日伊相互文化普及協会

日伊相互文化普及協会のブログです。

イタリア人とヨモギ

2008-04-24 15:33:17 | Weblog
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ギリシャやアラビア半島、南ヨーロッパではヨモギは古くからあって、エジプトではピラミッドを建てた時の際の奴隷たちのスタミナ源になったんだだそうです。
小麦に混ぜてパンみたいに食べたんでしょうかね。
砂糖やオイルは貴重、奴隷の口に入るものではないから、お菓子や天麩羅ではないでしょう。

イタリアではヨモギはアッセンチオといいます。俗語ではサン・ピエトロの草なんだそうですが、この俗語を知っている現代人はあまりいません。

イタリアでの食べ方ですが、カンパーニャ地方の田舎ではフリットにして食べるそうです。
北では蕎麦粉に混ぜたり、南ではパスタに入れたり、またお菓子に使う地方もあるそうです。
日本と同じで伝統的なものが遠くなっていく今、私はイタリアでヨモギの料理を食べたことがありません。

ベローナ郊外、アディジェ川のほとりでヨモギの群生を見て、「食べようよ」と一緒にいたミラノの腐れ縁の世話焼きばあさんに言ったことがあります。
ばあさんはめんどくさい、という顔をしました。
そして「薬効のあるものは毒もあるんだよ、背丈のあるヨモギの上から15センチより下は肝臓に刺激が強すぎるんだ」




一番一般的な食用はリキュールです。
「健康にかけて、ヨモギは万能だよ」とジャンピエロはいいます。

険しい道や山歩きの時には、ヨモギの葉を靴に敷くと足が疲れないそうです。
でも、靴や靴下がヨモギ色に染まりそうですねえ。

またヨモギは悪魔よけの草ともいわれます。
「ヨモギはタリスマーノなんだよ」とジャンピエロは言います。タリスマーノとは災いを遠ざけることなんだそうです。



アルト・アディジェ地方、ドロミテ山中の避暑地で友人のベッピの家族とひと夏を過ごしたことがありました。
用があってふもとのベッピの家に下りた時、近所のおばあさんと話をしました。
背筋は真っ直ぐ、シャンと歩き、ハキハキ話すおばあさんは98歳でした。
話は魔女のことになりました。
「このあたりは箒に乗った魔女が夜、空を飛ぶんだよ」
その種の魔女の名前も聞いたのですが忘れました。(思い出したいです。誰か知ってたら教えてください)
「悪魔よけの草を軒に吊るしておくと家の中を覗かれないんだ」
その草はヨモギ。
こんなことを語る人は消えつつあります。



昨日、オルヴィエートのシモーナから、イタリアスローフード協会プロジェクトのひとつ、「味の箱舟(庇護食品)」にピックアップされた、最新版イタリアの食品リストが送られてきました。




196種の中には「ナポリのサンマルツァーノ」も入っていて、あれ? と思いました。
消えていきそうなものを庇護しようというのがこのプロジェクトなんですが、ナポリにはサンマルツァーノ・トマトは溢れていて、膨大な量を輸出してます。
イタリア人が、ナポリ人が、サンマルトァーノ・トマトを手放すかしら?
サンマルツァーノなしではイタリア人は生活をやってけないのでは。
消そうと思っても消えませんよ、これは。
サンマルツァーノを選ぶ前に庇護した方がいいものはいっぱいある、それは食の文化でも・・・・。

過去にたくさんの人たちの役に立ってきたヨモギの文化。
イタリアでもう一度返り咲いてほしい。

日伊相互文化普及協会      Emi

スローフード・味の箱舟

2008-04-23 14:37:41 | Weblog
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6月のイタリア視察の件では多くのお問い合わせを頂き、定員を大幅にオーバーし、たくさんの方々にお断りをしなければなりませんでした。
当協会としてはバスを大型にすれば問題はないのですが、受け入れ先のルッカやオルヴィエートから、サービスが低下せざるを得ないからこれ以上はお断りをしてほしいといわれました。

イタリアではたくさん来てくれればいい、というものではなく、自分たちが迎えるお客様に、充分なサービスができ、満足を与えられることに重点を置き、それが叶ったときに自分たちの誇りを満足させられるようです。
今までイタリアの個人や公共機関のやり方に、利益が度外視されていることをたくさん見てきました。

収穫の秋、10月には「スローフード祭参加と食文化研修」を予定しております。
5月20以後に滞在内容などを公表をするつもりですので、またお問い合わせください。




さて、このところスローフードに付いて書いてきました。
運動のひとつに「消え行く伝統食品や、その生産に携わる弱小企業や個人を守る」というものがあります。
そして1997年にこのまま消えるには惜しい食品や食材をピックアップして「味の箱舟」に乗せようというプロジェクトが始まりました。
「ノアの箱舟」に大切な生き物たちを乗せたように。

食材や食品の保護にはスローフード協会や自治体だけが携わっているわけではありません。
保護活動に自分の財産を投じる人たちも少なくありません。




シエナの郊外にベルセデーレという、幾重にも重なる丘があります。
ベルセデーレとはきれいなお尻という意味で、その名のとおり、なだらかな丘陵はスタイルの良い女性のお尻のよう。(口語ではお尻はクーロといいますが、エレガントな言い方はセデーレです)
ベルセデーレの上には中世に建てられたお屋敷があって、貴族の末裔が住み、あたり一帯はこの貴族たちの所有です。
エレガントなお屋敷の周りには豚舎があり、豚舎の外には300頭ほどのシエナの在来種、チンタセネーゼという豚が、草を食んだり、駆けっこをしたり、泥溜まりの中で泥んこ遊びをしています。
この豚たちの世話をするのは屋敷の長女、マリアさん。
髪を無造作に束ね、ゴム長をはいて、丘や沼地の豚を追っています。
本業は弁護士です。
弁護士業を務めながら、チンタセネーゼの世話をするのはたいへんな労力だそうです。




チンタセネーゼは一度、絶滅の危機にさらされたシエナの在来種です。
マリアさんは復活をさせるのは自分の役目だと思ったそうです。
チンタセネーゼを売って儲けようというためではありません。
シエナの食文化という財産復活のためです。
復活までには長い年月と莫大な資金の投資が必要でした。
家族は養豚には関わっていませんが、マリアさんのすることには誇りを持って見守っています。
私がベルセデーレの屋敷を訪ねたとき、マリアさんは草と泥の付いた作業着姿、お母さんは上品なスーツ姿。
お祖母さんは刺繍やレースの付いたドレスを着ていて、絵から抜け出た老貴婦人のようでした。
この3人のいでたちにシエナの長い歴史と、豚たちの物語を見た気がしました。

スローフード協会シエナ支部の会長、ビエキさんはチンタセネーゼの復活をとても喜んでいて、度々マリアさんを訪ねています。マリアさんはスローフード協会の会員ではありません。




日本でもスローフード協会の日本支部が増えてきました。
そういった支部が弱小企業や個人生産者に資金を提供するでしょうか?
在来の食材や伝統食品を守るためにお金を出すでしょうか?
聞いたことがありません。
資金がないのが理由だそうです。
では、資金を持っている企業や個人資産家に働きかけているでしょうか?
それも聞いたことがありません。

食育とか、無農薬食材のPRなんかはやってますね。
イヴェント的なこともやってますが、物産展や村おこし風に見えます。

日本の支部は「こんなことをやってるんですよ!」と今、見えることだけをアピールしたいように思えてしまいます。
弱小企業や個人を守り、消滅しそうな食材や食品を守る・・・。
2年や3年では結果は見えません。10年単位の時、そして辛抱が要ります。とても地味な行為です。

「時」が育てる大切なものがなければ、今、やっていることはできない、ことを考えてみたらどうでしょう。

日伊相互文化普及協会         Emi

イタリア人のスローフード②

2008-04-09 18:31:17 | Weblog
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先日、ウンブリア州のオルヴィエートでは突然の寒波が戻り、果物の花がたくさん落ちてしまったと、友人のジャンピエロが嘆いていました。
ミラノは控えている選挙のために「町がざわついてて、落ち着かないのさ」と腐れ縁の世話焼きばあさんはブツブツ言ってます。

さて、前回のブログの続きです。
この①~⑦はイタリア人が挙げた、スローフード活動のテーマのひとつ。


①従来の生産法や飼育法を守る。
②自然に沿った土作りや肥料作りを行う。
③従来の生産法で伝統的な食品を生産している個人や企業を守る。
④地方色を大切にし、育てていく。
⑤チーズ、ワイン、酢などのような自然が育む食品に人工的な手を加えない。
⑥子供たちに食の大切さを伝えていく。
⑦食事の時間を大切にし、楽しんで食事をする。

イタリア人がこれらについて何を感じるか、でした。



①従来の生産法や飼育法を守る、と、②自然に沿った土作りや肥料作りを行う。

イタリアでは日本のように効率を上げる細工や、農薬に頼っている農家を見たことがありません。
農薬は育っていく過程で、どうしても使わなければならない場合にだけ、少量だけ使って、収穫期には残留させないようにしているようです。
病虫害の予防には植物から抽出した無害な薬品もあります。

鶏は畑で摂れたカボチャやトウモロコシ、地面の草をついばんでいます。
広い牧場の土の上を転がって遊ぶ豚、緑の草原で尻尾を振る牛を私はたくさん見てきました。
ブロイラーの鶏、狭い厩舎にいる豚や牛もいると思います。でも私はまだ見てません。

イタリアの生産者は自分の生産法や生産物に誇りを持っています。
化学薬品を使うと、野菜や果物は苦味やエグミが出て、卵や家禽の肉は味が落ちます。
安全かそうでないかを言う前に、そういったものを市場に出すことを生産者たちは恥としています。ものを創造する重大な責任とプライドを太古の昔から引継ぎ、消費者はそれを敬っています。



③従来の生産法で伝統的な食品を生産する個人や団体を守る。
途方もなく手のかかる食品の生産から手を引く人たちもいます。
自治体やスローフード協会ではこれに対して補助金を出し、伝統を守ろうとしています。

④地方色を大切にし、伝統を守る。
「オラが村が一番!」のイタリア人。地方色は消えることがないでしょう。



⑤チーズ、ワイン、酢などのように自然が育む食品に人工的な手を加えない。
これもプライドの問題で、大方のイタリア人は細工をすることは自尊心が傷つくと思うんじゃないでしょうか。

組織化されたところになると、プライドは個を離れて宙に浮いてしまうこともありますが。
先日私はある日本で行われた世界の食品フェアで、バルサミコクリームを見つけました。
わりと大手の企業のようでした。

珍しいので日本に入れてみようかと思って、イタリアの友人、ジャンピエロに電話をして企業名と品名を言いました。
すると「やめろ、あたりまえにやってるところに連絡をしてやるから」と即座にいわれました。
そのバルサミコクリームは添加物などは使っていませんが、熟成期間を短縮し、バルサミコ酢以外の酢も加えているのだそうです。
その企業の取引相手は外国なのだそうです。



日本のスーパーや小売店で売られている味噌、醤油、酢などのほとんどが、従来の熟成期間をはるかに短縮したものです。最近無添加と書いてあるものも出てきましたが、ごく一部であって、わけの分からない添加物や、醸造用アルコールが入ったものが売り場の棚に違和感もなく並べられています。
日本人はそれをなんとも思っていないようです。

ですから大方の日本人は、そのバルサミコクリームに疑問を持たないかもしれません。
かえって添加物が入ってないから、良いものだと思う人もいるかもしれません。
なるほど、日本じゃ売れるかも。
だから日本に売り込みに来たのかな。



⑥子供に食の大切さを教える。
いくつかの宗教的な逸話を聞いた気がします。
食の大切さについては、中世の時代に健康全書が出版されています。
200年前にはアルトゥージ・ペッレグリーノという人が健康と食材、料理、食の大切さについて細かく書いた物が出されました。以後、時代にあった言語表現に訳さて続けてきて、現在もベストセラーです。



⑦食事の時間を大切にする。
よほどのワーカーホリックや拒食症なんかで「食べるのなんかどうでもいいわい」でない人たちでない限り、イタリア人にこの言葉はいらない、私はそうはっきり言いたいです。
いかに有意義な食事タイムを得るか・・・、日々の思考のほとんどを占めているのではとさえ思ったりします。



また、彼らにとって食事の時に大切な人たちと一緒にいることは、とても重要なこと。
イタリア人家族や親しい友人仲間の挨拶言葉には「Ciao, al pranzo(じゃ、お昼ご飯の時にね)「Ciao a la Acena(じゃ、夕ご飯の時にね)」が日常に使われています。

日本で息子が「じゃ、お母さん、お昼ご飯のときにね、行ってきまーす」とか夫が「じゃ、君、夕ご飯の時にね、行って来るよ」などと言ってみたらどうでしょう。

イタリア人は①~⑦を「そうだ、そうだ、もちろんだとも!」と首を縦にふるでしょう。
でも「これがスローフードだよ」と言うといぶかるでしょう。
彼等にとってこれらは特別なことでもなく、常識範囲の中のことだからです。

今まで、イタリアスローフード協会に加盟しているたくさんのイタリア人に会いました。
彼等にとって、スローフードとは「食を通していかに人生を楽しむか」であるようです。
ときめき、ユーモア、笑いがあって、時には議論や比喩もある・・・・。


日伊相互文化普及協会       Emi


イタリア人のスローフード

2008-04-02 15:37:37 | Weblog
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イタリアでイタリア人からスローフードという言葉を聞くことはまずありません。
スローフードシティの母体地となっている、オルヴィエートで行われる伝統的なスローフード祭の最中でさえ。
スローフードのイヴェントであることをスローフード協会はアピールしますが、人々はオルヴィエート・コン・グストと呼びます。グストとは味覚です。
オルヴィエートで行われる味覚祭というわけですね。



参加チケットにすらスローフードとは書いておらず、申し訳程度にロゴが入ってます。ソムリエさんたちのエプロンにもスローフードマークのマークはありません。
しかも彼等は「スローフードとは」とか「スローフードのワインだよ」とかは全くいわず、スローフードという言葉も発しません。
彼らは美味しいワインを誇りにしていて、スローフードには興味はないのです。




でも、これはスローフードのイヴェントです。
講演会会場ではスローフード協会の役員たちが次々と壇上に上がって、生産者たちのこちゃ生産物についてスライドつきで講演をします。
イタリア人にはなぜか人気がなくて、聴講にお義理で来ていたように見えるイタリア人たちは、2人目の講演者になる頃から消えていきます。

残るのは外国人ばかり。外国人は最後までいます。
(英語、フランス語、ドイツ語が選べるイヤホーンが配られてます。日本語はありません。)

講演が終わるとこの講演会会場で、とびきりのワインや、美味しいツマミがふるまわれます。この時、どこから湧いてきたのかしらと思うような数のイタリア人が飲み食いしてます。



ルッカで行われる中世の晩餐会もスローフードのイヴェントとして行ってますが、人々はノッツァーノと呼びます。

ピエモンテ州の米どころ、スローシティに指定されているカサルベルトラメ市にはスローフード館があって、館の中はスローフードのマークがあちこちに目立ってます。



カサルベルトラメ市では、毎年私たち一行をこのスローフード館でもてなしてくれ、私たちはご馳走になってきました。
でも、市長や副市長、スローフード協会役員から「私たちのスローフードはね」とか、「スローフードとは」とか「これがスローフードだよ」なんて、スローフードに関したことは聞いたことがありません。
聞けばもちろん話してくれるだろうけれど、日本人が想像しているようなことは言わないでしょう。



スローフードという言葉を生んだイタリアでは、日本ほどスローフードの言葉を知らない人が多いのは前回のブログで書きました。
スローフードの言葉を知っている人でも「ああ、ズローフッドね」と言うだけでスローフードについて先を続けようとはしません。


ボローニャのアンナはちょっと違います。
「あらっ、ズローフッド、興味あるの?」と目を輝かせました。
次にアンナの家を訪ねたらスローフードについての本を数冊用意していて、「これを読みなさい!」
彼女の教育者精神ではないかと思います。彼女は教育熱心な中学校の教師でした。
何かに関心を持つ生徒(人)を放っておけないのでしょう。
でも同じ教育者でも大学の教授をやっている、アンナの夫のアントニオは「家は大学ではないから知らんもんね」と、私を放っぽってますが。
スローフードでもズローフッドでも関心がないアントニオは、スローフードの本を私に押し付けるアンナ、押し付けられる私をボーッと眺めています。



日本ではスローフードというと、「何かいいこと」のようにとらえてる人が多いように思います。

イタリアのスローフード協会が提唱するスローフード活動の中には、こういったことが取り上げられています。
これらのことだけを、イタリアのスローフード協会が熱心なスローフードのテーマとしているというわけではありませんが。

①従来の生産法や飼育法を守る。
②自然に沿った土作りや肥料作りを行う。
③従来の生産法で伝統的な食品を生産している個人や企業を守る。
④地方色を大切にし、育てていく。
⑤チーズ、ワイン、酢などのような自然が育む食品に人工的な手を加えない。
⑥子供たちに食の大切さを伝えていく。
⑦食事の時間を大切にし、楽しんで食事をする。

日本ではこれらの内容に、「ハッ」とする人がいるかもしれません。
でもイタリアで「ハッ」とする人はいないでしょう。
アンナだって「ハッ」となったわけではありません。

イタリア人が①~⑦を「これがスローフードなんだよ」といわれた場合、彼らが何を感じるか。
次回のブログで書いてみたいと思います。


日伊相互文化普及協会        Emi