tyokutaka

タイトルは、私の名前の音読みで、小さい頃、ある方が見事に間違って発音したところからいただきました。

Macとインテル

2006年03月02日 15時42分55秒 | DTP/Web
発売されるとアナウンスされていたインテル搭載型のMacが発売された。昨日、仕事が終わってから立ち寄った電気屋で見かけた。ノートタイプはまだ発売されていないみたいだ。電気屋においてあるようなデモ用の製品で、調子の悪いものはない。悪いものを展示し続ければ、販売に問題が生じるからだ。したがって、電気屋においてある製品の持つ個性が、購入された製品にそっくりそのまま受け継がれていると考えるのも相当な問題があるだろう。かつてのMacは速度が遅かったり、こちらの入力を受け付けなかったりと、かなり問題があった。グラフィックはMacが主体だったが、それでもだましだまし使い続けているような状況だった。

様子が変わったのは、それまでのOSを一新したOS10が出たことからだ。しかし、これは出た当時は、まだまだ信頼の置けないものだった。そして何より、Windowsに近づいたのが問題であった。Windowsに近いならば、Windowsを買えばいい。何より安いというのがある。最近DTPでもWindowsを使うところが増えた。イラストとかのグラフィックは、Macを使うみたいだが、実質、Windowsで作ってもなんら問題がなく、その方がいいみたいだ。Macを使うのは最後の一線を越えたくないという気持ちなのかもしれない。だったら、Macだけを使えばいいのに。別段Windowsネイティブのデータベースを用いるわけでもない。今年の冬はうちの会社でも人が増えたからパソコンを買ったが、ぜーんぶ、DELLのパソコンだ。

でも、Windowsに近づいたOS10の安定性は無視できないくらいのものだ。
Macの本当のマニアは、このOSを認めないかもしれない。うちの会社でも社長はMacを使っているみたいだが、モニターがDELLだったような気がする。本当にマジなデザイナーが社内にいないように思う。

そこへ加えて、インテル搭載となった。ますますWindowsを選択せず、Macを選ぶことの意味が見えにくくなった。

早い早いといっても、こっちが持っている1ギガメモリーのPowerbookG4とどの程度?と思うくらいである。
電気屋のデモ品にはイラストレータをつんでいないから何ともいえないが、もしつんでいたら、その場でなんか書いてみたいものだ。結局、限界点まで検証するには、グラフィックのソフトがいい。

ろくろく使わないうちにバージョンアップ?

2006年02月03日 16時20分29秒 | DTP/Web
Adobeが昨年、自社のデザインソフトを一新したのは、このブログで紹介した。さらに、11月には、Adobeに買収されたMacromediaからウェブ系のソフトが一新された。

いまさっきまで、価格ドットコムをのぞいて、これらの製品の価格などを見ていた。あまり安いとはいいがたい。

このうち、今もっているAdobeの製品は学校を通じて買ったものだから、アカデミックバージョンで、安く手に入った・・・といっても6万円以上払ったとはいえ、純正品である。反面、Macromediaの製品は、そうではない。仔細は省くとして、Macromediaのバージョンアップを果たすには、アップグレードバージョンを買うのではなく、製品版を買わなければならない。なぜなら、アップグレードにはユーザの登録が必要だったからだ。いまでは、ネットを通じたライセンス認証を行うから、違法なインストールは出来ない。私の状況における何かをほとんど語っているような気もするが。

ただ、少し考えてみる。

本当に自分は使い倒したといえるくらい使ったのかという疑問である。そして、バージョンアップまでしなければならないのか?

かつては、かなり使っている口だったが、最近はあまり使っていないのではないかと思う。そういえば(思い出すほどのことではないが。)Macromediaの製品を使ってホームページを作ったのも大分昔だ。実は、ある時期から、ホームページの更新をためらうようになった。使い勝手が悪いからだ。いやソフトではない。肝心のホームページのほうだ。テキストが長くなるから、出版物を意識して、スタイルシートで制御したといっても、所詮は長い。これが問題だ。あと、もともとテンプレートを用いた製作をしていないから、統一性を図るとなると、かなり神経を使うし、横のメニューの増加を行うのは、もっと厄介だからだ。

これには、もう少しつっこんでドリームウィーバーを勉強しなければならない。これまでは、フラッシュとファイアーワークスを勉強するだけだったし、ドリームウィーバーは、特別知識がなくとも、それなりに使うことができるからだ。

印刷物を作るイラストレーターも、実際に使う機能がそろっているのは、98年に出されたバージョン8で、これで充分と言う人もいるくらいだ。今のは、無用の機能の拡張という話もある。

決して安いものではないから、少し考えなくてはならない。

デザインの教科書

2006年01月25日 16時19分38秒 | DTP/Web
こないだまで、『ノンデザイナーズ・Webブック』(毎日コミュニケーション 2001)を読んでいた。もう五年前に出された本だから、かなり古い。半額で売るか、100円で売るかと言う本が多いブックオフで、4分の1の値段で手に入れた。確かに賞味期限が過ぎているとは思うが、中核的なところは、今でも使える。しかし、どんな人がデザインの教科書ともいえる本を使って勉強するのか?

よく、芸術大学に通う人を見かけるが、彼ら彼女らは、どんな教科書を使っているのかと思うことがある。もちろん絵画を制作する専攻だったら、「手軽なイラストの描き方」みたいな本は要らないが、上級編の本も少し思いつかない。かといって、絵画史の本ばかりを使っているようにも思えない。教科書がなければ、先生の話を聞くだけのようにも想像するが、何を教えるのか?という疑問にもなってくる。とはいっても製作実習ばかりではないだろう。

この本姉妹編として、『ノンデザイナーズ・デザインブック』があるが、こちらはよりDTPの製作を行ううえでの、デザイン的なところを教える内容となっている。対象は、完全な初心者用と見ていいかもしれない。

絵の具や油彩を用いて、絵を書くことが主流だった時代は、その技法は完全に個人の才能の部分が大きかった。しかし、比較的簡単にデザインソフトを用いて描ける今の時代は、その技法の部分で求められるものが格段に高くなった。上が高くなっただけで、こうしたソフトの普及によって、デザインの敷居が低くなったとは、思えない。

デザインの初心者にとっては、基礎の部分を押さえるだけで一生がかかるくらいである。

堀江氏はWebの制作を辞めたのか

2006年01月21日 23時48分53秒 | DTP/Web
残業やら風邪やらで、結局思うように動く事が出来なかった今週一週間。その間にあのライブドアに強制捜査が入った。合法ぎりぎりの線での株の取得と、企業の買収。しかし私自身はその事に対してそれほど興味が無かった。もともと金の亡者とも言えるくらいの堀江氏だ。しかし、彼の「どれだけ持っていても損にはならないでしょう」という発言は私個人、反発よりも同意を示す。というのも、これだけあれば充分というのは、往々にして足りない状況が生み出される。だから私は財布には少し多めに金を入れている。使わなければただの見せ金だ。そう、使わなければいいのだ。しかし、多めに持たないのと持つのとでは大違いである。これは親から教えられた。うちの実家だけの特殊な事情でもないみたいだ。遥洋子も親から教えられた事を著書の中で書いている(『東大で上野千鶴子にケンカを習う』筑摩書房)

ところで、堀江氏はあれだけ金に固執する理由がある事は、何となく気づいていたし、その理由もわかってはいた。企業買収と言う手法でお遊びとしてとしてのマネーゲームを行っている事ではない事は確かである。私はおそらくWebに関連する事だろうと思った。あれだけ稼いだ金を使うとしたら彼の事だ、後にも先にもWebだろうとは思っていた。

インターネットの草創期に、その魅力に取り付かれた人間の、情熱はつい最近この世界に入ってきた私たちの比ではない。おそらくこの情熱はそっくりそのままモチベーションという言葉にも置き換えることができるであろう。

となると、ライブドアの本業たるインターネット関連の収益はどうなのだろうか?

実は今回の騒動が始まった当初から、そこへ話が落とし込まれるだろうと感じていた。そしてまた予想こそついていたが、正直なところその言葉はあまり聞きたくないというのが、本音でもあった。インターネットの業界にほんの少し脚を浸している人間にとっては、あまり良い言葉が帰ってくるようには思えなかったからだ。

望むと望まないに関わらず、ライブドアの内部事情が明らかになる。あれだけの大企業にありながら、インターネット部門の収益は相当な赤字を計上しているのだ。
これは他社の事情だと言えるほど、垣根の違いを認識できる世界ではないのである。ライブドアがあのくらいの状況だから、他のインターネット産業も同様と考えるのが普通だろう。

そのように見ると、次のような結論が見えてくる。すなわち未曾有の社会経済への影響を及ぼした今回の騒動の背景には、インターネットの凋落が大きく関係していることだ。

しかし、本当の作り手とは非常に小さな存在である。安定したその小さなつくり手を目指し、彼はタブロイドの餌食(今では一流誌もそうだが)になるような道を選択したのではないかと。

最後に堀江氏に聞きたい。
「最近自分で作ったホームページはどんなホームページですか?。それはかつてのように、インターネットに将来性と魅力を感じた時のように、楽しんで作れましたか?」と。

フォント購入計画

2005年12月01日 15時33分53秒 | DTP/Web
仕事以外のプライベートな課題で、DTP関連の製作を行うことになった。
しかし、フォントがこれというものを持っていない。
そこで、改めて手持ちのフォントを確認して、購入しようかと考え始めた。

DTPを習いに専門学校に在籍した当時、先生から、DTP・Web関連の材料を通販で取り扱っている業者を教えてもらった。その名はマルチビッツ
会社勤めの人でわかりやすい例を言うと、アスクルやカウネットなどの業者のことを指す。

会社にもカタログがあるが、請求すれば、個人でも送ってもらうことができる。
10月くらいに請求しておいた。昼休みに会社のをぱらぱらめくって、続きは家のカタログをめくる。このカタログ、結構重いから持ち運ぶにはしんどい。

フォントの業者のすべてを扱っているわけではないが、それでも主要な業者は抑えてある。

今買うならば、オープンタイプフォントである。フォントにも大きな分類枠があって、TURE TYPEやCIDなどといった種類があるが、本質的にはアドビ、マイクロソフト、アップルなどのコンピュータ会社が、どこと組むか(協力した)で決まった枠組みのようなもの。使用者にとっては長く意味のないものだった。おまけにフォントは本来、プリンターにもデータをインストールしておかなければならないものだった。

そこへマック、ウィンドウズの両方に対応し、プリンタフォントの要らないタイプが出て、最近ようやく普及してきた。それがオープンタイプフォントと呼ばれるものである。

フォントの価格相場が高いうえに、新型だけあってまだまだ高いが、それでも価格は落ち着いてきたみたいだ。

昔は明朝体が一番美しいと思ったこともあるが、それはワープロの文字だけ見慣れてからだ、フォントの本質というか、美しさの判断は私個人の場合、ゴシック、特に角ゴシックと思っている。今回もこれで購入の判断を行うつもり。


壊れたファイル

2005年11月08日 23時08分59秒 | DTP/Web
1990年代に入って急速に普及し、今日ある意味で衰退傾向にあるDTP。
色々言うが、結局のところ、DTPとはパソコンを使って商業印刷用の原稿を作るという行為の総称である。

しかし、パソコンを使って制作するという行為そのものが、実に危ない橋を渡るという行為なのである。危ないとは、すなわち不安定な電子ファイルを作るということなのである。その他、機械の持つ性格や特徴をしっかり把握しないまま、デザイン重視で作った結果、結局画面では再現されても、紙の状態での出力が不可能になったということがある。そこには、決してデザインだけでは埋められない知識が必要にさえなる。

時間とある程度余裕のある予算ならば、その枠内で、かつて不可能といわれたデザインを作り出すことは可能である。例えば、auのinfobar。あれは従来の工業プラスチックや技術では制作不可能といわれた。しかし、実現してしまった。何度もデザインを煮詰めなおして実現したものである。しかし、DTPの世界で表現としての新しいデザインを提案することは出来ても、従来の作業工程に関する新たな提案を行い、受け入れれることは不可能に近い。新しい技術の検証が不可能なのだ。むしろ古く、手堅い技法を使い続けるほうが非常に安全である。ただ、この方法にも限界がある。

今日、クライントからもらったQuarkXPress3.3をPDFにしたデータをフイルム制作に回したところ、見事なエラーが出た。グレーの部分が一部再現されていないのである。原因は究明中。根本的に、Quark3.3はかなり古いソフトだから、PDFに落とすという行為が行いにくい、それ以上にQuarkでPDFというのが難しいのだ。フォントも昔のものしか使えないし。

古い技術を守って、つぶれていく会社は非常に多い。DTPの世界では。


そしてFlashはIllustratorに限りなく近づいた

2005年10月31日 14時22分38秒 | DTP/Web
ずっと気づかなかったけど、10月10日くらいに、MacromediaのWeb開発系ソフトが新しくなったらしい。ネーミングは、従来のMXに西暦を入れたMX2005ではなく、それぞれのソフト名の後ろに「8」がついただけだった。単に私個人の問題だけど、なんとなくひっそりと売り出されたような印象がある。

それぞれのソフトの改良部分だが、DreamweaberはXMLとの連携が強化され、これまで見えない内部記述存在だったCSSが目視できるようになったこと。従来はDreamweaberでHTMLを組み、CSSの設定を導入しても、それの効果を確認するには、IEやサファリで開いてみる以外方法がなかった。この技術で、どのようにしてCSSを確認できるのかは楽しみだ。Flashは描画時の効果が、限りなくIllustratorのそれに近くなり、多くの効果を生み出すことができるようになった。しかし、文字に影をつけたりするような描画上の効果は、ファイルの容量を増やすことになり、動きが遅くなることも考えられる。もともと、動画を軽く作ることを目的として作られたFlashだったが、今回の追加でそのあたりがどのくらい考慮されているのかも知りたい。

使ってみたいが、あいにく持ち合わせが・・・

できる社員ほど仕事の割り振りがいい

2005年09月23日 00時16分47秒 | DTP/Web
私はまだそれほど采配の方法がわかっているわけではないけど、できる社員ほど仕事の割り振りがいい。それも仕事を受けたときから、大体どのような割り振りかということが頭の中に出来ている。途中から手伝ってもらうということではないのだ。

と書くと、その社員は楽をするために仕事を割り振るのだという意見があるが、基本的に、DTPやWebの仕事は、とても1人で出来るものではない。最後まで自分でかかえこんで、締め切り間近に、応援を頼む人は多い。どんな量でも、大変なのだ。

おかげで、閑散期のはずが、今日は残業だ。本当に仕事のない日は無いくらいだ。

「建築絵師」という訳語

2005年08月19日 15時04分46秒 | DTP/Web
レム・コールハース著/鈴木圭介訳『錯乱のニューヨーク』(筑摩書房 1995)という本を読んでいる。私が手に入れた本はハードカバー版だが、現在はちくま学芸文庫で安価に手に入れることが出来る。この本も文庫発刊後に手に入れたが、ハードカバーにこだわったのは、写真が多く使われていることと、カバーの装丁がなかなかすばらしいからだ。

内容は、ニューヨークという町の発展と、摩天楼の成立過程について書かれている。早い話が建築史の歴史について書かれた本なのだが、都会に超高層のビルを建てるという夢がどのように実現していくのかついて説明されている。

面白いのは、現在われわれが見慣れた超高層建築の大部分は、1900年代の初頭には荒唐無稽な未来の予想図のようなものとして描かれたということ。ということは、実現しないものとしての諦観の概念の現われでもあったのだ。

さて、こうした「諦観」漂う未来予想図を現実に変えるという技術者の苦労について書けば、プロジェクトXになってしまうが、本書はその方向の本ではない。むしろ現在ある高層建築の根底には、芸術的な発想のデザインが提唱した荒唐無稽さがあったことと、それを作り出した芸術家の方に焦点があたっている。

その中にあったのが標題の「建築絵師」という訳語。

いま、デザインを主体とする建築家の大部分は、荒唐無稽さよりも実用性の高さの方が優先されるし、そうしないと問題になる。でも、単なる絵を描くように、こうした荒唐無稽さが未来の建築を支えていた時代があったのだなということを再確認させてくれるのが本書だ。そしてデザイナーは画家や絵師であったということ。

デザインが優先されるDTPやWebは、今、どこまで未来を語っているのだろう。

「言われて作っているのではない」部分の本質

2005年08月05日 12時50分28秒 | DTP/Web
以前にも、ここで書いたことだけど。オペレータをしていくにせよ、だだ作っている、修正しているだけの存在になりたくないと書いた。でも、本当は、このただ決まった仕事に対して何らかの付加価値を付けていくことが非常に難しいし、この部分は、たとえDTPからWebの仕事に変わったとしても、それほど変わらない本質的な部分でもある。

いま、校正の仕事をしていると書いたけど、地味な仕事に見えて、本当は難しい仕事である。常に、一定の集中力を保たなければならないし、赤字の修正だけではすまない。1ページの赤字のチェックを最初の仕事にすると、そこからまた他のおかしい部分を発見し、指摘していかなければならない。

会社の契約で、出来上がったものをクライアントにいったん送って、赤字を入れてもらい、また修正して返すという作業を繰り返すが、その回数や指摘箇所が多いと信頼問題になる。

実は「慣れ仕事」であっても、その精度を高めることは非常に難しいのだ。