Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

よそ者の見た駒ヶ根の暮らし其のⅠ

2007-10-15 21:48:34 | ひとから学ぶ
 「駒ヶ根」「交通事情」という検索をしていて見つけた「緑陰生活体験記」は、駒ヶ根市に住んだ都会人の体験記である。現在も駒ヶ根に住んでいるのかどうかは定かではないが(HP内を徘徊すればわかるのかもしれないが)、都会人というよりも伊那谷とまったくの無縁の人の思うところが解って興味深く読ませていただいた。いわゆる〝よそ者〟にとってこの地域がどう映っているか、そんな視点をここで考えてみることにする。

①南信州伊那谷
 冒頭駒ヶ根のことを「南信州伊那谷」という表現をしている。5年暮らした間での体験というが、このあたりではこういう使いかたはあまりしない。飯田で働いて駒ヶ根で暮らすというスタイルの中で、飯田地方で使われる「南信州」というイメージがこの方にはぴったりだったのだろう。「伊那谷」ではなく、「南信州」と冠しているあたりがよそ者にはこうしたイメージが似合うということなのだろうか。地域で区切っている自治体枠とか共存圏のようなものは、よそから見ると細かすぎるという印象は強いはずだ。そういう意味でも常日頃わたしが言っているように、下だの上だの、あるいは北だの南だのという地域意識が小さいものだと言うことを外から教わるわけだ。ただし、その細かい枠を作る田舎の考えを否定するものではない。 

②みんな知り合い
 地方の町では「みんな知り合い」という雰囲気があって息苦しかった、なんていう。地方に住んでいる者でもなかなかこういう意識を持つことはなくなった。しかし、あらためてこの印象を聞いて、同じことを日ごろ自分も感じていたことに気がつく。狭い空間で暮らしていると、対象は地域の人たちになる。仕事をするにも地域の付き合いをするにもそういうことになる。ところが、わたしのように生業空間は自宅のある空間ではないことから、地域の人の顔を見ることは極度に少ない。加えて住んでいる地域で生まれ育ったわけではないから、10年以上住んでいても知らない人がほとんどだ。そんな人間が地域の集まりにでも顔を出しても認知度は低い。もう少し広いエリアの集りともなると、「誰あの人」状態である。そんななかにいると、わたし以外は「みんな知り合い」という印象を受けて、性格上なかなか加わりにくいものがある。おそらく同じような経験をよそ者は新たな地域に入ると体験することになるだろうし、いっぽうでそんな雰囲気は地域にだけに限定されたものではなく、どこの空間にもあり得る話である。

③自治会
 予想通り自治会加入の話しが登場する。誰しもびっくりするのは加入費だろう。この方は短期加入と言うことで加入費はずいぶんと安かったようだが、永住するかどうかわからない人にとっては、その金額の大きさは並ではないだろう。自治体は加入してくれることによって配布物の手間も省けるし、いざというときの把握ができるということで加入を勧めるが、自治体が加入を勧めるというのも考えてみればおかしな話しで、その意図はしっかりと伝わっているのだろうか、とこうした意見を聞くと思うわけだ。自治体の手抜きのために勧めるのではないかと勘繰られても仕方ない。地域の人たちが自治意識をどうとらえているかということにもなるのだろうが、いっそ山間のような地域ならともかく、中間の曖昧な集落にとっては、新住民に対しての説明が適正ではないのではないかと思うわけだ。この方のように(1)加入費、(2)集積所に会員しかゴミを出せない、(3)寄り合い、(4)出不足金、(5)会費から補助される酒代といったものをどう原住民が説明するかによって大きく捉える側のイメージはことなるはずだ。

 会費を納入してもその会費が酒代になっているというのは、異論の多いところだ。そんな現象をなくそうという意識も地域によってはあるだろうが、いっぽうで顔が見えなくなったこの時代だからこそ、そういう親睦を目的にしたものも必要なのだろう。ただ、自治会費ではなく、飲み目的のものであるのならその場に参加する人たちだけが支払えばよいこと、というごく普通の考えがなかなか通らないことに違和感を覚えるわけだ。このあたりが地域の枠とそこへ入るものの第一の障壁かもしれない。

 続く。
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