そこは神の山と呼ばれる北の方の山の中、あるいは都市の郊外・・・
2008年10月30日、私にとある学校法人から出頭命令が降りた。学校職員の面接である。自慢じゃないが、これまで学校職員という職種には縁がない。ことは前にも書いた。その上でとりあえず面接である。
しかし、私は気楽であった。「とりあえず員数合わせでよんでもらったこと・・・」と思って面接に向かった。それ以外にも、派遣で印刷会社の日本語の校正を紹介してもらったという事がある。
A社の学校事務エントリーに失敗してからしばらく、やはりA社から今度は京都のオムロンのフランス語電子辞書の内容チェックの仕事が入って来た。紙の家電製品のマニュアルを見続けるより遥かにマシなのだが、問題は2009年1月末までの契約である事。さすがに長期を探していたから、短期を行うのは抵抗があって、一度は断った。
だが、他に仕事がある訳ではない。それで、一週間もした頃、電話をしてみると、やはり他の人間で埋まっていた。当たり前だ。もう10月も20日くらいになっていた。さすがに焦る。そこで浮上したのが、私にとっての「禁断の派遣会社」である。
派遣会社のM社に登録したのは、2004年と古い。あの頃私はとある専門学校の制作部のバイトで、イラストレータとフォトシショップで広報ツールの制作を行っていた。それを活かして、DTPのオペレータの仕事を探していた。DTP関連の仕事を多く持っていたし、派遣でも経験になる。しかし、登録時のスキルチェックはふるわず、その後少しの間、仕事が紹介されなかった。それからしばらくして電話がかかって来たが、紹介されたのは校正と制作管理の仕事。明らかに望む物とは違った。それに対して気分を害する
大日本印刷の子会社だという事であったが、もう制作は大日本印刷自体が行うのではなく、子会社が行っていると聞く。時給は1000円。残業量は多く、客との折衝もあるという。今でも思うが、時給1000円はきつい。当時勤めていた専門学校の制作も時給1000円だったが、交通費は出た。しかし、保険の類いは全くなかった。交通費が無くて、保険をとられると月10万がせいぜいである。確かに残業代で稼ぐことは可能であるが。
何よりも問題なのは、DTPから外れてしまう事である。ただ、担当者は「貴方のDTPの能力では仕事は紹介できませんね」とまで言った。ここまで言われたら、その派遣会社にこだわる必要性も無い。そのとき私は断ったが、事態のひどさは感じていたし、まして、次紹介が受けられる保証は全くなかった。
それが尾を引いて、いままで避けて来た会社である。厳密には、先の翻訳会社にいる時も電話がかかって来て、仕事の状況ついて聞かれた事がある。でも当時は「ええ、契約社員として就業しています」と答えた事がある。若干の優越感があった。
「ざまあみろ、紹介を受けなくとも、契約で仕事を見つけてやっているぞ」
それからしばらく、その会社も辞めて、ウロウロする日が長々と続く。
そうは言っても、金はドンドン無くなっていく。時給1000円しか出ない会社でもやらないよりマシだ。そう思って、次の日、ネットで手頃な仕事を探した。目標は「日本語の文章の校正である」これは楽勝であった。1300円だったが、大阪の難波の印刷会社のカタログ校正であった。期間は12月の末まで。
あの時、私の頭では年末までの仕事と年度末までの仕事の二段階に分けていて、それで動くつもりだった。それで春は迎えられる。エントリーして次の日、電話がかかって来た。ここ数年の経歴を聞かれたあと、難波の仕事は他の人間で塞がったが、芦原橋の印刷会社の仕事が発生しつつあるという。路線図を見ると、大阪環状線の枠内。少し交通費がかかるが、行ける場所だし、紹介を受ける事にした。次の日に面接が行われた。当初12月下旬までの約束は11月いっぱいにされたのだが、それでも良いというと、では来てもらいましょうという話になった。それは10月29日。次の日から、ということもあったが、実は28日にかの学校法人からの面接の約束が取り付けられていた。
30日は学校法人の面接。11月1日スタート。
さて、学校法人の話に戻そう。その求人を新聞で見たのは11月の半ばであった。見てると分かるが、新聞における学校職員の募集は結構多い・・・が、これらの大半は女性をターゲットとしているため、本当に受かりにくい。私も何度、蹴られたことか・・・。それゆえ、今回はもう履歴書を出す事もあきらめていた・・・のだが、家族がそれをみて勧める。
「とりあえず・・・」的な感覚で、履歴書と職務経歴書を書いて送った。・・・・ら、面接の指示である。「どのみち、男性を呼んで、公正に採用試験を行ったという感じだろう」くらいに考えた。
10月30日当日、指定された教室へ入ると、男性は私一人。あとは女性ばかり。「ああ、本当に形式的なものなのか」と確信にも似たものを得た。面接は集団面接。前半は4人。後半も4人。そのあとパソコンのテスト。私は後半のメンバーに入ったが、ほとんど何も聞かれなかった。ただ、11月いっぱいはカタログ制作の仕事があるから、12月からにしてくれと。
ワガママは言うし、ほとんど何も聞かれなかったで、こりゃあ不採用だなと思って、外の風景を眺めた。山裾に校舎を持つその学校から眺める外の風景は、結構綺麗だった。そして、私は振り返り、もう来ないと思って、バスに乗り込んだその帰りは結構楽しかった。探していた鈴木広の『都市化の社会学』を古本市で見つけたりしたからだ。
不採用が決まったも当然の帰り道はこれほども楽しかったことはない。明日からの仕事は一応確保できていたからなのか。
さて、夜。その学校法人から電話がかかって来た。もう結果が出たか。まあ、不採用出すのは簡単な人間だからな・・・。と思って、電話を取った妹から受話器を受け取った。
「本日は面接にお越し頂き、ありがとうございました。つきましては、あなたにお越しいただきたい・・・・」と。
私は一瞬、目の前が真っ白になった。