今度、どこ登ろうかな?

山と山登りについての独り言

・守門岳

2011年10月12日 | 山登りの記録 2011

平成23年10月9日() 

 大岳1,432.4m、青雲岳1,490m、守門岳(袴岳)1,537.2m、中津又岳1,388

 暑い夏から、一気に秋を通り越して初冬の陽気になった。北アルプスには先週雪も積もった。今週はやや季節も戻って、秋らしさも本番といったところ。3連休は新潟方面を予定した。今年は雪が多くて、残雪は6月になっても多かったようだ。6月に行った阿寺山は中途半端な残雪に難儀した。夏はこの方面虫が多くて余り行く気がしないので、秋になったら…と考えていた。9月に妙高に行こうと思ったが、残念ながらお天気が悪くてこれも没となっていた。

 

新潟の山で登りたいと思っている山はまだ沢山ある。登ろうと予定しながら、お天気やその他の都合で行けなかった山が幾つもある。そんな山の中で、さて何処にしようか?と妙高の次に考えていたのが守門岳だ。守門岳は花の山として有名で、ヒメサユリやシラネアオイが咲く頃は人で一杯らしい。秋なら少しは人も少ないのではないか、まあ、3連休ということもあるし、そんなに空いてはいないだろうが、今回は守門岳を訪問しておこうと予定を組んだ。

 

土曜の夜早めに家を出る。守門はやや遠いので、途中で夕飯を食べ、新潟へ向かった。3連休といっても一般道は特に渋滞も無く、17号線で三国峠を越え、魚沼市(旧小出町)から只見方面へ右折する。R252は、6月の新潟福島豪雨の影響で、未だに不通のようだ。R290との分岐に守門岳登山口と大きく指示看板が出ていた。ナビの指示するとおりに走って行くが、守門岳の登山口へは要所要所に看板が出ているから迷うことも無い。有名な山は矢張り違う。

今回、保久礼(ほっきゅれ)登山口から往復しようと思っていたが、林道に入ってその手前に二口登山口というのがある。二口登山道は守門岳の主峰袴岳に青雲岳を経由して登るもので、守門大岳に登ってから一旦下って主峰に登り返す保久礼登山道よりも登山者が多いようだ。しかし、かなり広い二口登山口の駐車場には、この時は一台も車が停まっていなかった。そこから少し林道を上がって広くスペースの取られた保久礼登山口入口の駐車場に夜10時半に着いた。一台だけ車が停めてあった。ここに来る途中の林道も、路肩が崩れて応急処置してある箇所が有り、豪雨の爪痕は未だに残っているようだ。今回から冬用のシュラフを車に入れてきた。直ぐにシュラフに潜って眠った。

 

翌朝、6時少し前に起きた。アラームは6時にセットしておいたが、鳴る寸前に目が覚めた。快晴で少し冷え込んだと見え、車の窓は霜が降りていた。パンを食べ、支度を済ませて620分に登山口を出発する。林道から分岐する所には、保久礼登山口入口と書いてある。かつてはこの上の保久礼小屋まで車が入れたのだろうか?しばらくは草が被り気味の道を沢沿いに進む。登山道もあちこち、大水で流された様な形跡が残っている。大きな堰堤の水音も大きい所まで沢沿いに歩いて、そこから斜面を登る。650分に林道終点の様な広場に上り上げ、目の前にコンクリート造りの保久礼小屋に着いた。小屋の前に湧き水が流れ、背の高いブナに囲まれてとても良いロケーションだ。しかし、小屋はかなり老朽化して外壁も一部崩れ、中を覗いたがあまり快適とは言えない。とても泊まりたいような小屋ではない。事実、最近は余り人も利用していない様な雰囲気だった。ここからが本当の登山道らしく、登山者カード入れのポストがあった。かつてはここまで車で入れた様だった。

 

保久礼小屋から登山道が始まる。いきなり尾根を忠実に登る急な登りだが、擬木製の階段がこの先キビタキ小屋分岐辺りまで付けられていた。階段は疲れるだけで、本当におせっかいな代物です。登山道に階段を設置する方は、多分山登りなんかしない人達だろう。登山道の崩壊を防ぐ土砂止めを兼ねて付けられているものだと想像するが、数年経てば雨水で中央が侵食してこの擬木だけが残って登る邪魔になるだけで、当然土砂止めの用も成さなくなる。あちこちで似たような事例を幾らも見るにつけ、登りの道だからと、直ぐに階段を設置する安直な発想はいかがなものか?

 

階段登りに少し閉口する頃、左手が切れて眺めの良い所がある。魚沼丘陵や低山に囲まれた山村風景が俯瞰される。今日は晴れてはいるが、全体に霞んで遠目が利かない、秋というより夏に近い雰囲気で、朝方は冷え込んだものの日中は暑くなりそうだ。直ぐ上でキビタキ清水という湧き水があり、727分にそこで水を汲む。冷たくて美味しい水だった。キビタキ小屋は直ぐ上に分岐があり100m先と書かれていた。ここからも、階段は無くなったが登りはずっと急なまま、時々左手に眺めがある。上に登るにつれて、木々の葉が少しずつ赤や黄に色付いてきて秋山らしい光景になってきた。登山道の下の方で人の話し声がするのが聞こえた。後続の人がもう登ってきているのだろう。

 

水場の標識を過ぎて少しで不動平の標識があり、その先で不動様が藪に鎮座したのを見る。尚も一本調子の登りを続け、また眺めの良い展望地点を過ぎると、頂上も近い雰囲気になり、ごろごろした火山性の石が散らばった大岳山頂に834分に飛び出した。石祠と三等三角点があり、新潟の山で良く見る鐘がぶら下がっている。到着した知らせ?に鐘を一つカーンと打ち鳴らした。鐘の音は澄んで山々に響いた。周囲は木々に囲まれて全く眺めは無い。巣守神社と彫られた大きな石碑があるが、この『巣守』がスモンとなまって、守門の字が充てられたのだろうか?当然守門という山の名前が最初にあって、後から守門村(現魚沼市)という地名が付けられたのだろうと想像するが、元々は巣守神社から来ているのかもしれない。ところで、巣守って何のことだろうか?

 

全く眺めもない山頂では休む気にもならず、先に進む。この山は大岳という名前が付けられている。守門大岳と下の標識には書かれてあった。ここから栃尾の入塩川に下る道と、守門岳に向かう道の分岐になっている。頂上から少し進むと、直ぐに木々の無い草地になって眺めが広がる。行く手に守門岳が逆光で大きく望まれ、随分遠くに見える。この時頂上だと見たのは、袴越という名のピークで、守門岳の連峰のうちの一番北にあるピークだったが、山頂(袴岳)は丁度中央に見えるコブだった。ここから一旦130mばかり大きく下って、230m登り返す必要があった。こうして見ると、守門岳は西になだらかな裾が広がり、東北側は急峻な崖を作る非対称山稜なのだが、下田方面から守門川が深く食い込んだ先に馬蹄形になって守門岳と直ぐ下に見える形の良い烏帽子山が連なっている。明らかに爆裂火口の地形になっている。かつてあった大きな火山の東側が吹っ飛んで、残った西側の外輪山が烏帽子山と守門岳の連峰なのだろう。後で、守門岳方面から大岳を見たが、爆裂火口壁名残の岩壁が帯状に見えた。

 

大岳の下りは草付きから、潅木が茂る鞍部まで一気に降りる。そこからまた登り返すのだが、稜線はカエデやダケカンバの矮樹が紅葉している。草は枯れ色になっているものも多いが、全体としては緑がまだ大半を占め、来週辺りが紅葉の見頃といった感じだ。振り返る大岳はずんぐりとした入道のようで、斑に黄や赤の模様を付け正に秋山といった風情。東北面は前に言ったように爆裂火口壁と思われる岩の帯が横に2列走り、中腹の岩帯には大きな岩穴が開いているのが見えた。洞窟が口を開けている。振り返り振り返り、青雲岳に向けて登り返していくと、見たほどのことも無く、またなだらかな草付の稜線となった。ここで二口登山道分岐となる。また、大岳を登り返すのも…と思い、帰りはこれを下ろうかとも思ったが、結局はまた同じ道を引き返した。

 

二口登山道を合わせると、ますます大岳は遠く低くなる。矢張り今日は快晴とは言うものの、全体に霞んで遠くの山は良く分からない。逆光にまぶしいが、南に一塊大きく見えるのは浅草岳から鬼が面山の山塊らしい。烏帽子山の先に遠く御神楽岳や狢ヶ森山方面の山並みが薄っすらと見えるが一つ一つの山は確認できない。ずっと近い、ここから見たかった矢筈岳や下田山塊の山々もどれがどれなのだか、うっすらとして同定できなかった。しかし、この辺りから写した写真を家に帰ってから仔細に見ると、ちゃんと矢筈岳も写っていた。

 

草付きから、一度潅木の中に潜り、木道が現れると間もなく939分に平坦で小広い青雲岳の山頂だった。青雲岳山頂は木道が敷かれ、木道以外の草地は立ち入り禁止ということでロープが張ってある。真ん中に3m四方の木製のお休み場みたいな所があった。ヒメサユリの時期は休むところにも苦労しそう…。青雲岳1487mの木製標柱が立ち、ここにも鐘がぶら下がっていた。また、ここで鐘を一突き、澄んだ音が山稜に響いた。木道の果てにもう直ぐそこに高まった守門岳(袴岳)が近づいた。一息入れ、木道をぽくぽくと進んで、一旦少し下る。この辺りが草紅葉も含め一番紅葉が美しい。魚沼丘陵や魚沼市街の町並みが遠くに青く霞み、強い日差しは暑くさえ感じ、秋というより夏の終わりといった感じだった。傾斜の着いた木道を緩く登る。守門岳の山頂からは、おばさんの声と思われる賑やかな話し声が聞こえる。大白川方面から直接登った人たちが、もう守門の山頂に居るらしい。

 

954分に、西にやや傾斜した裸地に守門岳と書かれた木製標柱と、ここにもまた鐘が一つ、そして、二等三角点と真新しい御影石の展望方位盤がある守門岳の最高地点袴岳の山頂に着いた。山頂の外れに5人程の地元らしいおばさんたちが、持ち寄った食料をあれこれ大きな声で会話しながら食べて居るところだった(賑やかで元気がよく、よく食べること!!)。そのおばさんの集団と一言二言言葉を交わしている、これも地元らしいおじさんが一人居た。山頂からは大白川から登ってくる尾根が一望で、この尾根はずっと展望が良いようで草付のなだらかな尾根が見渡せた。地図で見ていた、もしそこまで行ければと考えた袴越のピークには向かう道が無く、そこは藪がびっしりと覆っている。残雪期以外にそこへ行くことは無理だろう。その袴越のピークは守門の連峰の中では最も鋭角で見事な山容だ。この袴岳より10mくらい低いが、形からもっと高いように見える。

 

山頂標柱の脇に荷を下ろし、賑やかなおばさんたちに少し遠慮しながらソーセージパンを食べた。単独のおじさんは、何度も登っているらしく、空身で散歩に来たような格好をして、座りもせずに遠くの景色を眺めていた。青雲岳附近には、後続の人たちが少しずつやって来るのが確認できる。1020分に守門岳山頂を撤収し、来た道を戻る。下ると直ぐの木道附近から、早くも後続の人たちと次々にすれ違う。やはり3連休の日曜だから、人は結構多いようだ。親子連れや中高年夫婦、おばさんグループ、単独の若者、おじさん集団等色んな人たちとすれ違う。守門岳山頂は、さっきの新潟弁の賑やかなおばさんグループを始め、人で一杯になりそうな雰囲気だった(早く登って良かった…)。

 

青雲岳に戻ってきたら、ここにも人は居たが、ずっと静かだ。お休み場で少し休憩して揚げおかきをポリポリ食べていると、早くも頂上の喧騒に退散してきた人たちが引き返してきた。ここはとても雰囲気の良い山頂だ。人が居なければもっと素敵だけど…。そうしている間にも、次々にまた下から人がやってくる。111分に青雲岳を下る。大岳の下りを沢山の人が降りているのが見える。それもまた直ぐここにやってくるのだろう。大岳に戻るまでに20人くらいの人とすれ違った。大岳の草付にも、ここまでで断念した親子連れが休んでいた。振り返ると、逆光がやや弱まり、守門岳の連峰が爆裂火口の外輪山の雛形のように見えていた。やや低いが、烏帽子山はとても形良く、登高欲を誘うのだった。しかし、この山には道が無いから、厳しい藪漕ぎか、残雪の時期でなければ無理だろう。

 

1159分に大岳山頂に戻る。まだやっとお昼、これで下ったのでは面白くない。見ると、ここから地図にある1,388mの中津又岳というピーク方面にしっかりとした道が付いている。この道は栃尾の入塩川から登ってくる長い登山道で、余りこちらから登る人も居ないようだ。中津又岳なら人もやって来なそうなので、オマケに中津又岳まで寄り道をしようと大岳を下る。直ぐ先に黄や赤に彩られちょこんと突き出したピークが中津又岳の様だ。東側は地図でも判るように急な崖になっていてその崖の淵を少し下って登り返す。

 

1213分に中津又岳山頂着。中津又岳と書かれた小さな標識と、ここから北に入塩川と西に藤倉と書かれている。随分あちこちからこの山に登ってくる道があるものだ。藤倉と指された道も、入塩川と書かれた道も刈り払いがちゃんとしてあり、しっかりとした道が下っていた。中津又岳の山頂はまた、大変眺めも良く、大岳がシルエットになった先には、随分遠くなった守門の連峰が爆裂火口壁の襞を見せ、なかなか素敵な眺めの場所だった。ここでまったりと、久しぶりに山頂で湯を沸かしカップラーメンを食べた。食べ終わって秋山の静かな眺めを楽しんでいると、入塩川方面から赤いメットをザックに括り付けた単独の沢登りらしいおじさんが、ふーふーいいながら登ってきたが、息を整えると直ぐに大岳に向かって行った。

 

1242分に中津又岳を辞し、大岳に引き返す。さっきのおじさんは、大岳の山頂で一人ビールを開けながら満足そうな顔で休んでいた。そのまま大岳を下る。坦々と下り続け、行きに見なかったキビタキ小屋へ迂回してキビタキ小屋を覗く。キビタキ小屋はトタン製の三角形の避難小屋で、中を覗いたがここも一部壁が破れ、泊まりたいような小屋ではなかった。キビタキ清水で水を汲んで、また坦々と下り、保久礼小屋に降りた。夏のような雰囲気の藪気味の沢沿いを戻り、240分に登山口に戻った。ここの駐車場には他に3台しか車は無かったが、先の二口登山口には30台以上の車が停まり、降りてきた人で賑わっていた。

帰りはR252の上条集落附近の、守門温泉青雲荘という魚沼市営(旧守門村営)の国民宿舎の湯に浸かる。小さな内風呂だけで露天風呂も無い、外に置いてあるSLと客車は朽ちて人が近づけないようにロープが張ってあり、施設は結構大きい割にはひどく寂れている印象だった。ナトリウム炭酸水素塩化物泉でかけ流し?らしいが、あまり印象には残らなかった。狭いお風呂には次々に人がやってきた。日帰り温泉としては、そこそこ入浴客もあるのだろうが、次も入ろうと思うほどの温泉ではなかった。

 

もうこの時期になると、小出の町に出るまでに夕方の雰囲気になっていた。途中背後に遠く守門連峰が青く霞んでいた。小出の町で早めの夕食を食べ、越後路を後にした。晴れてはいるものの、相変わらず霞んだ景色に山々も良く見えなかった。


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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
守門岳の各山頂は鐘があるんですね (ノラ)
2011-10-12 21:53:00
あさぎまだらさん こんばんは。長い尾根歩きで山頂にたどり着いているんですね。私は1994.7.31に朝4時起きで本庄から関越に載って,石打で降りて小出通って大白川の林道最奥まで行ってピストンしてます。当時は体力も元気もあったので平気で新潟の山日帰り登山をやってました。その時の山頂にも鐘が写ってますので,当時から鐘は各峰に設置されていたんですね。山頂でアブに刺されたようですから,夏はアブ一杯のようです。人は多かったようで30人ぐらいの人にあってます。ただし花はニッコウキスゲしか写していませんので花の山と言うには寂しい限りでした。四半世紀たったら再訪するのもいいかもと思いますが,もうその元気はないようです。
紅葉はよさそうですね。そのうち山頂の写真アップしときます。
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 (あさぎまだら)
2011-10-12 22:35:23
ノラさんこんばんは。
大白川から登るとずっと展望が良いようですね。
守門岳(袴岳)に直接登るルートで眺めは良いものの、花が咲いているのは青雲岳周辺らしいです。青雲岳は草原の山頂で、植生保護のロープが張り巡らされていました。
山頂の鐘ですが、八海山には鐘がありますね、越後駒にもあるし、阿寺山にもありました。修験道の山に付けるのでしょうか?新潟の山には沢山あるようです。
守門岳の登りは大したこと無かったです。標高も低いし、八海山なんかの方が厳しいですね。
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守門岳,巻機山,谷川朝日岳の山頂 (ノラ)
2011-10-13 21:25:24
あさぎまだらさん こんばんは。
いくつかの山頂写真をアップしました。
場所は下記です。巻機山は既に山頂の道標は新しくなっているらしいです。白ケ門の山頂もあると良かったのですが,残念ながら撮ってなかったようです。新潟の有名な山はみんな似たような道標が当時は立っていました。
http://73422uzawa.at.webry.info/200808/article_2.html
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懐かしいですね (あさぎまだら)
2011-10-13 22:46:53
ノラさん今晩は。
写真見ました。まず平が岳は、ぼくもこの写真の2年前に登っていますが、小さなこの標識が付けたてで真新しく、この前でにっこり笑って写っている写真がありました。当時はズル道も無くて、湿原のロープ類も無く静かでした。
帝釈山は同じ頃に登っています、このよたった様な道標も記憶があります。会津駒はs58年にこの標識ありましたね。浅草岳の白いプレート、七ヶ岳の大きな山名板もぼくが登った時の写真(ノラさんのちょっと前くらです)に写っています。会津朝日はこの白い標識と展望板は記憶ありますね。丸山岳を見たのもここでした。城郭朝日も見えるんですね。ぼくが昔写した写真に写っています。s58年でした。
守門のこの標識と鐘は今もありました。鐘の前に新しく展望方位盤が作られていました。
そういえば、新潟の山は展望方位盤も多いですね。御神楽にもありますね。
巻機はこれよりずっと前(s56)に登ったので、全く違うものがありました。宝川朝日岳はこんな標識だったかなあ?昔過ぎて(写真も無いので)記憶が無いです。
飯豊の門内岳は熱中症一歩手前でひっくり返った覚えのあるところです。門内小屋前のテン場でテント張ってその後縦走しました。20代の頃でした。
懐かしいですね。どれも…。20代から30始めくらいの頃はカメラを持たずに山に行くことも多かったし、記録も取らないままで、登った記憶しかない山も一杯あります。特に、仲間と登った山は山自体の記憶が薄いです。一緒に登った仲間のことや、テント泊が楽しかったことなんかはよく覚えてますけどねえ。
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