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伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

蚕玉神とその祭祀位置と

2022-09-22 23:54:02 | 民俗学

並べられた石碑群(集会所側奥に蚕神があることから「上座」といえる)

 

台石手前右手と奥右手に盃状穴

 

盃状穴

 

 駒ヶ根市下平の中央集会所の庭に10基余の石碑が並んでいる。「庚申」が昭和55年造立のものを含め7基、「甲子」が昭和59年造立のものを含め3基を数える。「甲子」塔の多くは元治元年から造塔が始まると言われるほど造立年は遡ってもこの年と言われるが、実はここにある「甲子」の最古は「文久四甲子正月建之」と刻まれている。文久4年は2月20日に改元されて「元治」となる。したがって建立された「正月」にはまだ文久4年だったということだ。いっぽう「庚申」塔の最古は青面金剛の「享保元丙申」のもので西暦1716年となる。さらに古そうな板碑もあるが、年銘は読み取れない。このようにそこそこ古い石碑が並んでおり、その中には元禄4年の名号塔もある。

 ところがこの中で最も立派に祀られているのは写真の「蚕玉神」である。「明治十一年十月吉辰」というもので、古いものではない。なぜ立派かと言えば、台座である。本体より大きな石で組まれた3尺四方ほどの上に台石が置かれ、その上に小さな本体が置かれる。遠目には丸石神に見えるが、このあたりでは蚕神に丸石を利用する例は多い。ここにある石碑群は、もともと同じ場所に祀られていたものではなく、散在していたものをまとめたとも考えられる。整然と並べるにあたってこのような並びになったわけで、そう考えると蚕神の台石であったかも定かではない。しかしながら、並べる際に蚕神を最も立派な位置に置いた、という背景が人々の思いにあるともいえ、興味深い。

 この台石にはよく見ると盃状穴がいくつかある。その痕跡を写真に捉えたが、はっきりとはわからないかもしれないが、ちゃんと凹状に窪んでいて意図的に作られたものと考えられる。


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