日伊相互文化普及協会

日伊相互文化普及協会のブログです。

5月12日春の懇親会メニュー決定

2007-04-14 16:10:08 | Weblog
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谷本シェフがメニューを決定されました。
食材やレシピについては当日、又は懇親会のあとで谷本シェフにお尋ねください。






【ANTIPASTI】
・Affettato Misto イタリアンハム、サラミの盛り合わせ
・Insalata Spinachi ホウレン草とパルミジャーノのサラダ
・Involgere di Porcini e Salsiccia ポルチーニとソーセージのパイ包み
・Pollo al Curry 鶏胸肉のカレー風味
・Gelatina alla Frutidi Mare 魚介類のゼリーよせ ブイヤベース風
・Frittata di Uovo con Alga e Bianchetti イタリア風フリッタータ 岩のり、白魚
・Coppa alla Romana コッパ ロマーナ
・Uovo Tonnato ゆで卵のツナソース
・Bruschetta Due sapori ブルスケッタ 2種
・Ricotta Fatta a casa con Marmerata di Verudura 自家製リコッタチーズと有機野菜のジャム



【PRIMI】
・Risotto al Gorgonzola e Mera リンゴとゴルゴンゾーラのリゾット
・Spaghetti del Giorno 本日のスパゲッティ
・Federini con Purea alla calamaretti ホタルイカとホウレン草のフェデリーニ
・Machironi alla Salornitana マッケローニ タコとイカのサレルノ風
・Pizza alla capricioza お任せピッツァ

【SECONDO】
・Cosia di Agello al Forno 仔羊腿肉のロースト

【DOLCE】
・Panna cotta alla Menta パンナコッタ メンタ
・Torta ondina ザバイオーネとチョコレートのケーキ
・Macedonia di Frutta マチェドニア フルーツ
・Gelato varie ジェラート各種

お茶:烏龍茶
ジュース:ブレッドオレンジジュース
ワイン:当日のお楽しみです。

イタリア的な情け

2007-04-10 14:57:43 | Weblog
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私の心に残った、ひとつの映画のことを書きます。
日本にはあまり知られてない映画と思います。
題名は「il Tetto(屋根)」舞台はミラノ、時代は1950年頃です。



イタリア南部の漁村で、新婚カップルが誕生しました。
妻の名前はマリア、夫のは忘れてしまいましたが、名前がないと不便なので、この場でだけジョルジョと名づけることにします。

貧しい田舎の村では、これから子供を生んで育てることができない、と若い二人は思いました。
ジョルジョのお兄ちゃんだって結婚後に田舎に見切りをつけて、ミラノに出たのですから。
マリアとジョルジョは、ジョルジョのお兄ちゃんのアパートにしばらくの間身を寄せて、ジョルジョの仕事を探すことにしました。
まあ、若い二人にも、若いお兄ちゃんにも、野心もあったのではないかと思いますが。

ジョルジョのお兄ちゃんのアパートには奥さんと3人の子供(数が記憶違いでしたらごめんなさい)がいて、奥さんの年老いた両親も同居をしていました。
ふたつの続き部屋に、カステッロと呼ばれる2段ベッドなどを置いて、全員がひしめき合って暮らしていました。マリアとジョルジョが加わると、かなり悲惨になりますね。



やがてジョルジョに仕事が見つかってひと段落。さあ、新居を探そうとなりましたが、その頃のミラノは、ジョルジョのように地方から出てきた人たちで溢れていました。
今のジョルジョの給料では、借りれるアパートなど、とうていありません。

始めは、狭いながらも楽しい我が家をやっていた9人でしたが、次第にストレスが溜まって、近頃では口げんかが絶えなくなりました。マリアはジョルジョに隠れて泣くこともしょっちゅうでした。
マリアが泣いてるのを知ったジョルジョ。何とかしないと、とジョルジョがあせる中、マリアに子供ができたことが分かりました。

9人がひしめく狭いアパートで、どうやって子作りをしたのでしょう。その頃のミラノには大家族で住んでいる夫婦のための「子作りの場」というのが町のどこかにあったのでしょうか?
それとも同名のよしみで、キリストのお母さんのマリアさんと同じに、行為なし懐妊ができた、又はちょっと譲って行ってらっしゃい、お帰りなさいのキスだけで身ごもったのでしょうか。







マリアが流産でもしたら大変です。ジョルジョは家を建てる一大決心をしました。
場所はミラノの中心地から少しそれた、空襲のあった焼け野原。そこしかありません。そこは私有地ではなくて、市や国のものでした。

おまわりさんは朝と日中、夕方に焼け野原を見回りに来ます。もし家を建てていたら、ものすごく叱られて、逮捕です。
それなのに、ちっちゃな、ちっちゃな小屋がポツン、ポツンと建っていました。
この小屋はおまわりさんが見回りに来ない、夜のうちに建てられたものです。
この頃、ミラノでは屋根が付いていれば、住居と認められて居住権を持つことができたのです。テントや木材の簡易掘っ立ては移動式で別な扱いです。

ジョルジョは10人の仕事仲間にお手伝いを頼みました。マリアのことを知ったジョルジョの友達は、喜んで手伝いを引き受けました。
「こんなにいるんだから一晩でできるさ」みんなは言いました。

夕方、おまわりさんが去ると、全員が一斉に動き出しました。漆喰を練ったり、レンガを運んだり。わき目もふらず必死です。
家の大きさは日本の広さでいうと6畳1間です。一晩で建てるのですから豪邸は無理でしょう。2LDKもちょっときついと思います。

ジョルジョはマリアのために、ジョルジョの友達はマリアとジョルジョのために、一所懸命働いたかいがあって、真夜中近くに家の壁は出来上がりました。
そこへマリアがみんなに差し入れを持ってきたので、みんなはちょっとだけ休むことにしました。
その時、「ふぅ~、疲れたなあ」とジョルジョの友達が壁に寄りかかりました。
壁はドシャ~と、かなりの部分が崩れ落ちて、やり直しになりました。



だんだんあたりが白んできました。壁はどうにかできて、屋根に取り掛かったところです。
そして、はっきりと朝になりました。見張りをしていた友達が、おまわりさんが近づいて来るのを知らせました。
友達はみんな一斉に逃げます。
ジョルジョも、お兄ちゃんの家から持ち出した椅子1脚を小屋の中に置くと、藪の中に隠れました。
ジョルジョの顔や服は漆喰や泥にまみれていて、「僕、家作ってたの」がバレバレですから。

屋根は7割の出来、不足の所から青空が見えてます。まずいですね、これは。
窓は窓枠もガラスもカーテンもなくて、ポッカリ開いててもいいんです。ベッドもタンスもテーブルもなくてもかまわない。
でも屋根だけは10割いるんです。
住めるから住んでるんですよ、と屋根が叫んで、おまわりさんが黙るのです。

失望して小屋の前に立っているマリアに、一人のシニョーラがササッと近づいてきました。
マリアたちの様子を見ていた、一番近い小屋に住んでいるシニョーラでした。
シニョーラは抱いていた赤ん坊をマリアの腕に抱かせると、赤ん坊の服をめくって足をキュッとつねりました。
すやすやと眠っていた赤ん坊は驚いたんでしょうね。爆音のように泣き出しました。

シニョーラにせかされて、赤ん坊を抱いたマリアは家に入りました。椅子に座ると同時に、
「ボンジョルノ、シニョーラ(おはよう、奥さん)」とドスのきいた、ダミ声のおまわりさんが、きのうの夕方にはなかった、小屋の入り口をふさぎました。
マリアは恐くて返事ができずに黙っていました。赤ん坊は黙りません。足をつねられた身の上を訴え続けます。
「だんなは?」とおまわり。
「・・・ 仕事に出かけました・・・・」
おまわりは、自分の頭の上の、大きく欠けている屋根と、青空を睨み付けました。そして、漆喰の乾いてない小屋の中をジロジロ。
「シニョーラ、」と、おまわりが険しい顔でマリアに切り出すと、赤ん坊が前よりもっと大きな声で泣き始めました。

マリアはオロオロして赤ん坊をあやし、おまわりは黙ります。
おまわりは上目遣いでもう一度天井を見ました。そして眼を伏せました。
沈黙が続いて、赤ん坊の泣き声が弱くなった頃、おまわりが口を開きました。
「ボンジョルノ、シニョーラ(奥さん、いい1日を)」
おまわりさんはマリアに背を向けました。


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この映画は事実をもとにしています。
本気で取り締まる気があるなら夜中も巡回するはず、と考えるのは日本的なのかな。
陽が落ちてまた昇るまでは誰もが家族といたい時間。そんな時間の見回りは無粋な仕事で、官庁も進めなかったのでしょうかしら。
それとは別ですけれど、他人の痛みを、みんなが分かっていたような気がします。


                                Emi

味付けは音楽で

2007-04-06 13:04:06 | Weblog
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ローマ時代が築かれる、ずっと、ずっと昔。
今のトスカーナとウンブリア、そしてラツィオにまたがってエトルリア人が住んでいました。
彼らは地下都市を築いたのですが、なんで地下にもぐったのか、謎がたくさん残ってます。



エトルリア人はとっても高度な文化を持ってましたが、あとからノソリ、ノソリと現れて、いっきに勢ったローマ人に滅ぼされてしまいました。
あの頃のローマ人の突っ走りはフィレンツェのイノシシも及ばないでしょう。


濃い草色がエトルリアの領域。薄い草色は紀元前750~500年にかけての拡張


エトルリア人の文化はローマ人に受け継がれたものがたくさんあります。
そのあと生活習慣、建築、特に健康に関して、今は全国に普及したもので、特にエトルリア文化として意識されていないものも多いといいます。

エトルリア人達の墓は、色鮮やかな壁画で飾られていました。
上は鳥占い師の墓に描かれたレスラー。


建築や絵画といった美術、文化に加えて、彼らの日常生活や、宗教観について、最も多くの情報を現代に提供するのは、何千基にも及び並ぶ墓-死者の町とも呼ばれるネクロポリスです。




私はうちの協会で行っているイタリア研修で、何度も彼等が築いた古代地下都市を見ています。
起伏のある地下の道や住居、小川のあとや井戸、ワインの醸造所、オリーブオイルの精製所、家畜小屋、食料加工生産所などは、想像力を働かせて当時を偲ぶと、壮大な絵巻になってクラクラします。
このことはまた次回に書きますね。




音楽について。
美味しいものを食べながら音楽を聴くのが好きな人もいます。
食べることに神経を集中したい人で、食事中の音楽を嫌がる人がいます。
また、「会話」が大切な人にとって、頼まれない音楽は邪魔です。
でも食べながら、軽口を叩いてふざけあうには音楽は活気を煽ってくれます。例えば宴席のようなところではないでしょうか。
まあ、時と場合によってですよね。人の心はいつも違うから、と思うのですが。


宴の様子は墓石壁画に最も多く用いられました。



でもエトルリア人には音楽は食と一体で、音楽そのものが食のようでした。
音楽は塩や、出汁、香辛料と同じでキッチンには必要不可欠だったようです。
壁画や文献を見ると厨房には必ず楽器の演奏者がいるのです。
調理人を喜ばすためでは、はっきりいってないそうです。
厨房で音楽を奏でると食材の旨みはグングン増して、料理のティストもアップすると信じられていたそうです。
今日の麦は挽きが荒いから、この麦粉に笛を聴かして、まったりさせようとでもいうのでしょうか。太鼓の音は控えめにして、とかなんでしょうか。



そして、食卓。
そこでも音楽が奏でられます。大切な調味料のように。
とても繊細な音楽だったのではと偲ばれます。
岩塩や野の香辛料、出汁の間を縫って奏でる音楽。
邪魔をせず、でしゃばりもせず。そして料理の味をメロディやアクセント(起伏)で盛り上げる・・・。


こちらは男女の踊り子。酒神バッカスの踊りに没頭しています。



たくさんの人がエトルリア人の謎とロマンを探ろうとする気持ち、う~ん、分かるような、でもエトルリア人は分かるようで全然分からない。

音楽って大事だなあっておもいます、
音、音です、生活に入り込んでますよね。

皆さんは音楽と食事の関係についてどう考えていますか?

日伊相互文化普及協会        Emi

モッツァレッラ女

2007-04-04 15:49:02 | Weblog
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イタリアではつまんない女のことをモッツアレッラと言うそうです。
ベローナの、つまんないのか、つまるのかよく分からない、仏教オタクさんが教えてくれました。
理由は淡白だからだそう。
淡白でもモッツアレッラはおいしいと私は思いますが。
決して、つまらないとかアホとかの代名詞にはしてほしくないと思いますが。



ところでモッツァレッラは水牛の乳から作るのはご存知の方も多いと思います。
普通の牛の乳から作るモッツアレッラ風は、フィオーレ・ディ・ラッテ(牛乳の花)と名づけなければいけなくて、モッツァレッラを名乗ってはいけないことになってます。
乳牛の乳に水牛の乳が規定の量以上が入っていれば、モッツァレッレを名乗ってもいいそうです。
確か、30%以上だったかしら。記憶違いでしたらごめんなさい。



スローフード協会が出来た頃、水牛の数に比べて市場に出回っているモッツァレッラの量が多すぎると問題になったことがありました。
アメリカ企業に量産をあおられた生産者さんたちが、規定以下の混入で市場に出したのだそうです。



この頃、国内産モッツァレッラというのを日本で見かけます。
はて、日本国内に水牛はいるのでしょうか。皆無とは思えませんが、不思議です。
水牛の乳を混ぜるにしても、輸入はしてないはず。不思議です。
誰かこの「謎」を解いてくれませんか?



モッツァレッラはおいしいと思います。
もし、モッツァレッラのような女といわれたら、「色白で、ムチムチしているのね」と喜びましょう。

                                Emi