今度、どこ登ろうかな?

山と山登りについての独り言

・金城山

2011年11月09日 | 山登りの記録 2011

平成23年11月5日(土)
金城山1,369m

 今年は新潟の山に結構登っている。登りたいと思いながら、登らずに何年も経っている山が随分ある。残雪期に登る山というのは別として、雪が融けると虫が多く、夏は登りだしの標高が低くて暑い山が多いというのが何時も頭にあり、新潟の山は秋がベストかなあと思うのだ。6月に阿寺山、10月に守門岳で、今回は晩秋の金城山という訳だが、ざっと登りたいと思っている山を列挙しても、妙高山、金山・天狗原山・乙妻山に下田山塊の山々(粟ヶ岳、矢筈岳)に飯士山等、その他にも糸魚川の駒ケ岳・鬼ヶ面山・鋸岳等、幾らでもある。そういった山の一つで、ずっと登りたいと思っていたのが今回登った金城山なのだった。この山は標高も低く、岩山に紅葉で、やはり秋が良いのだろう。標高は低いながらも登山口が低いので、標高差は1,000m以上あって結構登り手のある山なのだった。

 袴腰山に檜高山を登った4日の夜、沼田で夕食を食べた後、そのまま新潟に向かった。カーナビに導かれるまま、中川新田の集落の田んぼの外れから直ぐに未舗装路になり、登山口に10時半に着いた。ところが、登山口駐車場の100m程手前がロープで塞がれているではないか?そこに『重要なお知らせ』と書かれたパウチ看板がぶら下がり、「集中豪雨の影響で山全体が緩んでいて、大変危険ですので登山はご遠慮ください」とある。ええっ…登れないの。

 そんな情報はチェックしていなかった。7月の新潟福島豪雨の影響で、この周辺の山は大分荒れているという話は聞いているし、新潟から福島方面へは通行不能の道路も多い。JR只見線も不通のままだそうだ。先月登った守門岳への道も崩落箇所があったっけなあ…。どうしようか?と思いながら、別の山のチェックはしていなかったから、スペアの地図も無い。と、考えていても仕方ない。取り合えず寝て起きてから決めることにして、道端に車を停めてシュラフに潜ってしまった。

 翌朝6時に目が覚めた。夜は満天の星空だったのに、目が覚めたら曇って冴えないお天気だ。それもあって、少し腐った。又シュラフに潜ってしまった。温泉でも入って帰ろうかなとも思った。でも、遠慮してくださいなので、禁止では無いのだからと思い直して、とにかく折角来たのだ、行けるところまで行って様子を見てみようと支度を始め、7時15分にロープで遮断されている手前の駐車スペースに車を停め直して出発した。そこから紅葉した岩山が覆い被るように見え、おいでおいでをしているようだった(これが金城山かと思ったが、これはホンの手前の前衛峰に過ぎないのだった)。

 道は直ぐ先で崩落して、車は通れない。その100m先が登山口で、尾根を登る『水無コース』と沢の『滝入りコース』の鳥瞰図風の絵看板が立っていた。尾根を登る水無コースを行くことにした。ところが、道は杉林を抜けると直ぐに沢に出て消失していた。大きなごろ岩と、押し流されてきた土砂に、倒木が錯綜し、沢の景観をずたずたにしていた(後で確認したところ、この辺りに橋が架かっていたらしいが、流されてしまったようだ)。

 沢の中を石伝いに登って行くが、道は全く無い。しばらく行ったり来たり、うろうろする。もう少しと石伝いに沢を上っていくと、右岸に道を見つけた。登る人が少ないからか、草が被り気味の道は直ぐに小さなルンゼ状の水流を挟んで、直上する登り道になった。ロープが下がった急な滑りやすい泥の道をどんどん登って行くと尾根に出た。そこからは、痩せた尾根伝いにぐんぐん登る道になる。粘土にも似たもろくて滑る岩が混じる急峻な登りは、振り返ると、これを下るのは転げ落ちそうで凄く危険だな、と思うような道だった。

 登り続けると、五十沢の集落や、三国川沿いの集落が箱庭のように俯瞰できる高度になり、八海山や中ノ岳、懐かしい阿寺山等がうす曇の空の下に見えてきた。周囲は錦秋の景色が広がり、今年一番の紅葉の山登りとなった。少し薄日も差すから、晴れるのかなという程度のお天気だが、この日は結局その後高曇りのままで晴れなかった。赤と緑のイタリアンカラーみたいな看板に何合目の表示がある。2合目、3合目と過ぎて、ますます急峻なヤセ尾根を登っていく。その分、最初から周囲は良く見える眺めの良い登りだ。しかし、気温が高く、既に汗びっしょりになっていた。

 8時45分に4合目を通過する。本当に攀じ登っていく様な登りが連続する。岩のある所々にロープやクサリが垂れるが、むしろ何も無い土の道の方が滑って危険な箇所が多い。これを下るのは遠慮したいなと思いながらもどんどん登っていく。この辺りは落葉している木々も多いが、カエデの紅葉がなかなか美しい。登山口附近から山頂の一部と見ていた岩峰は、ホンの手前にある前衛峰だったようで、ここからその岩峰はもうすぐ同じ高さになってくる。岩にモミジが映え丁度妙義山の様な雰囲気。5合目は立ち並ぶ岩峰の基部に当たる所で、9時12分に着く。大岩の下に5合目の標識があった。『無理の登山は事故のもと』なんて書いてある。そうですね、この岩場と滑りやすい痩せた登山道の山だから…無理は禁物かな。それにしても、2時間登ってまだ5合目なんだ、結構きつい山だなあと汗をぬぐう。

 5合目からは尾根を離れ、岩峰の基部から右手に巻き込んで岩場を縫うように登る。9時36分に6合目『熊の倉』の看板が地面に置いてある所を通過する。いよいよ岩山の核心部という感じになり、一枚岩のスラブをクサリでトラヴァースしたりするようになる。下から見上げていた岩峰群はもう数10m下になった。

 攀じ登って行くような急な山なので、五十沢辺りの集落や田んぼが、地図を見るように真下に見下ろせるようになった。八海山や阿寺山、中ノ岳等がジオラマを見るように見える。一向に晴れる気配も無くなり、高曇りの空はどんよりとして風景の立体感を無くさせるのが難点。10時4分に6合目を通過。それにしても、標高をしのぐ登りのきつい山で、道が悪いこともあってあなどれない山だなあと感じる。

 7,8合目を過ぎると、ますます真上に登っていくような急峻さで、つくづく越後の山は平地から一気に立ち上がる急な山が多く、この山はその典型だと思った。周囲はすっかり落葉して、色が少なくなる。イワキ頭が直ぐそこに見え、続く稜線の上に巻機山が姿を現す。9合目で最後の斜面を登るようになるが、その手前に大きな一枚岩を右手に絡めて直上するところは、クサリもロープも無く足元は岩では無いものの、滑りやすい道で神経を使う。これは下りにはしたくないルートだ。この大きな一枚岩は、麓からも頂上付近にそれと確認できる。そこを過ぎると、ようやく岩場も終わり、ブッシュの中を登って10時48分に山頂部に出た。

 金城山の最高点は、雪解けの時にはミズバショウが咲く小さな湿地の南側の小山だが、そこには道が無い。目の前に新しそうな木造の避難小屋が見えたので行ってみると、かんぬきで封鎖されて入れなかった。そこから少し下った先に、この山の紹介で良く見る、幾つも連なった岩峰が見えた。引き返して、藪の中の最高点に登る。藪が酷いだけでそこには何も無かった。

 再び小屋を過ぎ、少し下って岩峰群の基部に出る。ここからクサリで岩峰群の最高点の岩峰、いわゆる金城山山頂に上るのだが、いましも独り言をぶつぶつ言いながらそこに登りつく単独のハイカーの姿が見えた。イワキ頭と巻機山の姿をカメラに収めてから、クサリを攀じて岩峰に登った。11時19分に金城山山頂の標識が立つ岩峰の上に着いた。ここが山頂ではないのだけれど、山頂の標識はこの眺めの良い岩峰の上に立っている。そこに1,369mと書いてあるが、これは間違いで、ここは1,350mくらいしかないのだった。

 先に登りついたハイカーは観音口から登ってきたと言った。ぼくが水無コースを登ってきたと言ったら、登れるんですか?と驚いていた。登山道が崩壊して登れないという話を聞いたので観音口から登ったそうだ。確かに、登山口附近からしばらくは道が消失していたし、途中のルートも荒れていたと話した。彼は(40代くらいかな?)お天気がイマイチなのを盛んにこぼして直ぐに下っていった。大きな三脚をザックに付けていたから、写真を撮る目的で登ったので、このお天気が大層不服だったのだろうか?まあいいや、これで誰もいなくなって静かになったから。

 「金城山山頂」の岩峰の上は、数十メートルの断崖の上で、下を覗きこむとお尻がむずむずするが、その分眺めは良い。下っていった彼が不服な様に、折角の巻機山や越後三山や上越の山々の素晴らしい展望台なのに、このどんよりと曇った空では景色も冴えなかった。誰も居ない狭い岩の山頂で遠慮なく湯を沸かし、独り占めでカップうどんを食べた。人が多いときは、この狭い山頂じゃあ遠慮しなくちゃならないだろう。人が居なくて良かった。巻機山はここから見るとまだ随分と高く見える(600mもここより高いのだからアタリマエカ)。イワキ頭はここと同じ様な標高ながら、結構立派な山容だ。道も無いから、残雪の時期でなければ藪の濃いこの辺りの山は登ることができないだろう。

 ここから北に見える岩峰の眺めは、妙義山の様で、この山の登りもそうだが、雰囲気的には妙義に似た山だ。しばらく、少しもやって冴えない眺めながら、周囲に見える山の同定などしながら、独り占めの楽しさを味わった。さて、下りも長いからそろそろ降りなくては。同じ道を下るのも能が無いし、或いは沢コースは更に荒れている事も考えられたが、水無コースのあの滑りやすい危険な下りは神経を使いそうで嫌だなと思う気持ちもあり、下りは滝入コース(沢コース)にした。これはしかし、安易な決定であったと、後で思い知る…。

 11時51分に金城山頂を下る。幾つか岩峰を絡みながらクサリで岩場を降り、眺めの良い稜線を少し緩く下り気味に辿っていく。こちらのコースの方が道もハッキリしてこなれているので、歩く人は断然この道のほうが多いようだ。魚沼盆地を俯瞰する気持ちの良い道で、西に下って行く雲洞庵コースを分け、そのまま尾根伝いに三国川方面を正面にして下っていく。山の法面が大きく薙状に地すべりして崩落した所を過ぎ、水無コースに比べればずっと危険度も低く歩き易い道を下る。9合8合とのんびり下って、7合目までは尾根を忠実に、特に危ない箇所もなく、金城山が次第に高くなっていくのを見上げながら降りてきた。7合目を12時39分に通過する。

 7合目を過ぎ、6合目で尾根を離れ、山頂に反射板がある865m峰との鞍部手前から、右手の沢に一気に下る。ロープやクサリが垂れているが、滑り落ちるような下りだ。500m以上も一気に下って沢に下りた。この附近からはまた紅葉が美しく、沢の右岸に当たる岩峰は特に見事だ。降り立った沢は小さな滝が連続している。4合目不動滝の標識がある所までは、道もしっかりあって特に問題はなかった。しかし、ナメの美しい不動滝を左に見て過ぎると、道は藪に埋もれがちになる。沢の中を石を飛んで通過し、落差のある大滝を左に見る辺りから沢の様相は一変した。

 2合目の標識までは、それでもどうにかRFしながら下ったが、その先で左手の小沢から土砂が大量に崩れて沢の半ばまで埋め、その先の道は完全に消失している。沢も水量が多く、小滝が連続していて下れない。この辺りで右往左往して道を探す。曇りのお天気でこの時間(2時半)の沢の中は薄暗く、日も短い時期でもあり、危険なこの地点で道をロストしたことは気持ちを焦らせた。そんな焦る気持ちで大石を下ろうと思って苔に滑り、尻をしたたか石に打ち付けてしまった。尾てい骨が割れたんじゃないかと思うくらいの痛さ。その上、かばおうと手を付こうとしたから手首も少しねじった。思わずうずくまってしまった。しばらく猛烈な痛みで、うなっていた。しかし、骨が折れたりはしていないようで、少しすると歩くことができた。手首も痛いが、なんとかそれ以上悪くなりそうな様子も無かった。

 歩くことはできるが、道は見付からない。さっき滑った時に、水流に膝まで浸かったから靴の中に水が入った。もう濡れてしまった下半身を眺め、暑く感じていたからむしろ水に浸かって気持ち良いくらいに感じる。そう思うと、却って少し冷静に考えられるようなった。2合目を過ぎているのだからと、地図を広げて現在地を確認した。この先あと数百メートルで登山口だ、何のことは無いや。滝もこの先そんなにありそうも無い。一度濡れてしまった下半身だから、気持ちよく沢の水流をそのまま下ることにした。2百メートルばかり沢を下ると、左に道を見つけた。

 下半身はずぶぬれの敗残兵みたいだが、やれやれといった気分で歩き、直ぐに朝がた道が分からなくてうろうろした沢の出合附近に出た。少し歩いて絵看板が立つ登山口に2時53分に着いた。尻は痛かったが、車のシートに普通に座れるし、ねじった手首もハンドルは握れて問題無かった。「ご遠慮ください」の看板をそーだね、と思いながら眺めた。ずぶぬれのズボンを履き替え、靴を脱いだ。

 帰りは、阿寺山に登った時に寄った五十沢温泉旧館で入浴。数人の地元のおじいちゃんが居たが、出る頃は独り占めになった。この温泉は内湯だけだが、かけ流しの熱い湯量も豊富で、熱めの湯はむしろ気持ちが良かった。入浴客は地元の方ばかりで、優しい響きの新潟弁のおばあちゃん達が入口で楽しそうに会話していた。温泉から正面に金城山が壁のように高く見えた。
六日町で食事をして、新潟を後にした。

 今回、尻をしたたかに打撲して、今でも痛いですが、骨は折れていないようです。少しおごっていた気持ちもあったかな、と反省しています。あれで動けなくなっていたら…遭難ですね。あんな状況で少しパニックになっていたのかな、と思うと、まだまだだなあ。恥ずかしいです…山を舐めちゃイケマセンね。

 この様な状況ですから、現在、金城山の中川登山口から水無コースは入口が見付かれば登れますが?途中も結構荒れているので止めた方が良いでしょう。また、滝入コースは橋が流失して、2合目までの間は道が一部完全に消失していますので入らない方が良いと思います。


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