Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

ふるさと

2007-01-23 08:13:32 | ひとから学ぶ
 「ふるさと」とは必ずしも出生地ではなくともそう呼ばれる。ようはイメージとしての「ふるさと」もできあがっているのだろう。人それぞれによって捉えかたは違う。しかし、唱歌「ふるさと」のイメージは誰にも強いものがあり、その内容からすれば、やはりふるさととは生まれ育った空間といっても異論はないだろう。唱歌を歌う意図がみえなくなったこのごろの小学校でも、唱歌「ふるさと」を知らない子どもは少ないだろう。それほど日本人に親しまれている「ふるさと」ではあるが、いっぽうでふるさとを意識することがなくなったことも確かで、ふるさと=田舎(この場合の田舎とは出生地としての田舎をいう)という図式も、必ずしも成り立たなくなっているようだ。団塊世代を地方へ住みませんか、と呼び込もうとする動きは盛んだ。そんなフレーズ「団塊世代よふるさとに帰ろう」は、必ずしも従来の「ふるさと」イメージとは異なる。出生地=ふるさとではないのだ。ふるさとイメージされた場所をもって「ふるさと」とするのなら、それは人それぞれ、そこにふるさとをイメージできれば、住処となり、ふるさととなってゆくわけで、それをひとつの地方再生策としてフレーズが生まれているようだ。このことについては、どちらかというと批判的にいままでも触れてきた(「年代格差をどうみる」「今住んでいる人たちのために」など)。

 わたしにとってのふるさととはどこなのか、というその範囲もかかわってくるのだが、たとえばわたしのように長男ではない人間が、住処を求めて出生地とはことなる現住所(出生地とはそれほど離れていない隣町)に住処を求めた場合、その場所がふるさとなのか、それとも違うのか、ということになる。県外に出た際に、もし「ふるさとはどこですか」と聞かれれば、長野県と答え、もう少し詳しく言うのなら伊那谷と答えるかもしれない。ということは、出生地も、その後に住処を構えた現在の地も、「ふるさと」ということになるのだろうが、自分にとってのふるさとは、やはり出世の地であるごく限られた空間のように思うのだ。このあたりの捉えかたは、まさに人それぞれとなるだろう。合併にも何度も触れているが「塩見岳」でも触れた静岡市のような大きな市の中で、大井川の奥の人が静岡市内に出てきたら、きっとふるさとは静岡市とは言わずに、もっと限られた場所を意識すると思うわけだ。人との会話の中で、きっと自ら答えるふるさとは伸縮自在なのだろうが、こころの中で捉えているふるさとは、それほど伸縮するとは思えないがどうだろう。

 「農村の危機と文学」という信濃毎日新聞文化欄の特集に、「農民文学」元編集長の南雲道雄氏が「浮遊する『ふるさと』」を1/20朝刊に書いている。山古志村のことに触れ、「歴史と伝統、具体的には耕し続けてきた棚田や段畑、養鯉、そして村民の楽しみとしての闘牛などが『ふるさと』の実質であろう。村の人たちは避難生活の不自由の中で、この「ふるさと」の尊さを改めて認識した」と全村民が避難した際の村民の言葉から記述している。南雲氏も団塊世代呼び込みのフレーズに触れて、「自然を含む人間の生存の歴史、人生の哀歓を包み、さまざまな文学の主題となり、詩歌に詠み込まれてきたこの言葉(ふるさと)が、本来の意味を失い、軽んじられ、経済社会の表面で浮遊しているかに見える」と述べている。まったく同感である。定年帰農にしてもグリーンツーリズムにしても、壊滅的な農業農村を「モノ」として捉えているようで、わたしにはもっと奥深いものだと思うのだが、それが先進的なごとく紹介されることはまったく納得いかないのである。

 ふるさととは、変化して当たり前で、久しぶりに訪れたふるさとが、どう見えるかによって自らの人生の一こまがどういう位置にあったかを意識する。変化せずにいれば、時の経過を感じずにすんなり現在に飛び込むことができる。いや、できたとしても、そこにある顔が変わっていたとしたら躊躇するかもしれない。しかし、その場面場面が自分にとっての物語となるだろう。あまりの変化に躊躇して飛び込むことができなくても、またそれが自分にとってのふるさとのイメージ化になる。そんな対話がある場所が「ふるさと」だと思うのだ。
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