Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

日々眺める彼方

2008-12-18 12:41:45 | 自然から学ぶ


 天気さえ良ければ毎日のようにこんな具合の空を眺めているところに住んでいる人たちは、その毎日をどんな具合に感じているだろう。どこまでも扇状地の造ったなだらかな丘陵が続いているが、実際はこの丘陵をたぎるように天竜川の支流が流れている。しかし、その谷はずいぶんと急激な段丘をこしらえているから、こうしてどこまでも丘陵は続いているように見える。そんな具合に見晴らしのよいのは、伊那市より北側の南箕輪村や箕輪町の天竜川以西の地域である。「大泉の里」で触れているように、こうした丘陵地には水が乏しかったため、かつては平地林だっただろう。そこへ用水が引かれるようになり、水田化したり、また人々が開拓して平地林をなくしていった。いまやこんな具合に遮るものがないほどになだらかな土地は耕作地へと変わっている。その耕作地に、今は点在して新興の住宅地が増えている。このただっぴろい空間のどこそかで宅地が造成され、また建築中の家が目立つ。そしてこんなような広い空間を眺めて、それらの人々は暮らしを始めるのである。もちろんここに暮らしている人たちではなかったから、暮らし始めて意外にも風が強く、また寒さが厳しいことを感じている人たちもいるのだろう。それにしても陽が沈む光景を我が家から毎日のように見ていれば、何らかの思いが育まれるはずだ。仕事に明け暮れていれば、そんな光景に目を向けることもそれほどないかもしれないが、この広がりある空間は、休日でも十分に認識できるだけのものがある。

 考えてみれば同じ伊那谷に暮らしているのに、こうした光景を常に目にすることのできる地域はそれほど多くはない。我が家から南を見渡しても遮るもの、たとえば果樹園や起伏のある尾根などがそれを許さない。北側にいたってはこれほど一定した緩傾斜ではないために、家も果樹園も、そして雑草すらそれを遮ってしまう。天竜川の方向に傾斜しているこの洪積地が南北にも凹凸を造るなか、凸部である尾根のような場所に住まいを構えていればともかくとして、そのような場所の風の強さはまた格別なのだろう。ようは伊那谷でこうした光景を目にする場所は、それほど住みやすい場所とはいえないのだ。ところがこの写真を目にする地域は、それほど南北方向に凹凸が激しい場所ではない。もちろん雨が降れば低いところに水は流れるから、少なからず凹凸を造り出しているものの、その高低差がそれほど大きなものではないから、広大な水田地帯の多くの場所から、これと同じ光景を目にすることができる。そしてこの写真のように南側は中央アルプスからの裾野が右側から、南アルプスを背景に伊那山脈の裾野が左側から天竜川に向かい、それぞれは地平線として交わるのである。いわゆるV字型のくぼみがしっかりと解るわけで、これほど理想的な展開はない。いや、V字というよりは半円状にやわらかく見せてくれるから、より一層印象は「その先」へ導く。

 いっぽう北側を望むと同じように左右から裾野がやってくるものの、正面には長野県のど真ん中に居座ってそれぞれの地域を分断している山々が見え、南側のような広大な展開とはいかないのだ。加えてこの季節、左右に寒々とした山々がそびえるとともに、正面には常に雲のかかった冬の山があったりすると、あまり方向として北側を目指したくなくなると思う。不思議とこうした空間に日々暮らしていると、きっと南への指向性があると思うのだが違うだろうか。「あの凹部のの先には何があるだろうか、とそんなことを昔から人々は考えたはずである。そういえば南箕輪とか箕輪の人たちは飯田へよく足を運ぶということを聞いたことがあるような気がする。けして昔からこの地に住んでいる人たちより、新たにこの地に住み着いた人たちの方が「あの向こう」をきっと強く意識するとわたしは思う。

 わたしは地域性を考えながら伊那と飯田の不一致について何度も触れている。しかし、毎日のようにこうした光景を見ていると、方向性ということに関しては南をそれほど毛嫌いしているはずはないとわたしは思うのである。もちろんあの凹部のあたり、そして向こうは、まだまだ飯田にはほど遠いと思うが、南へ広がるこの空間は、けして侮れないものだと思う。
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