Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

春の雪

2009-03-04 12:37:53 | 自然から学ぶ
 頭の上から濡れた塊が落ちてくる。すぐに思い浮かぶのは電線である。見上げるがそこには電線はない。全く障害物がないわけではないが、おそらく風を感じることはないものの、少しばかりの風を背負い、その塊は頭上にやってきたのだろう。「春の雪」が降った朝、電車に向かう道は、シャーベット状に雪が路面にたまり、とても歩くものには居心地のよくない世界を進む。下ばかりに注意を払っていれば、冒頭のように頭上から贈り物が落ちてくる。東京の今朝は、今冬では寒さの厳しい朝だったと天気予報で知らせている。雪も降ったと言う。暖かいところに住んでいると、肌を通して感じる外の空気の捉え方も長野あたりとは大きく異なるのだろう。何十年と季節の風を体感してきたわたしは、当たり前のように日々の様子を捉えているが、きっとそうした地域の人たちとはどこか体感しているものが違うだろう。例えば雪が降っている真っ白な世界と、放射冷却ですっかり晴れている世界では、どことなく真っ白な世界に寒さを覚える。もちろん何十年も体感してきたわたしも、印象としてはそう思うのだが、実は真っ白な世界は暖かい。印象として寒さを覚えるのは、「濡れる」ということが災いする。気温が低くなくとも、濡れることで人は冷たいものを感じる。寒さと冷たさというものはそもそも違うものなのだが、冷たいの後に「寒さ」が訪れることを解っているからその後のイメージをもって「寒い」と思う。そういうものなのだ。

 着雪して垂れ下がった竹が、道に覆い被さっている。開け放たれた空の下とは異なり、ぼたぼたと塊が落ちてくる。手に持った紙袋の口元をすぼめ、中にその塊が落ちないように足早に潜り抜ける。まさに「春の雪」である。体感として雪の中が暖かいとつくづく思うようになったのは、飯山に暮らしてからだ。降り続く雪の中で見る光景は、「冷たさ」を感じるものであったが、寒さは緩んでいた。雪国の暖かさのイメージを、5年という間に十二分に感じ取った。ところが気温だけをみると、けっこう低いこともある。昭和54年からの5年間は、雪の多い年もあったが、少ない年もあった。少ない年は気温も高い。いっぽうで多い年は気温も低かった。しかし、降り続く雪の中は、風もそれほと強くなく、暖かさを感じることも少なくなかった。もちろん吹雪のように降ることもあったが、きっとそういう日は外に出なかったから、そんな印象を持つようになったのだろう。昭和56年は豪雪の年であった。わたしたちの仕事はあたり一面真っ白では仕事にならないということもあって、雪のない時期が勝負だった。だから冬場は半分は遊んでいたようなもので、会社の先輩たちと十日町まで雪の様子を見学に行ったこともある。少し前に秋山郷で雪崩で孤立というニュースがあったが、当時は孤立することは珍しいことではなかった。飯山の町の中も屋根から降ろされた雪が積み重なり、建設業者による排雪がされるまではそれこそ二階が地上のようなものであった。とくに飲み屋街のあった鉄砲町には、そんな通りが目立ち、いったんその姿になると、雪解けまでずっとそのままという通りもあった。今でも変わらないのか、それともほとんどの通りが除雪されるのかは知らないが、そもそも雪そのものが少ないようだ。つい昨日のような体験だが、もう30年ほど前のことになる。
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