Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

よそ者の見た駒ヶ根の暮らし其のⅢ

2007-10-19 12:11:29 | ひとから学ぶ
 駒ヶ根暮らしした都会人の「緑陰生活体験記」から教えられたものについて触れた第三章である。

⑦墓掘り
 隣組のおばあさんが亡くなって葬式の手伝いに加わった。隣組長だったため普通なら葬儀委員長になるところを、永住者じゃないといこともあっただろうし、慣れていないということもあってその大役は大家さんが引き受けてくれたという。そして役割は墓掘り。もちろんこの時代に土葬はないから、かたちばかりの墓掘りである。このあたりでは当日に納骨するから、墓に行って納骨の準備をしたのだろう。初耳だったのは、精進落としにおいて墓掘りの人が最も上座に座ることになるということだ。わたしも現在の地域に入って葬式を何度も経験しているが、上座は組長となる。墓掘りが上座ということはこのあたりでは言わない。この方の場合、もともと組長だったということもあって上座に座ることになったのでないのか、などという解釈をしてみるがどうだろう。

⑧ホスト
 わたしも会社に入ってからというもの、宴会と言えば注ぎ歩くのが常識という感覚を教わった。それだけ宴会が昔は多かったものだが、常識的に注ぎ歩いたからといって相手は覚えていない。口は上手ではないから、注ぎながら相手の世界に入るということはなかなかないし、それほど共通の話題というものもなかったから仕方ないことなのだが、慣れはしたもののストレスのたまる行為だ。しかし、その行為を否定するものではないし、わたしも人並みにそんな常識は持ち合わせていたから、ある程度人と会話をすることができたわけだ。そんな行為で自分を見つける人もいる。しかし、こうした因習とでもいえる習俗は、かつてに比較すれば少なくなったし、意識も低下したといえる。宴会で注いで歩かないからといって怒る人もいなくなったし、注ぎ歩くような空間で飲み会をすることも極度に減った。狭い空間ではそんな行為をするという雰囲気もない。緑陰生活をされた方は、冠婚葬祭、とくに結婚式で注ぎ歩く親族に閉口したという。わたしも兄の結婚式の際には、「注いで歩くように」と父母にきつく言われたものだ。「弟です」と注ぎ歩くのだが、宴会で注ぎ歩くよりは気楽なものだった。もう20年以上前のそんな結婚式だったが、いつごろからだろうか、結婚式に行っても親族が注いで来なくなった。もちろん当事者の父母はやってくるのだが、兄弟がやってくるなどということはほとんどなくなった。近ごろは父母であってもかつてのように盛んに注ぎ歩くという姿をみなくなった。ということで「ホスト役」と表現されたものの、それも絶滅状態というところだろうか。

⑨交通事情
 このページを見つけた理由が交通事情だった。駒ヶ根市の道路を走ると大変渋滞することは何度も触れた。「駒ヶ根市 交通事情」という検索から始まったわけだ。緑陰生活された方も言うように「田舎は車社会で交通弱者には厳しく、またそのため駅前商店街なども衰退し、コミュニティも破壊されていくのです。なにしろ人が歩いてる姿を見かけないから路上の世間話というのもない。子供の通学も親が車で連れて行ったりしている。子供が電車に乗る機会もないから車内マナーも悪くなるわけだ。歩いていると不審に見られるくらいです。まあこうした現象は車優先政策を変えない限り根本的に解決しないでしょう」という視点はみごとにこの地域の現状を捉えている。地方に世間話というものはなくなったのではないかと思うほど貧困状態だ。もちろん集りというものはあるから、そういう場での世間話というものはあるのだろうが、道端の会話というものはまったくなくなったといってよい。その代わりに〝ケイタイ〟というものが存在するのだろうが、路上の世間話とケイタイの世間話の違いはいずれ考えてみたいものだ。
 
 子どもが電車に乗る機会がないから・・・というが、高校生くらいになると通学に使う。まだ大人に比較すれば乗る方で、大人の頭の中に「電車」などというものは抜け去っている。そんな意識だから公共交通機関を利用するという意識はまず発生しない。きっと大人だってマナーを知らないかもしれない。

 続く。
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