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【雑談】源信さんのお母さんは偉かった

2011-07-06 08:51:57 | 高森光季>仏教論・その他

 ちょっと調べているうちに見つけて、感動したので。

 恵心僧都・源信(942-1017)は、日本浄土教の祖と仰がれる偉人です。早くに父を亡くしましたが、聡明な人で、9歳で比叡山に入門し、15歳で講師に任じられたと言います。その時にもらったご褒美をおかあちゃんに送ったところ、「あんた、何勘違いしてるの」と一喝されたというのです。
 
 ウィキペディア「源信(僧侶)」から。
 《天暦10年(956年)、15歳で『称讃浄土経』を講じ、村上天皇により法華八講の講師の一人に選ばれる。そして、下賜された褒美の品(布帛〈織物〉など)を故郷で暮らす母に送ったところ、母は源信を諌める和歌を添えてその品物を送り返した。その諫言に従い、名利の道を捨てて、横川にある恵心院(現在の建物は、坂本里坊にあった別当大師堂を移築再建)に隠棲し、念仏三昧の求道の道を選ぶ。》

 その和歌はこういうものでした。
 「後の世を渡す橋とぞ思ひしに 世渡る僧となるぞ悲しき」

 世を渡す橋となりなさい、世を渡ってはいけません。

 うまい! いや、すごい!
 このおかあちゃん、清原氏の出(清少納言[966年頃-1025年頃]はその後の一族)と言われていますが、夫=源信の父を早くに亡くして、生活は豊かではなかったと思います(親戚の援助はあったにせよ)。
 それが、「ふざけんじゃねえ」と言った。こんな反物なんか受け取れるか、と。

 この一喝がなかったら、恵心僧都源信は誕生せず、日本の浄土教は誕生せず、良忍・法然・親鸞・蓮如も誕生しなかったかもしれません(誕生したかもしれませんが、この一喝が大いなる役割を果たしたことは否定できませんわね)。
 しかもこのおかあちゃん、歴史には名前も遺していません。源信の母で清原氏の出だということだけ。

 おお、かあちゃんは偉大であります。 

 こうして名も残さず、人類の進化に貢献した人がどれだけいるでしょうか。

 ちなみに今日七月六日は、源信が示寂した日でした……


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