Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

家族連れで電車に乗る

2007-10-30 12:30:09 | ひとから学ぶ
 休日の電車に乗ると、また新たなる思いをする。ふだん同じような時間帯に乗っている空間とは明らかに異なる。休日の日中に境界域(郡境)の電車に乗って家族連れが乗っていたりすると雰囲気が違う。こんな光景があると、電車に休日に乗るのも楽しいものだと思う。きっと子どもたちが「電車に乗りたい」というケースもあるだろう。また、ふだんにはない空間を楽しもうと乗る乗客もいるだろう。高校生なのか、もう少し上の世代かは解らないが、台風一過のずいぶんと白くなった中央アルプスの姿を撮ろうとケイタイをかざす。子どもたちは先頭の窓に展開する風景に声をあげる。すでに南アルプスは真っ白である。そんな光景と電車内の光景は、ふだんになく和やかな雰囲気を醸し出す。平日の電車内には乗客がまばらなのに、休日の電車内は、それほど乗客はいなくとも、どこか賑やかである。

 そんな休日の昼間の電車とは別に休日の通勤時間帯の電車もまたいつになく違ったものがある。もちろん平日の通勤時間帯に比較すれば混雑していない。しかし、そんな空間に平日と同じ顔がやってくると、この人たち「いつ休みなの」と思ったりする。土曜日にそんないつもと同じ顔を見たのに、日曜日にまた同じ顔を見る。たまたまわたしと同じで、この2日間だけ休日に乗ったのかもしれないが、そうでないのかもしれない。まったく休みなく働いているのか、それとも平日のどこかで休んでいるのか、そこまで意識したことはない。たまたま土日に同じ顔を見るから、「毎日」と思ってしまうのだ。

 わが家では子どもが小さかったころに、そんな具合に電車に乗ることはなかった。おそらく2人以上なら、自家用車の燃料費と電車賃を比較すれば、自家用車の方が経済的だ。もちろんそこに維持費は加算されていないが、、自家用車を所有している以上、乗っても乗らなくても維持費はかかる。そう考えれば、家族にとって自家用車は都合のよい道具である。しかし、ふだんなら「こんな人の乗らない区間」に家族連れで、それも遠くからやってきたわけでもなく、また遠くへ出かけるでもない人たちが乗っていると、飯田線もまんざらじゃないじゃないか、と教えられる。もっとこんな乗客が増えればと思ったり、そんな空間なら休日も電車を利用しようなんて思える。なんとなく心のゆとり、そんなところだ。自家用車で買い物にやってきて、とろくさい車に向かってクラクションをがんがんと鳴らし、罵声をかける家族連れのふざけた父親を見ないだけ、電車内は人間的である(今やそれは逆なのかもしれないが=電車利用者が非人間的)。
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