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東京スピリチュアリズム・ラボラトリー会員によるブログ

ミゾを深めるスピリチュアル6 ~悪感情に流されつつ~

2010-09-19 23:59:07 | m.taizo>スピリチュアリズム周囲
スピリチュアリストは他者を批判することが少ないようです。スピリチュアリストに限らず、スピリチュアルな人々の多くが、議論そのものをあまり得意にしていないようにも見受けます。

「自分がされたくないことをヒトにはしない」という“隣人愛”っぽい振る舞いは、しかし一歩間違えると「自分が批判されたくないから他人を批判しない」という打算や利己主義と紛らわしく、坂口安吾は「自らの行うところは人にも之を許せというと、ひどく博愛にきこえるが、事実はさにあらず、これほどひねくれたエゴイズムはある筈はないし、自分にとって不利な批判的精神というものを完全に取りさろうというのだから、これほど素朴であり唾棄すべき生き方は他にない」とまで言い切ったことがありました。
http://www.aozora.gr.jp/cards/001095/files/45832_39435.html
もっとも、その坂口安吾は別のところで「自分は自分の愛する相手しかヤッツケない」とも言っていたはずで、悪感情の虜にならないよう自戒していたようですし、建設的な批判というものがある種の愛情抜きには存在しにくいという内省がどこかにあったのかもしれません。自らを甘やかさないという覚悟が言わしめたのでしょう。

目指すべき理想としての〈汝の敵を愛せよ〉への道を模索する者として、スピリチュアルを取り巻く“何でもあり”状況には困惑を覚えます。他者をいたずらに批判すまい、傷つけまい、良識ある人々のそうした善意が、結果として“ミゾを深めるスピリチュアル”を蔓延させてきたのではないか?そう思ったりはするものの、悪感情とは無縁な(装うだけなら可能かもしれませんが)批判を展開する自信が今の私にはありません。

批判というのものはまず具体的にあるべきで、ヘタに一般化したりすると前回記事のように不特定多数への言いがかりっぽくなりかねません。なので例えば、シルバー・バーチの名をしょっちゅう出しつつ奇妙な上から目線で陰謀論を垂れ流している特定のスピリチュアルブログを典型的な事例として挙げて、何がどう愚劣なのかはっきりと指摘したほうがよそに流れ弾も飛んでいかないし良いだろうなどと考えたりしたのですけれど、そのブログを読み直してるうちにそれこそクソミソに批判したくなる衝動に駆られてしまったので、挫折しました。悪感情そのものです。

批判というものがもし有効であるとするならば、
「純粋無垢の真理は時として苦く、また心を傷つけることがあるものです。しかし、あくまでも真実なのですから、いずれは良い結果を生みます」(『シルバーバーチの霊訓 スピリチュアリズムによる霊性進化の道しるべ』http://www5e.biglobe.ne.jp/~spbook/sb-voice/sb-voice-08.htm)という場合だろうと思うのですが、「純粋無垢の真理」どころか動機の純粋さすら持ち合わせている自信がないので、難しいですね。

自分が間違いを犯しつつあるときに、他者にどう正されたいのか、ということが一つの基準になるのかもしれません。それぞれの個性や関係性によって変わってくるものでしょうから、対象への想像力というものを抜きにした批判はありえないでしょうね。

書くほどに自らの首を絞めつつある気もしますけれど、陰謀の有無に関わらず陰謀論がなぜくだらないのか、次回、個人攻撃を極力避けつつ考察し、このテーマをひとまず終わらせたいと思います。

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7 コメント

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経済支配 (へちま)
2010-09-20 12:54:58
上から目線の陰謀論というとロスチャイルド一族などが思い浮かびます。私はJAZZ好きなので知った話を以下に紹介します。

Thelonius Monk (1917-1982)には1971年以降の演奏は少なく、晩年のモンク夫妻はパトロン女性(ニカ夫人)の家で暮らしました。
ニカ夫人(1913-1988)は有名なユダヤ系富豪ロスチャイルド一族で、働く喜びという幸福を得ることの妨げとなる巨万の富に悩まされましたが、憧れの情熱や自由という雰囲気を持つジャズを愛しました。ジャズには心の傷を癒すパワーがあり、モンクのピアノを聴いた時に「もう、いいんだよ」という許しを感じ、泣いたそうです。
彼女はJAZZに無償の愛を感じ、恩返しとしてモンクの最期を看取ったと述べています。

現在での陰謀と言えば経済支配でしょうが、貧乏人をお金の力で支配しようとすることは、弱いものいじめと同じことだとニカ夫人は感じていたようです。
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へちまさんへ (m.taizo)
2010-09-21 21:46:25
コメントありがとうございます。

私の言う「上から目線」というのは、上から目線で陰謀論を撒き散らしている人のことでした。わかりにくい書き方でスミマセン。

「罪自体に罰は内在する」という言葉をインペレーターによって知りましたけれども、後悔するような過ちを犯したことのある人間には思い当たるところがあるのではないかと思います。
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悪に内在する罰 (へちま)
2010-09-22 20:25:39
スエデンボルグの説明を要約、抜粋します。

仁慈(隣人に対する愛、慈悲、思いやりや親切心)がない時、神(生命)からの分離が起こり、分離が起こる時、人間は自分自身に委ねられ、かくてその考えることは全て誤りとなり、その意志する所は全て悪となる。
悪と誤謬の中にいる者は、絶えず殺されはしないかと恐れている。彼らは彼らを守ってくれる者を誰一人持っていないため、全ての者を恐れている。悪と誤謬の中にいる者は、その隣人を憎悪し、全て互いに殺そうとしている。
悪霊は互いに他を罰し、責めさいなむことに最大の喜びを感じている。
誰でも人が他の者にのぞむことは全てその人自身に帰ってくるため、悪と誤謬そのものが、恐怖の原因である。悪と誤謬はそれ自身の中に刑罰を持っており、従って、彼らは自分自身の中にこれらの刑罰の恐怖を持っているのである。

上記は霊界の説明ですが、人間は生きている間も霊界との交流があることを考えれば、他人事ではありません。

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お金持ち (へちま)
2010-09-23 00:01:08
ニカ男爵夫人は、大富豪ロスチャイルド家の一族であることが、想像できないほど窮屈なもので、それを救ってくれたのがジャズだということを、次にように語っています。

「有り余るお金に囲まれて暮らすということが、どれほど退屈で窮屈なものか。
要するに、いくら巨万の富があってもしあわせにはなれないということです。
それは、日常の小さな幸せを感じることができないからです。
たたえば、友人とセーターを買いにいくとしましょう。
彼女は自分に似合うものを選ぶのにいろいろ迷います。
しかし、私は迷う必要がないのです、全部買って帰ればよいのですから。
名前を言えばお金を払う必要すらありません。
そのとき私が失うものは選択眼と友人の両方かもしれません。
それに、お金がなければ、がんばって働こうと思いますが、先祖は違いますが、私たちの代になると勤労意欲とは無縁です。
働く必要はないのですから何もすることはありません。

そんな私の心を捉(とら)えたのがビバップと呼ばれるジャズでした。
あの疾走感や高揚感が、私の心の欠けていた部分をうめてくれたのです。
ビバップの創始者たち、チャーリー・パーカーやセロニアス・モンクとは特に親しく、暖かな友情を育みました。
スタンホープ・ホテルの部屋でジャム・セッションを開き、食べ物もふんだんに用意して、一緒に酩酊(めいてい)したものです。
そのため、私はビバップ男爵夫人などと呼ばれました。
ジャズには、私があこがれるすべての要素がありました。
熱気、自由、即興、旋律にしみこんだ涙、ばか騒ぎ、楽しい仲間、音楽に対する献身。
といっても、私はすぐにジャズを理解したわけではありません、
実際、わからなかったのです。
でも、わからないから惹かれるということがあるじゃないですか。
わかりやすいスイング・ジャズには惹かれなかったのに、複雑で難解なビバップに魅了されてしまいました。
しかし、それ以上に、ジャズには私の心の傷を治すパワーがあったのです。
セロニアス・モンクのピアノを聴いていると、
「もういいよ、もういいんだよ」という許しを感じました。
チャーリー・パーカーのアルト・サックスには、生きる喜びを教えてもらいました。
ロスチャイルドのはみだし娘が、ジャズに助けてもらったのです。
私は、ジャズ・ミュージシャンたちに囲まれて、心からリラックスし安心していられたのです。
ジャズは私の恩人なのです。
恩人にお返しをするのは、当たり前のことです。」


私の要約では分かり難いかと思い、参照した部分を上記に抜粋しました。普通の人間は、お金持ちは幸福だと思いますが、実状は異なるようです。
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追伸:悪に内在する罰 (へちま)
2010-09-23 09:57:52
悪に内在する罰の説明より「人を許すことができるに従い、人は許される」ということが推論されます。
つまり、他を罰し責めさいなむことを嫌悪するに従い、自分を責めさいなむ罰から遠ざけられるだろうからです。
これは、以下のホワイト・イーグルの霊示と同じ事のような気がします。

皆さん、人を許すということは難しいことです。しかし、人を許せば自分の霊は開放されます。

皆さんは自分が招いた負い目の支払いは自分で引き受けなければなりません。しかし、カルマは神の愛の手に委ねれば軽くなります。
人が、カルマが本人に教えたがっている教訓をまなびとるや否や、カルマは消え去ります。
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追伸:お金持ち (へちま)
2010-09-23 13:22:28
スエデンボルグから金持に関する説明を要約、引用して以下に示します。

聖言で「金持が天界に入るのは、らくだが針の穴を通るのと同じく困難である」、「貧しい者は祝福されている、天国は彼らのものだから」と言われているが、聖言を文字の意義にのみ従って理解する者は、多くの事項で誤りを犯すのである。
私は天使たちと再三話し合い、交わることによって、人間は豊かに生活しているために天界から閉め出されることはなく、また貧しいために天界に迎えられもしないことを確実に知ることができたのである。

人間は、ずるく立ち回って他を欺きさえしなければ、富を得て貯えてもよいのであり、美味しい物を食べても飲んでもよく、壮麗な所に住んでもよく、娯楽へ出かけても、楽しく陽気にしていてもよく、その財産を、情愛から動かされないかぎり、貧しい者に与える必要もないのである。約言すれば、彼は外面では全く世の人間のように生活してもよく、心の奥深くで神について正しく考え、隣人に対して誠実に公正に行動しさえするならば、富のために天界に入るのを妨げられはしないのである。
「人間はその行為に従って審判され、その業に従って報いられるであろう」と聖言に言われていることにより、人間はその行為の源泉である思考と情愛とに従って審判され報いられることが意味されている。なぜなら、外面的な善い業は邪悪な者によっても為されるが、外面と同時に内面でも善い業は善良な者によってのみ為されるからである。
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Unknown (Glass Age)
2010-09-24 22:19:14
こんばんは。

「ミゾを深めるスピリチュアル5」では「Glass Ageさんは私と違って好戦的ではありませんし、コメントされる方への振る舞いも含めて、とても勉強になります」と過分のお言葉をいただき恐縮です。

私も本当は、議論好き、論争好きの好戦派なんですが、今のところ抑制しているに過ぎません(苦笑)。

弟子たちに論争を戒めたというブッダ、真理を勇気をもって示せと説くシルバーバーチ、生き方や姿勢でもって相手に自ずと悟らせればいいというシルバーバーチ・・・どれも捨てがたい姿勢ですね。

いつも言っていることですが、単純にこの立場が正解なんて言えたら、この世での修業なんて要りませんもんね。

m.taizoさんの陰謀論批判、楽しみにしています。
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