Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

外食をとるなら諦めろ

2007-01-28 01:59:29 | ひとから学ぶ
 JR東日本系列のホテルメトロポリタン長野で、宴会やレストランで客に提供した冷凍キャビアや冷凍うなぎなどの一部が賞味期限切れだったというニュースが流れた。探せばこんな話題は山ほどあるから、いい加減にしたらなんて思うが、このニュースを聞いていて、興味深かったのは、それらの材料が中国産だということだ。外食産業の材料なんていうのは、今や中国のものがほとんどなのかもしれない、なんて思わせたりする。学校給食なんかで「地産地消」ということをよく聞くが、銭儲けともなれば、そうはいかない。安い材料でいかに稼ぐか、ということになる。○○産なんていう掲示をしても正しいとは限らない。ましてや、そこらの食堂で口にする食材が、どこの産のものなのか、なんていう表示はないし、食べる側も気を使っている余裕はない。工業製品同様に、コストをいかに下げるかというところがこの国の正しい指標となっていて、そういう視点で消費者は選んでいる。加えて食べ物なんだから、美味しさが一番で、食材のことは二の次、不二家問題も起こるべくして起きたものかもしれない。

 「生活と自治」(生活クラブ事業連合生活協同組合連合会)の11月号に、『食べ物を「自治」できないニッポン』という特集がある。できるだけ国産の農産物を購入しようと意識している人は多いのに、なかなか自給率はあがらない。想像がつくとおり、食材を提供する食品産業によるところが大きい。記事によれば、総菜業界での2003年の国産シェアは、野菜は63%、魚介類51%、肉・乳製品類57%という。外食はもちろん、総菜などを含めた食の外部比率は42%もに達するという。「好きで輸入食材を使っているわけではない」という食品業界の言い分では、農家の高齢化により安定した契約産地を維持できなくなっているのが要因ともいう。高度成長、そしてニーズの多様化、といった現象の中での国民の経済感覚は、買ったほうが安い、という意識を生み、必ずしも自らが作ることを重要だと思わなくなった。それはこと食材に限ったことではなく、さまざまな専門屋が業として成り立つようになった。長い間のそうした社会構造の変化は、元に戻せないほど多様化してしまっている。たとえば食材の国産比率を高めるには、農業回復が必要だが、いっぽうで食品業界の低下を招くかもしれない。どこかに変化を求めれば、どこかで泣く人たちも出る。それは解りきったことではあるが、そんなかけ引きがあちこちにある。利潤を求めればこその現象である。今や農家であっても、食材のほとんどを自ら生産する、ということはなくなった。どれほど1年の間に食材を購入しているか、そんなデータを見てみたい。とくに野菜、あるいは主食である穀物類の外部比率である。リンゴ農家のどれだけが米を作っているか、また野菜を作っているか。畜産農家のどれだけが野菜を作っているか、などとつきとめてゆけば、すでに農家は特化していて多様な「何でも屋」ではなくなっている。家庭菜園を持っている町中の非農家の方が自給率は高いかもしれない。

 ということで、外部に頼っている以上は、外国食材を知らずに口にすることは当たり前で、外食に頼っている人は、さらにその比率は高まるだろう。「外食をとるなら、怪しいものを口にしても仕方ない」という諦めが必要である。
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