最後に残ったこの1台、ホイールを見ながら「ベン・ハー」の1場面を思い出した。戦車競争の際のライバル、メッサーラの戦車に付いていたのこぎり歯車。この真ん中の三角がとがっていて、前に行く戦車の車をガリガリ壊すのだ。ノールールだから認められるがひどいやり方だった。これでしかベン・ハーには勝てないと思ったのか。子ども時代には友だちとして過ごしてきたふたり。最終的には自分が壊した戦車にぶつかって倒れ、何台もの戦車に体を巻き込まれて瀕死の重傷を負う、それでもベン・ハーの傷つくひとことを死の間際にも彼は持っていた。彼の家族が死の谷にいる・・・と。わー、すごいこと想い出させる車が残ってくれたよ、たくさん並んでいるときには見もしなかったのに。
メッサーラのローマ市民貴族の出としてのプライドは最後まで消えなかった、彼は鎧(よろい)を着て競技に臨んだけれども、彼の心にはいったい何枚の鎧があったのだろう、何十枚?いや何百枚?ベン・ハーとの違いはそこにあった、ベン・ハーはユダの良家の出だが家族をかばい十数年奴隷として過ごす、幸運や悲運を越え出会うべき人に会う。
この生涯に出会ったのは高校生の時、分厚い文庫本だったが読み出すと止まらず、次の展開が気になって授業中も机の下に置き読みふけった。映画が来た時にすぐ見に行ったが本での感動は得られずがっかりしたのを覚えている。青年期に小説を読むときの想いめぐらす豊かさを持っていたのだと今は思う。先日も偶然BSで「ベン・ハー」を放映していたが4時間近くテレビの前から離れられなかった。同じものを見ても歳を取ってからだと気づくところも違ったかもしれない。
小説や他人を通して、人がいかに生きてきたかを知るのは、ひとりの人としてしか生きていけないから何と生きる糧となることか・・・・・そのたびに私も着ていたであろう鎧を1枚1枚脱いでいけたのだと思う。この歳までに、私のために愛を持って我慢してくれた人たちに、子どもたちにありがとう、体は衰えるけれど心は日々新しく造りかえられていきたいです。最後の1台、このホイールは忘れるかもしれないけど、やはり私は人が好きです。
メッサーラのローマ市民貴族の出としてのプライドは最後まで消えなかった、彼は鎧(よろい)を着て競技に臨んだけれども、彼の心にはいったい何枚の鎧があったのだろう、何十枚?いや何百枚?ベン・ハーとの違いはそこにあった、ベン・ハーはユダの良家の出だが家族をかばい十数年奴隷として過ごす、幸運や悲運を越え出会うべき人に会う。
この生涯に出会ったのは高校生の時、分厚い文庫本だったが読み出すと止まらず、次の展開が気になって授業中も机の下に置き読みふけった。映画が来た時にすぐ見に行ったが本での感動は得られずがっかりしたのを覚えている。青年期に小説を読むときの想いめぐらす豊かさを持っていたのだと今は思う。先日も偶然BSで「ベン・ハー」を放映していたが4時間近くテレビの前から離れられなかった。同じものを見ても歳を取ってからだと気づくところも違ったかもしれない。
小説や他人を通して、人がいかに生きてきたかを知るのは、ひとりの人としてしか生きていけないから何と生きる糧となることか・・・・・そのたびに私も着ていたであろう鎧を1枚1枚脱いでいけたのだと思う。この歳までに、私のために愛を持って我慢してくれた人たちに、子どもたちにありがとう、体は衰えるけれど心は日々新しく造りかえられていきたいです。最後の1台、このホイールは忘れるかもしれないけど、やはり私は人が好きです。