彼はシチリアの太陽をふんだんに浴びた真っ赤な乾燥トマトを大きな袋にいっぱいくれました。




この展示会場ではお煎餅一枚が、お箸一膳が、紙コップに分けてあげた削った鰹節が何倍にもなっていろんなものに変わります。
ここだけではありません。普段でもさりげなくかけた思いやりが大きな心となって返ってきます。

「人様にしてもらったらその何倍もの心で答えなさい」
ミラノの腐れ縁の世話焼きばあさんのお母さんだけでなく、この言葉はイタリアのどの家でも言われ続けてきているのではないでしょうか。
平和のエッセンスですね。


心といえばこんなこともあります。
「イタリアはコネ社会」というのを聞いたことがあるでしょうか?
人様に心をかけてもらったことをけっして忘れない。それはいいことなのですが・・・。

会社が社員を採用する時に、優先されるのは親類縁者のコネ。そして採用を決定する人達が何らかの恩を受けた人たちの縁者です。
大学を出ているとか、高い能力があるとかはほとんど二の次です。
一生懸命勉強して、能力を身につけた人たちは採用定員に余裕がなければかわいそうなことになってしまいます。

商売でも心のやり取りをしている人が優先されます。
面識のない仲買人はあとまわし。
また、生産者に「嫌な奴」と思われても商売が成り立ちません。
でも「嫌な奴」にお金を積まれて売る人もいます。
そういった場合、売った人はたいてい周りから軽蔑されて、人としての評価は落ちてしまいます。

アグリトゥリズモ、ロカンダ・ロサーティの近くに廃屋になっている屋敷があって、F1レーサーのミハエル・シューマッハが買いたがっていることを以前ブログに書いたことがあります。持ち主が売ってくれないことも。
廃屋を切望し続けるシューちゃんと家主。
家主はシューちゃんが大嫌いなのです。
いくらでも金を出すと言うシューちゃんを家主は無視し続けています。

【余談です】
イタリアではたくさんの人がドイツ人を嫌いですが、シューちゃんはフェラーリを救ったとして好かれている数少ないドイツ人です。

でもシューちゃんを嫌いな人もけっこういて、シューと聞くと眉をひそめます。
何でかなあ、とよく考えてみました。
イタリア人のほとんどが強い愛国者ですが、シューちゃんが嫌いという人は、もしかしたら半端じゃない愛国者なのかもしれません。
自国の誇る名車に他国の人が乗っているのに抵抗があるのでは・・・。
シューちゃんが勝てば勝つほどシューちゃんの笑みは輝き、ドイツ国歌も高らかになる・・・。
シューちゃんの笑顔はドイツを称える笑顔???!!!
半端じゃない愛国者たちの心は複雑になって・・・、「シューは嫌い!」となるのでしょうか・・・。

日伊相互文化普及協会            Emi

エトルリア人の建てた古代地下都市

2008-11-14 17:26:04 | Weblog
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オルヴィエートの町の地下にはエトルリア人が3000年前に建設した地下都市が蟻の巣のように走ってます。
3000年前、この地下都市にはワインの醸造所やオリーブオイルの精製所があり、家畜が飼われ、鳩舎もありました。
鳩舎は早朝に扉が開けられ、山鳩たちはお出かけをして夕方に帰ります。
決まった時間に扉が閉められて、この時門限を破った山鳩さんは泣いても叫んでも中には入れてもらえません。
井戸が掘られ、雨水を引いて家畜小屋や家々には配水が行き届いていました。





ローマ時代に入って、エトルリア人がローマ人に追い出されてからは、ローマ時代、中世、現代までと人々はこの地下都市をワインやオリーブオイルの貯蔵庫にしたり、好き勝手に使ってきました。
疫病の流行った時は一画に死体を集め、石灰をまいて伝染を防ぎました。
第二次世界大戦の時には隠れ家にもなったそうです。



ボルセーナ火山の火山灰が流れ込んだり、人々が粗大ゴミや生ゴミなんかを捨てたりしてして、かなりの部分が塞がっていたのですが現在は全体の3分の1が採掘されました。



町はずれにある1部は市が管理をして、観光客が入れることになっています。
個人の所有する家の下は市が関与できませんので、個人が管理をしています。
はっきり言ってこの観光客用の所は面白くありません。
整然としすぎているのもあるけれど、盗難を恐れているのか当時の陶器なんかも陳列されてないし、エトルリア時代、ローマ時代、中世、現代までの人々の息吹が感じられないのです。



その点、個人の家の地下は様々な模様があります。
採掘しっぱなしのところにオリーブオイルの瓶をしまっておいたり、カビの生えたエトルリア時代のワインの大甕(かめ)や小甕がずらっと並んでいたり。
値段のつけられないエトルリアの陶器の破片がセンスよく置かれて、現代の人の居間の一部のようだったり。





エトルリアの頃から現代までの人々が共存しているみたいです。
また先祖代々住み着いているので語り継がれてきたエトルリア時代から現代までの地下都市の様子をよく知っています。
話を聞くのはとてもおもしろいものです。





そんな個人の家の地下にはなかなか入れてもらえませんが、私たちはジャンピエロの友人菓子屋のセルジョの家の地下を訪れることができました。
お菓子の並ぶ店の中から地下へ降りました。
とても広い。私にとってはミステリアスな世界。
ボルセーナ火山の噴火の時の灰がなだれ込んだあたりには地上の木の根が化石化をしていました。このあたりはセルジョのお父さんが30年前に掘って発見をしたそうです。
多神教の頃の神の一人、バッカスのレリーフ、澱みを作らない為に鰻が飼われていた貯水穴、礼拝堂、そして世界大戦時に隠れた一画等々。
途方もない時間を遡る博物館です。







「ここはキッチンだよ」とセルジョ。
家々では料理作りのために演奏家が雇われ、調理の際にはキッチンで楽器が奏でられたのだそうです。
エトルリア人は「音楽は料理を美味しくする調味料」と考えていたといいます。
夫婦仲はとてもよくて、必ず夫婦揃って食事をしたそうです。
(ローマ人は男女別々でした)

エトルリア人はなぜ地下に住んだのでしょう?
健康のためとか宗教上のためとかいわれてますが本当のところは分からないそうです。

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私たちが個人美術館に行く途中、私と長年の顔見知り(小さい町なのでよく路で顔を合わせます)の人が家の敲き(タタキ)で畑から摘んできたばかりの葡萄を搾っていました。
「見ていくかい?」と私たちを中に入れてくれました。
搾った葡萄の汁は地下に送られます。そこで醸造され、保管します。
その地下はエトルリア人の作った都市の一部。



この地下の自然熟成ではおいしい、おいしいワインができるんだそうです。
オルヴィエートでは郊外でも地下都市があってワインの作り手はおおいに利用をしています。

今年も精製したてのオリーブオイルをお届けします

2008-11-04 17:46:43 | Weblog
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オリーブオイルは長い歴史があって5000年ともいわれて、古代では儀式用や薬用で使われてました。
現在では調理用の他、上質のオイルは薬用としても肝臓強化や美肌の目的で飲まれています。
飲用にはスーパーや店頭でガラス瓶に入って置かれているようなものはいけません。
搾りたてを即、光を遮断する缶や壷に入れたオイルを飲んでください。



オリーブオイルの搾りたては目を見張るようなきれいな緑色をしていて、飲んでみるとオイルという感覚はなく、ジュースのようです。

オリーブの一番収穫、二番収穫と早い時期のオイルはピリッとした少しの辛味を含んでいます。
12月も終わりになる頃に収穫したオリーブのオイルは絡みは微量で丸みがあります。



オイルは一年ほどたつと色が少し褐色がかり、味は練れています。
1年経ったものが搾りたてよりも味が落ちるのかというとそんなことはけっしてありません。
人には味の好みもあります。
イタリアでは食材によって使い分けています。



オリーブオイルは最も酸化しないオイルといわれています。
オイルの鑑定士、アドリアーノによると一定の温度で光を遮断すれば20年や30年は変わらないのだといいます。
イタリアのオリーブオイルの生産者たちは第二次世界大戦中に爆弾からオイルを守るために大甕にオイルを入れて、地中深くに埋めたそうです。
今も埋まったままのオイルはあって、そんな大甕を掘り出してみると中のオイルは上質のままだといいます。



オルヴィエートではオリーブの収穫が始まりました。
12月の下旬まで続きます。
精製したてを今年も皆さんにお届けしたいと思います。

収穫したオリーブはその日のうちに精製し、精製したてを缶に入れます。
日本への発送はその日か翌日の午前中に日本に向けて空輸瓶で送られてきます。
ご希望の方はこちらをご覧くださった上、お申込みください。

最高級のオイルなので、飲んだり、サラダに使ったり、パンに付けたりがいいと思いますが、気にしないという人は加熱料理にもジャンジャン使ってください。
私ははじめ、チビチビと生で使っていましたが、加熱用にも使うようになりました。
いいものを知ると後戻りは難しいもんだなあ、としみじみ思います。
ルッカ国際料理学院のジャンルーカ先生も「ちょっと、もったいないけどね」と日本語でつぶやくのですが、次の瞬間にはためらいを見せないでジャバジャバ使ってます。

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