
あけましておめでとうなのかな。
今年の元旦は珍しく雪もなく、ものすごくいいお天気。
写真は初日の出。
自宅リビングから拝めるなんて、幸せなこと。
今朝はおもちをたいて食べた。
夫はしかたなく村の挨拶寄りにでかけていった。
挨拶だけでなく、田舎特有の神事ごとがあり、全員で神社におまいりする
というやつ。
夫はお父さんの影響で創価学会の信者なのでほんとうは神社にいっては
いけないんだと思う。
わたしはそう思ったので、去年の話し合いのとき
できないといったのに、やっぱりうちの父をはじめ、人間の減っている
村のひとのことを思うと、人手を増やす意味で
やってもいいと再度いいにいった顛末がある。
なんか、なんでそんな決断をしたのか、わたしは疑問。
それをいうと怒り出すし。
もうなんかうまくやっていけるのか、不安になってきた。
任意であったので、やめておけばよかったのに。
で、夕べいまさらになって、妹をえこひいきしてると
思えてくることもあり、もう父とも適当にしか付き合わないとか
言い出すし。
わたしはやっぱりやり直そうとしても、一生、こんな板ばさみな
思いで苦しむのか、とためいきをつきながら、夕べは年があけてすぐに
ひとり寝床にいった。
つまらないおおみそかだった。
新しい家で気分よく、おおみそかは徹夜でだらだらすごそうと
思ってたのに。
12月は日記もかけないくらいほんとうに忙しかった。
はらはらどきどきばかりで。
27日には無事に経営審査の書類も受理された。
どきどきしたけど。
でもお金の工面で走り回って。
結局だめかもと思ってた融資も無事にとおった。
なんかまだ疲れがとれない。
お正月何日かは久しぶりにゆっくりできるかな。
したいな。
引越し作業も一段落したし、暮らしのものものもだいたいそろったし。
あしたは父が妹と妹の末娘をつれて民宿へいくらしい。
それをきいて、えこひいきだというんだけど。
父にしたら、こんなきれいでりっぱな家に住めるわたしに比べて
離婚して、家もひっちゃかめっちゃかな妹がかわいそうに思えて
くるんだろうな。
でも夫にしたら、それぞれの人生であるので、かわいそうとかはない、
扱いが同じであるべき、という。
わたしらのことはともかく、孫である、娘と次男にだけでも。
でもやたらと妹の家のことばかり気にかける父に疑問を感じてる。
わたしはどうでもいいんだけどな。
父には離婚前、さんざん世話になったし、もういいと思ってる。
わたしの子どもたちには関係ないけど、
わたしはもう父にはなんにもしてもらわなくてもいい。
自立して、生きてることのほうがいい。
こんな家を建てて、うらやましがられてるみたいだけど
誰も知らないわたしなりの苦労とか涙があったのだし。
それはこれからも続くのかもしれないし。
なにかに挑戦して、可能性を試してこれたのは幸せなことだと
思うし。
自分は自分だ。
たしかに、苦労しない人生もあるかもしれないし。
苦労なんかなくても、旦那さんに食わしてもらって、きれいなおうちに
住んでゆったり楽チンに暮らしてるひとだって、世の中なんぼでもいる。
上をみればきりがない。
妹は妹でいいこともあると思う。
いまのわたしよりはずっと自由だし、休日は遊ぶことばかりで
少なくとも離婚前よりは楽しい人生に変わってる。
そんなに父が同情することもないとは思うけど、
父の思いは父の思いだし。
わたしはわたしだ。
わかってもらえるひとがいればそれでうれしいけど
いなくてもしかたないよね。
夫も100パーセントわたしを理解していないと思う。
さみしいけど。
しかたないさ。
それでも2年かかって、この家を建てることができたんだ。
夢の場所に。
ねたまれてなんか孤独なんだけど.....
それでも夢をひとつ叶えられたのだから、自分はこれで
よかったと思いたいのです。
今年はこの事務所にほんとうに会社をもちこむ。
建設業の許可をとって、こちらでも営業できたらと思ってる。
次なる野望があるのです。
そうしないと意味がなくなってしまう。
まだまだ立ちどまることはできないのです。
なにがなんでも守りたいものがわたしにはあるのだから。
それはそれでたいへんで、逃げ出したいし
いやんなるけど。
これがわたしの生きるみちなのかな。
がんばろう。今年も。
涙ふきふき根性だして;;