Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

「豊橋行き」

2009-03-31 12:18:07 | つぶやき
 「今度二番線に参ります列車は豊橋行きです」というアナウンスが流れた。すごく新鮮な印象を受けたのは「豊橋行き」というところである。1日に走る電車のうち日中に伊那市駅にやってくる電車は午後の便はほとんど乗車した経験がある。ないのは午前中までのもので、それは南から北へ通勤しているからごく当たり前のことでもある。午前中に自宅に向かって電車を利用するなどということはあるはずもない。その午後以降の電車に乗った記憶では、「豊橋行き」という電車はほとんど記憶になかった。おおかたは「飯田行き」あるいは「天竜峡行き」である。あらためて「豊橋行き」という電車を数えてみると伊那市駅からのものは3便のみである。「意外にあるんだ」と思ったが、朝昼夕という配置である。とくに早朝に2便連続してあるあたりが、その立地上のポジジョンを表している。実は飯田駅始発の「豊橋行き」がけっこう多いことに気がつく。伊那市駅からのものの3倍近くある。約200キロほどローカル選を直接でつなぐ電車はとても少ないわけで、久しく普通列車しか走っていなかった飯田線に導入された特急「伊那路」も豊橋―飯田間しか走らない。それ以上北まで伸ばしたところでニーズがないということなのかもしれない。あるいは飯田―豊橋と飯田―辰野とは異なる世界があるのではないかなどと、いつものように勘ぐってしまう。もう大昔のことであるが、飯田線を豊橋まで乗車した時の印象は、中部天竜あたりから乗客が増え始め、豊橋の近くまで至るとローカル線という雰囲気ではなかったと記憶している。県内の飯田線を区切ると辰野―駒ヶ根、辰野―飯田、飯田―平岡、飯田―豊橋といった四つのイメージで運行されているという印象を受ける。そのイメージ外の電車が、午後5時20分伊那市駅発「豊橋行き」なのである。


 この電車に乗ることはめったにない。久しぶりに乗って新鮮な印象を受けたわけであるが、春休みの「豊橋行き」の雰囲気は少し違っていた。たった2両編成の電車は、駒ヶ根を過ぎるとふだんなら乗客がめっきり減るはずなのだが、この日は珍しく賑やかだ。両車両の様子をうかがうと、どちらの車両にも小学生くらいの子どもたちが親子連れで乗っていた。たった数人の子どもたちでも、電車を楽しんでいるからずいぶんと雰囲気が違う。先頭車両の運転席へのドアのところに立ってぴょんぴょんと跳ねている女の子の姿が見えた。背伸びをしないと前方がよく見えないようで、背伸びがあまって跳ねているのである。ふだんなら別車両の様子などうかがいもしないのに、それを実行したわたしは、やはりふだんにはない雰囲気を察知していたということだろう。思わず後部車両から異動して前に移った。女の子たちがどこまで乗車するかは定かではないが、彼女の妹は母親に抱かれて車外を眺めているが、時おりやってくる車掌さんに手を振る。ずいぶん車掌さんもそんな雰囲気に飲み込まれていた。ふと先ほど後にした後車両をのぞくと、やはり小学生らしき女の子が車掌さんにメモ用の手帳を持って質問している。そこそこ乗客の少なくなった空間で、車掌さんと子どもたちのやりとりが続く。いつしか暗くなってきたところで、先頭車両の運手席とドアのブラインドが降ろされ、跳ねていた女の子の姿はそこから消えた。きっと彼女たちが降りるのもすぐたろう、と思いながらわたしは電車を降りた。
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