Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

電車で買い物

2007-10-07 10:01:58 | ひとから学ぶ
 またまた公共交通機関、バスの話しである。高速バス停までの連絡がよくないということを書いた。長野行きの高速バスに伊那から乗車するには、伊那インターまで行く足を考えなくてはならない。そんなことを考えながら、ちまたの路線バスについて考えてみたのだが、妻とこんな話しになった。わたしは高校時代、駅まで歩けば学校に通えたが、妻は鉄道沿いの村ではなかったから、利用するとすればバスしかなかったわけだ。ところがそのバスそのものの便数が少ないとともに、時間的にも融通がきかなったから、結局バイク通学というものを選択するしかなかったわけだ。下伊那郡内では同じような理由でバイク通学が許されたものだ。高校生がバイク事故で死亡なんていうニュースが時おり流れて、高校生のバイク免許取得に対しての議論が盛んにされた時代である。通学ではない生徒たちでも免許を取得できたものだ。

 時代は変わって通えない子どもたちでも、それぞれが自家用車で送り迎えをするケースも当たり前となった。ますます融通のきかないバスを利用するというニーズはなくなり、赤字の路線を継続するほどバス会社も慈善活動はできなくなった。そんな状況が変化して、現在の自治体内の循環バスというものが生まれたのだろう。子どもたちも減少したから、子どもたち優先の運行も限度があるだろうし、なにより親が送り迎えするようになって、必要度がさがった。大人が利用しないのだから意識が変化するのはあたりまえだろう。なぜ循環バスは残ったのか、通勤通学のバスは消えたのか。この根底こそ、地域が疲弊したものだろう。循環バスは、どちらかというと「お年寄りの足」という印象が強い。しかし、そうした循環バスにそれほど乗客はいない。誰も乗っていないことも珍しくはない。福祉的なものなら残るが、そうでないものは自治体も銭を出しにくい。しかし、根底とわたしが言うように、子ども時代から意識を自家用車的にしてしまうと、それから後に意識を戻すことは困難だ。もちろん子どもたちだけのことではなく、大人も自治体も勘違いしてしまう。個人の自由だからという前に、一体となった地域育成が、田舎には必要だったのではないだろうか。バスが走っていると思いきや、自治体内を循環しているから、用途としてよそとの連絡には使えない。ようはたまたま自治体の希望でバスというものが存在しているだけで、必要性がそこにはないのだ(これもまたすべてとは言わないし、山間地に向けたルートをバス会社に依頼しているケースもある)。しかし、自治体がこんな必要性のないバスを望むのなら、合併するごとに循環エリアが大きくなるということになる。そう考えていくと、合併して大きくなった方が、ことバスの利便性から考えれば良いことになるということだろうか。何を言いたいかととえば、自立するのもよいが、広域で利用価値のあるものは何なのか、ということを冠婚葬祭以外にも検討するべきではないかということだ。みんながみんな自分の自治体のことばかり評していては、足の引っ張り合いで終始してしまう。もちろん負担しているとなれば、よそのことを考える余裕などないということになって当然だが、どこも苦しいんだから支えあっていこうという意識を持てないものなのだろうか。

 さて、通勤定期があれば、土日でも利用できる。そんなことから、買い物も電車で行ける、なんていうことを妻に言うと、「あんたテレビ買って抱えてくるの」と馬鹿にされる。そういう買い物はともかくとして、思い出すと昔は電化製品を抱えて電車に乗ってる人がいたものだ。もちろん自らも高校時代に、購入した少し大きめのダンボールを抱えて乗ったこともあった。そんな姿はとんと見なくなった。恥ずかしくてそんなことできない、ということもあるかもしれないが、恥ずかしいと思うほど土日に乗客は乗っていない。だから「ぜんぜん恥ずかしくない」とわたしは思っているから、今度やってみよう。
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