Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

地域を繋ぐ縄

2008-12-23 19:00:23 | ひとから学ぶ
 先日の日曜日は氏神さまの注連縄作りであった。注連縄を4本のほか、元旦祭用の榊とりや松飾りの準備した。隣組に当番が回ってきての仕事だったが、準備の次には実際の元旦祭も祭事当番となる。この正月はまだ陽の上がる前から忙しいことになる。神社には4時半集合ということになったから、ずいぶん早朝から地域のための仕事始めのようなものである。注連縄は鳥居と拝殿、そして神殿に掲げるものになるが、鳥居に掛けるものが最も太いものとなる。とはいえ、それほど太いものではないから、完成までにはそれほど時間は要さない。めったに回ってくる当番ではないので、注連縄をなうと言っても「解らない」という人が多い。そういえばカメラを持って行って写真に収めようと思っていたのに、1枚も成果にならなかった。忘れていたということになる。

 いよいよ年末ということであるが、11月に入ったころは余裕であった気分が、すでに年末ということで焦っているこのごろである。何より仕事が予定通りに終わっていない。このまま年を越えてしまうと、正月早々から忙しいとともに、年度末もあっと言う間にやってくるだろう。例年これからの季節はみな顔色が違う。ようは当面の仕事を終えて、新年度に向けて余裕を持つ時期である。ところがそんな時期になると毎年焦っている自分がいるようにも思う。「これで同じ仕事量なのか」とみてみれば、同じではないのだ。もちろんそれを解っていてこの数年間はこなしてきたが、のほほんとしたやつがいたりすると「悪い人間」に変化したくなる。これもまたわたしの性格である。そろそろ「いい歳」になった自分は、今や誰にも何を言われても負けはしないくらい反論する。それをわたしは良いこととは思っていないが、では「あなたたちは何をしているんだ」と突きつけたくなる。世の中は景気後退で仕事にありつけない人たちもいるというのに、こののんきな会社を見ていると、「何が正月だ」と口にしたくなるのも、不良中年たる所以である。

 さて、同じ日、自治会の年末総会があった。かつてなら年度末総会であるが、今は年末総会である。とくに年末におこなわなくても良いのだが、やはり「年末」という気分は「年度末」とは違い、従来からの人々の思いもあるのだろう。まあそれを感じている人がどれほどいるかは知らないが、年末には一応忘年会なるものを行う。ようは会所で一杯やるのだが、会議が終わって忘年会が始まるころには頭数は半減した。ここにも宴会当番という人たちが2割近くいるから、当番がいなかったらもっと頭数は少ないのかもしれない。ここに越してきたころには、忘年会といえばほとんどの人たちが残っていた。気がついたのはここ5年ほどだろうか。急にその人数が減り始めた。それもまた自治会の年度末が年末から年度末に変更されたころからだ。役所から指導されて年度末切り替えになったというが、何も考えずに同調するからこんなことになる。もはや地域自治も風前のともしびといったところである。半数ではないかと感じたのは今回が初めてである。これほど少なくなると、わたしもわざわざそこに残っている必要を感じなくなる。とくに当主なのか定かではないが、若い人たちの姿が率先して消える。世代を超えたかかわりを望まないこの時代は、地域自治の中にも確実に現れている。そして年寄りたちもわざわざ若い者に声は掛けなくなった。もちろんわたしも同じくである。

 消え入るような地域のかかわり、毎年行っている元旦の新年会も、周りではほとんどしなくなっているようで、いよいよわが隣組もそんな傾向を口にする人も出てきた。果たしてこの地域のつながりはどこへいってしまうのだろう。



 注連縄作りをしたということで、滋賀県での「勧請吊り」行事を思い出した。こちらは正月にかんじょう縄と呼ばれるものを鳥居などに吊るす行事がある。注連縄と基本的には似ているものの、いわゆる注連縄よりは多様で飾りそのものも充実したものである。「勧請吊り」は外からの疫神の侵入だけではなく、在所内の規律と秩序を守ることも同時に誓ったというから、この行事で地域の綱も繋いでいたということになるだろうか。写真は昭和64年1月4日(今は12月の第3日曜日に行うらしい)、昭和天皇崩御直前の日野町熊野神社の勧請縄作りである。
コメント


**************************** お読みいただきありがとうございました。 *****