Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

楽観的

2008-12-12 12:38:15 | ひとから学ぶ
 考えてみると不思議なことはたくさんある。食品偽装が陰を潜めてきたこのごろであるが、国内農産物を利用しようとする言葉をその当時はよく耳にしたものだが、陰を潜めるとともに、国内の自給率の話も農業振興に対しての話も、けっこう人ごとの世界に戻ってしまう。そのいっぽうで日々消えていく農業の灯火をみるにつけ、この十年とか二十年の著しい現場の変化を多くの人々は体感していないはずである。それほどの急激な変化が、農業の舞台を諦めの境地に誘ったことは事実である。もちろん活気のある場面や人々を見ることはできるが、ごく一部分といってもよいだろう。いきなり自給率40%という数字が現れたわけではなく、その基礎的な流れはあったことだし、にもかかわらず関係者は工業生産において低賃金国を求めたように他国へ流れていく依存傾向を支えてしまったことは事実のはず。国もそれでよしとしてきたのだから今更何を言うか、という事態である。

 先日も少し触れたが、今は集落営農へ向けて国は補助金を出している。しかし疑心暗鬼な農民は、集落営農の先にある法人化は「無理」と解っていても補助金目当てに「とりあえず」集落営農組織化をしている。そんな状況を見て国は「法人化」という条件をカモフラージュしたようにあまり明確にしていない。絶対「法人化」という条件であったなら、どこでも「組織」みたいに集落営農化しなかったはず。もちろんそれを避けてそうした補助金に手を出していない地域もあって、その対応の仕方には格差があるようだが、これらも行政を司る人たちの考え方ということになる。いかにこの国の人々の暮らしは、国、そして地方行政の人々によって左右されているかがよく解る。そしてその行政は、政権が変わることでさらに左右の振れ方が大きくなることになり、日々追いついていない人々は、ますますその振り子の上でしがみつくことになるのだろう。いっそ自給率などという数字は気にせず、これまで同様何でも国外に求めればよい、と言うのは暴言だろうか。

 食品偽装で死者が出たというほどのことはない。偽装だけではない少し前のBSEもそうだが話題をさらうほどには、被害者は少ない。交通事故や成人病と言われる病での死者の方が、社会問題としては大きい。さらには今後さらに厳しい状況に陥ると思われる介護なども含めて、問題は山積みとされている。報道のせいとは言わないが、にもかかわらず中国への風当たりが強かったように、実際の被害はなくともみな手を出さなくなる。そのくらいなら「絶対悪影響」と言われるタバコを吸わなくなるかといえば、そんなことはない。わたしも添加物の表示を見ながら食品を選択するが、だからといってその内容物で被害を受けていると明確には言えない。その表示に偽装があったとしても「死ぬことはない」程度に捉えれば、タバコを吸うよりも安全と思うこともできる。加えてこの世の中の寂しい限りの現状。自らだけが生き延びたとして、果たしていかなる世の中がそこにあるだろうか。これぞマイナス志向といえるかもしれないが、逆に言えば楽観的といえるかもしれない。健康で長生きしようと思えば、ストレスをためずに、運動をし、安全なモノを食べ、きちんとした生活をする。振り返ってみれば、そうした生活をしている人は稀だろう。ようは生きることの選択など運命的といえるものなのかもしれない。と楽観的に捉えると、ストレスは減少し、いっぽうで怪しいものを口にするということになる。「いってこい」ということでよいように思えてくる。
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