今度、どこ登ろうかな?

山と山登りについての独り言

・旭岳(赤崩山)、須立山

2011年08月17日 | 山登りの記録 2011

平成23年8月13日(土)
 須立山1,720m、旭岳(赤崩山)1,835.2m

 7月半ば過ぎに台風が去って、すっかりお天気が変わってしまった。梅雨が戻ったようになり、暑い夏は何処へ行ってしまったのだろうかという日々が半月余りも続いた。8月の初めまでは、湿った空気が入るという?変わり易いお天気も、お盆を前にしてやっとまた戻ったらしい。
 夏らしさは戻ったものの、相変わらず、晴れれば35℃以上の信じがたい猛暑になる。7月の終わりに夏山(北アルプス)の予定をしていたが、雨マークが続き、断念した。そんなことから、この夏のアルプスは予定が立たなくなってしまった。お盆休みも、2,3日なら休めるが、今年の夏山の予定は短時間では無理だ。まして人の多いお盆休みは、そうでなくとも人の多さが予想される山は遠慮したいのが本音というところ。

 そこで今回頭に浮かんだのは、一昨年裏那須の流石山から大倉山・三倉山に登った時に一際目を惹いた旭岳だった。旭岳は赤崩山の別名もあり、旭岳という名前の山が他に幾つもあることから甲子旭岳とも呼ばれている。この辺りの山の中では何処から見ても、すっくと立った鋭鋒で目立つ存在だ。数年前にも、大白森山から夕映えにシルエットになったこの山を見ていて、ずっと気になっている山だった。裏那須の山に登った時に、会津下郷の観音沼を経由して大峠登山口から往復したが、登りだして直ぐ鏡ヶ沼を示す指道標と説明看板を目にした。その鏡ヶ沼も見てみたいということもあり、今回は鏡ヶ沼から須立山に登って旭岳を往復することにした。距離は長くなるが、その先の甲子山までピストンできればと考えた。

 旭岳は、正式には登山道が無い山らしい。しかし、ネットの情報では、この山の山容から登りたい人が沢山いるため、実際にはそれらの人が付けたルートが道の様になっているということだ。しかし、それは帰ってきてから知った事で、今回は下調べが充分ではなく、2万5千図とGPSだけ持って急に思いついて行ってしまったから、結構な藪漕ぎの山であることは登って初めて知った。帰ってきてからネット上の記録を幾つも見たところ、旭岳は一般的には甲子峠(旧道は通行できないため、新しい甲子トンネルの脇から稜線に登り上げる道があるという)または甲子温泉から甲子山を経由して往復しているようだった。確かに鏡ヶ沼を経由して行くのでは距離も長く、須立山のきつい上り下りには参った。

 12日の夜に夕飯を食べて、久々の会津に向かう。震災後初めての福島入り。夜間でもあり、道路は混むこともなく順調に会津に入り、道の駅たじまで車を降りたら半袖では寒いくらい、車外の気温は18℃だった。田島から下郷に向かい、観音沼を目指す。観音沼から先の林道は水溜りも多く少し荒れていた。一昨年は林道終点まで車で入ったが、先の様子が不安なのでヨロイ沢に掛かる橋の手前の退避帯に車を停めた。空には星や月も見えるが雲が多い。旭岳往復でやや行程が長いのと、午後には夕立も予想されるため、アラームは5時にセットし5時半の出発とした。

 5時にアラームで目覚める。全体にはうす曇だが、青空も見え、まずまずのお天気かな?パンを食べ支度をして、5時32分に駐車地点を出発する。歩き出して15分程で林道終点に着いた。車は一台も見られなかったが、登山口に入ろうとすると背後で車の音がして、4駆が一台やってきた。もとより、ぼくと同じ方面へは考えられない、流石山方面(裏那須)へ向かうのだろう。大峠に上る道を行くと、直ぐに鏡ヶ沼分岐に着く、駐車地点から約20分だった。階段状の道を鏡ヶ沼に向かって登る。登ると直ぐ左手に説明看板にかかれた『おせんが宮』の祠があった。鏡ヶ沼までは幅広く笹も刈られ歩き易い。落葉松林の笹の切り開きから薄暗い沢状の道になり、右手に三本槍岳手前の山が見えてくると、深い笹の切り開きになった笹原に出る。小山を一段登り上げる感じで、少し下ると背後に須立山を背負った鏡ヶ沼が見えてきた。沼の手前に台石だけ残った祠があった。

 周囲500m程の鏡ヶ沼は黒い水面の周囲を笹原とダケカンバに囲まれている。登り口の説明看板にある様な神秘的な雰囲気は余りない。透明度が高いということだが、東側の浅いところは、底の赤い火山性のレキの所為で赤く見え、須立山側の深いところは黒く見える。静まり返ってはいるが、須立山の旧火口に水が溜まった火口湖という割りには、周囲を囲む山は南西の須立山以外は低く、意外に明るく開放的な感じがして大蛇の主が住むという伝説の雰囲気はしないという印象。この日、後に見た坊主沼の方が、がぜん大蛇が出てきそうな雰囲気に満ちていた。

 沼の南側の縁を少し回りこんで、須立山への鞍部に登る。ここから稜線までの120m程は、笹藪が覆い被った滑り易い溝の様な急な登りで、トラロープが垂れている。それにすがってもずるずると滑る。笹やツツジ・シャクナゲ類の潅木が被り、この時になって今日に限って半袖シャツしか持ってこなかったことをくやんだ。こんなにヒドイ藪山だったんだ…失敗でした。アブなどの虫も多いが、不思議と余り刺されない。稜線に出ると飛び交うナツアカネの大群を見て、刺す虫が少ないのも納得した。稜線はササ等の藪も酷いが、刈り払いしてあり歩き易い。ホツツジが群落を作り、花の最盛期でかわいらしい花を沢山つけている。鏡ヶ沼を見下ろしながら、緩く登って7時30分に須立山の山頂に着いた。

 青空が広がっているが、何となく山には雲がまとわり付いている。三本槍岳は高く大きく見えているが、流石山や大倉山・三倉山は山頂部に雲の帽子を被っている。行く手の旭岳は遥か遠くに見え、こんなに距離があるのかと愕然とする。その上、須立山山頂から鞍部までは、地図の等高線以上に急角度で下っている。高々120m程しか標高差はないのだが…。下りきった鞍部からは小山(笠ヶ松のピーク等)を2つばかり越え、樹海のような緩い稜線の果てに突骨と旭岳が聳え立っていた。旭岳は真に見事な山容で、これを見れば登らずには置かないだろう。それにしても遠くに見えるなあ…。

 須立山山頂には、根本まで露出した主図根点標石と真新しい山名標柱が立っている。山頂一帯は赤いチャートの砕石がばらまかれ、周囲はホツツジやハイマツに囲まれているが、それに混じってシラネニンジンやヒメシャジン等の高茎草原を彩る花が咲いている。陽射しは強く、じっとしていても暑い感じ。もう既に結構汗をかいている。水を飲んで少し休んだ。

 7時46分に須立山を下る。ざらざらの岩屑のおそろしく急な下りで、トラロープが張ってある。とても、それにすがらなければ落っこちてしまいそうな下りだった。鞍部に降りると、須立山は見上げるほどに聳えて見えた。そこからは緩い登りがだらだらと、ハイマツやホツツジを漕ぐように続く。この辺りから坊主沼にトラバースする附近まで、刈り払いが無く潅木を払いながら、あるいはトンネル状に潜りながらの上り下りだった。陽射しは暑い。登り返した小山の頂上部に笠ヶ松の標識があり、背が高くなったハイマツが名のとおり笠になって枝を伸ばしている。同じ様な木が前後して2本あった。どちらも『笠ヶ松』になっている。

 小山を2つ越すといよいよ旭岳が近づいてくる。岩が露出して見える山頂部は急峻で、ますます見事にそそり立つ山容は登高欲を刺激する。だらだらとした潅木藪の道から、坊主沼方面への道は南側の斜面をトラバースするように付けられている。ここはネマガリダケの猛烈な藪だが、幸い幅広く刈られている。しかし、刈られたネマガリダケは道に積み重なったままなので滑って歩きにくい。坊主沼に向かって少し登りになる辺りは右手が急な斜面で落ちないように気を配る

 8時18分に坊主沼避難小屋分岐に着いた。左に下りると坊主沼で、これは旧道ということだ。旧避難小屋は坊主沼の畔に建っていたらしいが、そのまま進んで直ぐ上が新しい坊主沼避難小屋だった。赤いしゃれた雰囲気の新避難小屋は平成20年に建て替えられたばかり。入口はステンレスのドアで、中を覗くと余り広くは無いが、さすがにきれいだった。福島県が建てて地元の山岳会が管理している様だ。機会があれば、ぜひ泊まってみたい様な小屋だった。避難小屋から良く刈られた道を下ると、また坊主沼への分岐がある。ブナやダケカンバの巨木が茂る道を尚も下ると薄暗い沢に下りる。ここで冷たくて美味しい水を汲んで飲んだ。

 実は旭岳の登り口は坊主沼から直ぐのところにあると思っていた。木々越に見える旭岳は首が痛くなるほど高く見えるが、一体どこから取り付くのだろう?2万5千図しか無かったので、もちろん公式な登山道は無い山だが、ネットの記録では特に注意するほどの必要も無く取り付いている様に書いてあった。幾つもあった記録をよく読まなかったのは失敗だったかな?

 避難小屋から随分進んだ。直ぐ上に聳え立っていた旭岳だったが、却って少しずつ背後に遠くなっていく。一度かなり下ってから再び上りになって、点々とヤマアジサイの青い花が目を惹く。エゾゼミの「ビー」という単調なモーターの音みたいな鳴き声が山に響いている。やがて、ブナの巨木が茂る稜線になってしまった。この辺りはブナを初め、ダケカンバも山の主の様な巨木を沢山見る。甲子山に近づいて、もう甲子山が直ぐそこに見えてきた。仕方ない、先に甲子山を登ってしまおうと思いかけて、ひょいと見ると、目の前に茶色のプレートが現れた。

 茶色い金属製のプレートには新登山道と旧登山道のルートが図入りで説明してある。それによれば、旧登山道はここから旭岳に向かって真っ直ぐ伸びる、ササに隠れ気味の道で、通行不能と赤字で書かれている。新登山道の方には途中に水飲み場の標記があった。旧道を進むのが旭岳への道で間違いない。取り合えず、今日は旭岳に登りに来たので、まず旭岳に向かうことにした。現在時刻は9時54分だ。既に出発してから4時間半近く経っていた。今回は地図だけを見ながら来た。事前におおよそのルート時間も確認していなかったから、こんなに時間が掛かることは考えていなかった。しかし、坊主沼避難小屋に張ってあったこの辺りのルート地図の路程時間を見ると、ほぼコースタイムどおりといったところだった。

 旧登山道は、ササが被り気味ではあるが、ハッキリとした道が付いている。旭岳に登るために随分人が歩いているのだろう。しばらく進むと視界が少し開け、またここに看板が立っていた。それによると、ここが『水呑場』らしい。先に坊主沼、来た方向に甲子山と書かれている。そう書かれた方面標識の下に環境庁・白河警察署・西郷村の連名の看板が付いている「ここは日光国立公園の特別保護区内なので動植物を採取すると罰せられる云々」、そして赤字で「注意・旭岳への登山道はありません」と付け足されていた。しかし、ここから坊主沼へ向かうと思われる旧道は藪に埋まっているが、旭岳に向かうルートにはしっかりした踏跡が付いていた。

 滑り易い急な踏跡を登っていくと、トラロープが下がる赤土のシュートみたいな溝になった。ここからは、トラロープにすがりずるずると滑る腕力頼りの登りになった。滑る溝が終わると、今度はびっしり茂る潅木を漕ぎながらの急登で、次第に痩せてきた旭岳の北東尾根を登っていることが段々分かってきた。眺めが良くなり、背後には甲子山が低く近い、その向こうには、雲に隠れ気味の大白森山等の山並み、登っている尾根の右手には、赤く崩れた岩斜面が目立つ北尾根が見える。こういった景観から、この山の別名の赤崩山という名前が付いている様だ。

 旭岳の上部は雲霧に隠れ、かなりまだ登らなければならないようだ。陽射しも無いながら、急な登りには汗を搾られる。上部になるに連れ、転落を気遣うような急峻な登りになった。この辺りは、大峠から流石山の斜面に広がる高茎草原のお花畑と同じ種類の花が沢山咲いている。ウスユキソウ・ハクサンフウロ・マルバダケブキ・アザミ・シラネニンジン・ツリガネニンジン・ホツツジ等、特にアザミは多く、その葉がズボンの生地を通してチクチクと痛いのには参る。旭岳の南下に黒く坊主沼らしいものが見下ろせた。雲が山稜に絡むようになって、視界はどんどん悪くなっている。すり足で踏跡を確認しながらの登りで、ルートは完全に藪に埋まっていた。

 旭岳の南側斜面は、岩場があちこちに露出している。特に山頂部は岩の砦のようであり、こういった様子からこの山は峻峰となっている。その岩場が直ぐ上に見えるようになった。やや潅木藪が高くなり、潅木のトンネルを潜るようで見晴らしが悪くなった。尚も急な登りに少しあえぎ、頂上はまだなのかなあと思っていたら、藪に囲まれた小平地に出た。中央に角が大きく欠けた三角点標石があった。11時7分に旭岳山頂に着いた。5時間半も掛かったことになる。暑くてばてていたせいで、ちょこちょこ休みながらだったが、まあこんなものなのだろう。地図を見ながら考えていたよりも、ずっと時間が掛かった。須立山から旭岳分岐までが、結構距離も長く思いのほか時間が掛かってしまった。

 雲が広がって青空はほとんど見えなくなった。那須連山方面には黒い雲も伸びている。甲子山の先ももやって霞んでいる。山頂はシャクナゲやツツジ等が周囲を囲み展望は良くない。ふと見ると、ハイマツの低い位置に黒羽山の会の山名板が付けられていた。他にプレートは見当たらなかった。山頂からハイマツ藪を漕いで西に少し進むと露岩があり眺めが良い。ここで休むことにした。展望は雲霧に邪魔されて余り良くない。観音沼と下郷の町方面が少し見えるが、周囲の山々はぼんやりと見える程度になった。メンチカツパンを食べて水を飲んだ。随分汗をかいたので、パンが喉を通らなくて水で流し込んだ。お腹は空いていたが、疲れて食欲が余りなくなっていたから美味しく感じなかった。

 北尾根の下に赤錆色の反射板が見える。この反射板は大白森山からこの山を見た時にとても目立ったものだ。南に向かってハイマツに踏跡が続いていたので少し先まで行ってみたが、直ぐに藪に埋まって無くなっていた。ここから坊主沼に直接下ることもできそうだが、藪がひどそうなので、来た道を引き返すことにした。11時41分に旭岳山頂から登ってきたルートを下る。下りも藪を漕ぎながら、急なので慎重に降りたが、登りよりは幾らか早く12時34分に茶色いプレートがある分岐に戻った。ここまでかなり時間が掛かってやってきた。空模様も怪しくなってきたので、甲子山は直ぐそこだが、今回は割愛してこのまま引き返すことにした。その甲子山の山頂には、旭岳からの下りで人影が見えた。今も声が聞こえるから、本当に直ぐそこなのだけれどまた何時か、今度は甲子峠方面から登ろう。

 新登山道を引き返す。冷たくて美味しい水を飲んで人心地ついた気分。帰りは避難小屋は通らず、坊主沼に降りる。坊主沼は黒い水が静まり返り、雲が広がって薄暗く、沼を囲む周囲の木々には霧が這い、それこそ大蛇か竜でも出てきそうな雰囲気だった。旧小屋は基礎を残して跡形も無く、かつて鐘がぶら下がっていた錆びた鐘枠の柱だけ残っている。沼は植物が繁茂して、南の縁は葦原になりつつあった。1時32分に沼と避難小屋の分岐から、ネマガリのうるさい巻き道を戻る。笠ヶ松を過ぎ、ざらざらと滑るおそろしく急な須立山の登り返しは堪えた。

 2時37分に須立山山頂に着く。すっかり雲に覆われた空からはぽつぽつと雨が落ちてくるが、幸い雨はそれだけで本降りにはならなかった。ここでちょっと一休みして、後は一気に下る。3時22分に鏡ヶ沼に降り、3時57分に林道終点に戻った。既にこの時間になり、車は一台も無かった。林道を少し歩いて4時18分にヨロイ沢の橋手前の駐車地点に着いた。気分的にはもっと軽い山というイメージだったが、意外に時間が掛かり1日良く歩いたので疲れた。

 帰りは一昨年裏那須を登った際に寄った、下郷の「郷の湯」で汗を流す。お盆休みということで、前回と違い大変混んでいた。あまりゆっくりと入れず…そそくさと退散した。田島で夕食を食べ、帰りの道はもう時間的に空いていたのでいつも通りですいすい走って帰路に着いた。


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3 コメント

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旭岳(赤崩山) (烏ケ森の住人)
2011-08-17 06:14:25
あさぎまだらさん おはようございます。

今年は天気が不安定で計画が立てづらいですね。私のように毎日が日曜日でもなかなか計画が立ちません。
旭岳に登る人は圧倒的に甲子山方面からのピストンが多いですね。鏡ケ池方面からの旭岳ピストンは距離が長いので大変だったともいます。
6月7日に甲子山、坊主沼、須立山、三本槍と歩いたころは、残雪が消えたばかりで、坊主沼から旭岳南尾根出合までがネマガリダケが登山道にはみ出していて歩きづらかっただけで、そのほかは藪はほとんど苦労しませんでした。この間に藪はかなり成長するので御苦労のほどがよくわかります。
私の縦走では時間の関係で旭岳は省略しています。縦走路から旭岳を見るたびにその雄姿に惹かれました。次の機会にはその南尾根を下ってみたいと思っています。南尾根の記録は「たそがれオヤジのクタクタ歩き」でしか見たことがありません。歩き甲斐がありそうです。
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旭岳の行かれたルートは長いですね (ノラ)
2011-08-17 18:00:38
あさぎまだらさん 烏ゲ森さん こんばんは。あさぎまだらさんのとられたルートは長いですね。検索すると旭岳南尾根に入りさえしなければ,旭岳の帰りの降りが難物のようですが,皆さん甲子温泉かトンネル手前から登るのが一般的のようです。あさぎまだらさんのルートは読みましたが難物そうです。やはり行くなら甲子温泉からでしょうか。烏ゲ森さん,「たそがれおやじのくたくた山歩き」の旭岳の記録読みました。烏が森さんはきっと南尾根行かれるのでしょうね。楽しみです。
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非公式な登山道? (あさぎまだら)
2011-08-17 23:29:15
烏ヶ森さん、ノラさんこんばんは。
今回はネット情報を良く調べないで、地図とGPSだけで登ってしまいました。それというのも、鏡沼を経由して旭岳に登るということを先に決めてしまっていたからです。この辺りが藪が酷いということも、ですから『想定外』でした。確かに道はしっかりして迷うような事もありませんが、刈り払いがあまりされて無い山なんですね。
旭岳には某山岳会が登山道を拓いて(それが北東尾根のルートでしょう)どこかで発表していた様ですが、公式には登山道と認知されなかったみたいですね。ですから未だに『旭岳には登山道はありません』なのでしょう。確かに今の北東ルートは登山道とはいえないですけど…。「会津百名山ガイダンス」では登山道有で紹介されています。しかし、実際には北東尾根も上部は藪に埋まっていますから、出版された当時とは状況が変わっているようです。
南尾根は、地図で見ると一番自然な旭岳のルートに思えます。しかし、上部はシャクナゲとハイマツ、下部はネマガリとツツジが密藪を作っています。相当厳しそうですね。南尾根途中から真っ直ぐ坊主沼にガレとササを分けて下る方が、岩場を避ければやや楽そうです。テントミータカさんが下っていますね。
烏ヶ森さんが南尾根をトレースするのを楽しみにしています。ぼくは、今度は新しい甲子トンネル脇から稜線に登る道があるようなので、これを利用して甲子山と再度旭岳に登りたいです。
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