Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

週末の愚痴

2009-03-08 18:26:12 | つぶやき
 これほどやり難い仕事環境は久しぶりかもしれない。かつても社内での居心地が悪く、「勝手にすればよい」風に独りなることはあっが、どこかで誰かは解っているというような期待を持っていた。しかし、年老いてくるとそうはいかない。かつてなら上が見ていてくれる、という意識もどこかにあったが、今は下の方が多い。そうした中で自分のことをどう自分のなかでポジショニングするか、精神的に重くもなる。加えて人との関わりは極点に減少した。逆に言えば同じような精神的な部分を誰しもが持っているのだろう。それを仕事で計るという捉え方だけでまとめ上げていこうとする社内の風は、人間的にどうなのかということにもなる。人間社会の縮図のようなものを、会社の中でも垣間見るわけだ。

 潔白で誠実で、まじめでなくてはならない、などという姿を掲げても、それでもって人の心が動じずに育つというものでもないだろう。わが社の最も問題な部分として、かつては毎年のように新人が入ることで新しい風が流れていたものが、それが途絶えるとともに、人々の間に部下への眼差しが極端に減少したということがあげられる。上下関係は変わることなく、そのままスライドして吐き出されていくだけという環境である。先が見えない中で、規模縮小だけを目指して進んでいる。二度と仕事量が右肩上がりなることはないという確実な中での現象である。そうした中でなりふり構わず仕事をとる。そしてお役所のような体質の中で何を求めるかが見えずに日々を送る。かつての悪い体質のまましぼんでいく時ほど、人々の心を揺り動かすことはできない。新しい顔がいれば、自らにも問いただす作業が必ずある。しかしすでに会社で10年以上経験した人ばかり相手ともなれば、何も言わなくても仕事は忠実にこなす。ところが忠実にこなすからこそ、人との接点もなく、会話もなく、そしてあったとしても議論は平行線だけで、時ばかりが過ぎていく。結論として議論をする意味がなくなる。この悪循環を理解している社員も数少ない。矛盾を感じながらも自分の今までのやり方でやれば、とりあえず仕事は処理されて、初期の目的は達成される。会社としても業務が処理されれば良いから、それ以上の指導もしない。そして心の問題を何とかして欲しいと言われると、研修でメンタルヘルスがどうのこうのとやって、それで要求に答えたとばかりパフォーマンスである。何をするべきかが解っていない。

 独立して壁を作りたがる出先。それぞれの出先で人が限られている中でこなしていく。それでも他の出先に仕事を手伝ってもらう、わが社ではこれを「応援」と言うが、人の仕事をやってもらうということはどれほど自らの出先が仕事が多くなったとしても「御願い」であるはず。かつて人に手伝ってもらう際には、それ相応に相手側に尽くしたものだ。その段取りに手がかかって大変だと思えば依頼しないし、それでも処理不能だとすれば依頼した。そうした天秤にかけたものである。ところがこのごろは「お前たちの分も仕事を見つけてやった」みたいに「御願い」ではなく逆に「お礼しろ」みたいなやり方に変わった。そんな雰囲気をもたせている空間の部下たちは、それを当然と考え、まるで委託業務のように要求に答えようと手を出す他の出先の者を扱う。上司がそれで良いと指導しているのか、そんな空間で当たり前のように働かされているから部下がそう悟っているかは知らないが、こうした部分にも人の心を患わせる源がある。

 どれもこれも異動はあっても熟成してしまった人間たちに風を吹き込むことのできない社風が影響している。業務上の会話ではなく、もっと素直な言葉を雑談で話せる環境があるべきなのだろうし、上もそれを実践していく必要があるのだろうが、まじめなスタイルは、まさに潔白で誠実そうに見え、何事もないように職場は回わしていくが、病は蓄積している。
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