Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

でんものこ

2009-03-17 21:19:54 | 民俗学


 宴会の席にふきのとうのてんぷらが出された。そういう季節である。今冬は暖かかったということもあるのだろうが、正月前からすでにその姿を見たものだ。我が家でもこのところ「ふきんと味噌」が食事の舞台に登場している。炊き立てのご飯なら、ほかにおかずがなくてもそれだけで食べてしまうこともある。もちろん妻は、ほかのものも食べるように促すが、野にあるものが好きなわたしである。これからしばらくはそうした野にあるものが食事の場を彩ってくれる。

 松村義也氏は『山裾筆記』(平成3年 信濃教育会出版部)のなかでこのふきのとうについて触れている。駒ヶ根市の光前寺のあたりではふきのとうのことを「でんものこ」と呼ぶらしい。「でんものこでんものこ見つかれよ。わたしだけに見つかれよ」と子どもたちが口ずさみながらふきのとうを探したものだという。この「でんものこ」を利用した言葉として次のような表現を解説している。「蕗のとうはあたこちに芽を出す。そこで、どこへでも顔出す人を、あの人はでんものこのようだといった」と。

 山菜については民俗誌の中でもあまり触れられていない分野である。『長野県史民俗編』膨大な資料編の中でも、実は食生活の中であまり登場してこないのが山菜である。項目として山菜を直接取り上げているものが無いから当然のように取り上げられないということになるのだろうが、長野県のように平地の少ない土地では、耕作空間ではないところに生えてくるものをずいぶん重宝してきたはずである。ハレの食事に登場し難い食材ということもあるのだろうが、だからこそ取り上げられなかった部分である。もちろん季節ものであるから日常食卓に並ぶものではない。食卓への登場の仕方を見る限り、ハレのものに近いのであるが、なぜか登場させる場面が民俗の視点に不足していたということになるかもしれない。

 『上伊那郡誌民俗編』を開くと、季節ものの山菜や虫について少し触れられていが「その香りと共に早春のよろこびを伝えてくれる。ふき味噌、多くあれば三杯酢、いずれもいい」と簡単なものである。むしろ煮物として利用される蕗のことについて多く触れられている。利用方法が限られているし、ハレの場には利用されないから、記述してもこの程度ということなのだろう。「でんものこ」という呼び方は知らなかったが、きっと呼び方も含め山菜を採るという行為の中では、民俗があったのではないかと松村氏の記事から教えられる。加えて捜し歩く際に歌ううたがあったということも興味深い。
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