Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

〝美しい村〟に一言

2007-10-20 08:31:42 | つぶやき
 「日本で最も美しい村連合」に参加している大鹿村の中川村長が、『農林統計長野』の最新号にこのことについて触れている。以前少し触れたこともあるが、この連合に参加している地域(わざわざ〝地域〟と書かざるをえないのところに不思議さがあるが)は9地域あるという。その中の一つに大鹿村が入るのだが、長野県にはほかに木曽町開田高原が加わっている。なぜかこの〝開田高原〟だけ〝村〟ではなく、地域なのだ。だからわざわざわたしは〝地域〟と捉えたわけだ。もともと開田高原地域は旧開田村だったところで、合併してしまったから〝村〟とならないのだ。にもかかわらず〝美しい村〟連合に加わっているところが不思議なのだ。

 とそんなことを前から思っていたのだが、中川村長はこの連合に加わる資格基準のようなものを紹介している。その基準によると、①人口がおおむね1万人以下であること、②人口密度が1平方メートル当たり50人以下であること、③地域資格として、景観と環境、そして文化という三つが与えられていて、このうちの二つ以上が該当すること、④地域資格を生かす活動をしていること、以上がその基準だという。資格委員会の審査で基準を満たさないと判定されると、連合への加入が認められないという。そして実際に資格審査で参加できなかった村があったという。

 この審査基準は定量的な審査基準がほとんどない。しいていえば①と②だろうか。おそらく〝おおむね〟の数値であって、断定的なものではないのではないだろうか。それほど曖昧でありながら審査で認められないということがあるとしたら、何が原因なんだと考えてしまう。人口が極端に多かったのか、あるいは都市周辺の村だったのか定かではない。ただ、中川村長が盛んにこの審査基準のことを重点的に触れているところの背景はなんなんだ、と意識せざるをえないのだ。先の内閣が〝美しい〟を連発したが、あまりの曖昧さに短命な内閣を招いた。何をもって美しいのかその判断はわかりづらい。美しい村の条件として、なぜ人口や人口密度が優先されるのか、そして、こういう基準をもってして「過疎対策」を行っていくという。そういう施策としてサポーター企業との連携、都市と農村の連携を目指すというのだ。①や②という条件があるということは、あり得ないかもしれないが、人口が増加して活性化策が成功したらこの連合から脱退することになるのだろうか。〝美しい村〟と冠しているが、過疎対策連合の一つというだけのことではないのだろうか。

 最後にこんなことも述べている。「都市は変わり続けることでその活力を維持し、農山村は変わらないことで癒しの空間を提供する。そうしたお互いの存在を認め合い、都市と農山村が共に発展できるような関係を構築していく必要がある」と。この言い回しは一見正しく、またごく普通に聞こえるのだが、都市は「変わり」、農山村は「変わらない」という考えは正しくないと思うが違うだろうか。農村の文化は変わらないことで維持されたものもあるだろうが、そうでないものもたくさんあるはずだ。

 資格基準を定めるのならば、例えば村の中心部から六等星がいくつ見える、とか中心部でカッコーの鳴き声が聞こえる、とかコンビニがない、なんていう具体的なものをあげた方がよくないだろうか。わたしの認識にはないが、そういう指標を独自で設けている地域が必ずあるはずだ。
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