Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

ハザの作り方

2022-09-21 23:58:13 | 地域から学ぶ

 昨日「おこりぼうず」に触れたが、その際国土地理院の過去の航空写真を引用した。昭和40年9月30日に撮影されたものがこの一帯にはたくさん存在するが、この季節の写真を閲覧していると過去の面白いことに気がつく。このことは平成19年に同様の手法で「ハザの突き方を読む」で触れた。もう15年も前のことだが、その後同じ手法でこの日記で触れたことはなかったが、暇さえあれば全国を閲覧して確認し見たいことだ。

 昨日引用した国土地理院のMCB658X-C7-18を見てみると、そこにはぼやっとはしているが水田内に棒線が浮かぶ。これは今ではこの地域でほとんど見なくなった「ハザ」である。数年前にはこの季節になると伊那谷を中心に「ハザ」についてたくさん触れた。なかなか今ではハザを突く農家は少なくなったが、それでもまったくないわけではなく、とりわけ長野市近辺にはまだまだ多い。このハザが、この季節の過去の航空写真には見られるわけだ。したがってそれらを詳細にまとめあげれば過去のハゾ掛けの傾向をうかがうことができる。

 例えば昨日の国土地理院のMCB658X-C7-18を見てみよう。現在の「おこりぼうず」のあるあたりは、基本的に水田の長辺方向に平行にハザが作られている。ところが時おり平行ではなく斜めにしていたりすると、「なぜか」ということになる。ハザは長辺に平行に作った方が、刈った稲を運ぶ際に最も短距離で運ぶことができる。ようは所要時間を考慮すれば、自ずと長辺に平行になるのは当たり前なのである。ところがそうではないスタイルのハザが登場する。このことは平成19年の「ハザの突き方を読む」に詳しい。単純に日当たりだけではなく、風向きやあるいはそれ以外のことが影響したりする。とはいえ、あり前のストーリーが大きく変わることはない。

 近ごろ風のことがよく言われる。風が強いから区画を風に影響が少ない方向に割りたいという意見だ。そこでそうした風に対して意識の高い地域のハザを確認してみることに。伊那市東春近の上段、東原と言われる地域は風が強いという。このあたりの過去の写真でハザが写っているものを探してみた。昭和51年10月22日に撮影されたCCB7613-C15-2という写真を見ると、たくさんのハザが見られる。当時このありだでは10月22日でもハザがたくさん残っていたわけで、駒ヶ根市あたりよりは収穫が少し遅かったと思われる。このエリアでは南北に風が強いと言われているのだが、ハザは当たり前のストーリーで長辺に沿って平行に作られている。そうでないものは皆無だ。周辺を見てみみると、北側段丘下の原新田に長辺とは平行ではないものが多い。それらを見て思うのは、ハザは風よりは「日当たり」だということがわかる。南北にハザを作ることが好まれているようだ。とはいえ、天竜川の端にある田原あたりまで行くと、南北であったり東西であったり、とさまざま隣接していてもまったく違っている。田原の対岸を見ると短辺に平行に南北に設置しているハザが多く、ハザの向きは気象にかかわるとは思うが、地域性を表現するのかもしれない。


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