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伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

旧長門町長久保松尾神社入り口の道祖神

2024-06-17 23:53:28 | 民俗学

 上田民俗研究会の総会後、帰路旧長門町長久保の道祖神を久しぶりに見ておこうと思って、長久保の町を松尾神社に向かって上って行った。意外にこの道は傾斜がある。昭和62年の元旦にここを訪れており、当時旧和田村とこの長久保の道祖神の獅子舞を訪れている。このことについては、「昭和62年の記憶① 長門町長久保の獅子舞」と「昭和62年の記憶② 和田村中組の獅子舞」に触れているので獅子舞についてはそちらを見ていただきたい。

 当時、午後1時に始まった獅子引きにおいて、松尾神社まで上って行って、神社入り口近くにある道祖神の近くまで行き、御幣と獅子が道祖神の所までとんで行き、「どうそじんばんざい」とバンザイをしなから叫んで走って戻ってくるという珍しい所作をした。道祖神の近くに行くとこうした「どうそじんばんざい」を繰り返したもので、その印象は今も昨日のことのように記憶によみがえる。現在の道祖神の祭がどのようになっているかについては確認していないが、35年も前のことである。

 

長久保松尾神社入り口東の道祖神

 

 さて、「どうそじんばんざい」をする道祖神、この地域にはやはり自然石の道祖神が多いという印象を持っていたが、この話題が盛んになるまで、すっかり忘れていたことだ。何より長久保といえば、松尾神社入り口近くにあった双体道祖神はけっこう知られている。その道祖神を探して入口近くまで上って行ったが、道祖神の場所がすぐに分からなかった。するともう少し上に小屋掛けされた道祖神らしきものが見えたので、「これか」と思い上って行った。どうも当時の道祖神の場所とは異なっているよう。小屋の中に木札があって、そこには「道祖神移転記念」とあり、「社を新築し長久保十二開戸1216番地より1233番地に移転する 平成20年7月26日」と書かれている。長久保自治会によって移転されたようである。双体道祖神が2基あるが、ひとつは割れており、それは昔見た際も変わらなかった。社の中をぐるっと四方から撮影してみた。4枚目の写真が正面。次いで向かって左側から、背面から、右側から、と4枚並べてみた。正面からの左手奥、背面からの右手手前の白っぽいものはダルマの風化したもの。あとは一応「石」である。双体像2基のほかに石棒1基を含めて大小15個ほどの石が社の中に納められている。いわゆるゴツゴツしたそれらしい石もあるが、なんのへんてつもないただの石ころのようなものもあり、どこまでが祭祀物かははっきりしないが、一応社の中にあるものは、祭祀されたものではないにしても、誰かが納めたものと思われる。


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