tyokutaka

タイトルは、私の名前の音読みで、小さい頃、ある方が見事に間違って発音したところからいただきました。

あのとき

2010年09月05日 22時48分32秒 | Weblog
ひとは時々、「あのときこうしていれば・・・」と振り返ることのある生き物であるという。ほぼその大半は、後悔の念を伴ったものである。

「あのときこうしていれば、人生こう変わった」とか、
「あのとき素直に告白していれば、今頃は」といった具合だ。

ただ、私にはそれが無いように思う。「あのときそうしなかったから、今はおおむね悪くない」とか「あのとき、あの人を選ばなかったから今をもって自由に生きている」とか。それは、そのとき、何もしないという事を含めた選択が重要であるのだと思う。

「仏の魂」の基準

2010年09月05日 12時19分02秒 | カルチュラルスタディーズ/社会学
「専門書が欲しければ、ジュンク堂書店へ行こうね」という認識が生まれて既に久しい。それだけ専門書の数が豊富なのだが、十分に納得できる店を作るには、相当の経験と商品知識がないと難しい。最近、私が住む奈良でよく目にするのが、大型店舗の開店である。たとえば、近鉄奈良駅にはK書店があるが、本来の敷地以外に、近くのビブレの地下に大型店舗をオープンした。そのふれこみは「売り場面積が500坪、専門書から児童書まで40万冊の品揃え!!」というものだが、私の認識では、「よくわからない店」になっている。

よくわからない店になったのは、同じように経営する本屋が、目と鼻の先に店を構えておきながら、その二つに棲み分けを作るのではなく、よく似た品揃えにしてしまっていることである。言い直せば、従来のA店舗の品揃えに、B店舗は店舗面積が広くなった分、商品をさらに多く追加したという程度である。

ジュンク堂は神戸が最初の本部であったが、やはりこれと似たような状況であった。ただ、今日、専門書でそれなりの名声を得るに至ったのは、一つの店舗を専門書中心という「棲み分け」の設定を行ってノウハウをためた事にある。

K書店の場合、表通りの店に一般的な書籍や雑誌を置き、ビブレの地下店に専門書かあるいは品揃えで特色ある店を展開するのが戦略である。若者中心の店の地下に雑誌をわざわざ買いに入ってくる客は少ない。それは、ビルの9階に店を持ち、そこへ雑誌を買いにくる客がどれだけいるのかという命題と同様であり、そこへ買いにこさせる仕掛けが必要という事でもある。

最悪なのは、売り場面積の広さが本の多さにつながってくるという誤った認識を経営の側も客の側も持っていることだ。私の専門が社会学というのもあるが、ここ最近オープンした大型店舗の社会学の棚の内容の薄さにはあきれる事も多い。これは奈良だけの問題ではない、京都でも同様なのだ。

特に京都のO書店は、イオンに大型店を作ったが、社会学のみならず総じて内容が薄いので数回行って足が遠のいた。奈良のK書店もしかり。

「仏作って魂入れず」ということわざ?があるが、最近、私の周りでオープンした本屋がこういった状況だ。