Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

温暖化の現実的な話

2007-01-11 08:11:12 | 自然から学ぶ
 世の中の流れに、なかなかついてゆけなくなった、と実感することは、歳を重ねるとますます多くなる。加えて買い物が好きではないし、ものを買うということに興味を示すほど、銭の余裕はまったくない。かつて行動していた場面に、久しぶりに身をゆだねてみると、周りに同じような視点でいる人たちの雰囲気が変わっている、なんていうことはよくある話である。そして、必ずしも世代が違っているわけでもないのに、顔が大きく変化したわけでもないのに、自分だけがどこか昔から前進していないことを認識してしまう。そんなことがあると、もうこういう場所には自分の足を踏み入れる場所はない、なんて思ったりして、どんどん後ろ向きになってしまうが、仕方ないことである。

 話は変わるが、近年けっこう雪は降るのだが、自らが着ている服装に変化がある。昔買った冬の服が、冬中タンスの中に納まったまま、春を迎えてしまうのだ。たまに使ってみようとタンスを開けていると、妻が言うのだ「1回きり着るんだったら、何度か着ている服にして」と。だいたいそう言われるのは、セーターを着ようとした時である。ウール100%となると、1回着てもクリーニングに出さなくては、次のシーズンに備えられない。だから1回きりの利用だったら「止めて」ということなのだ。なんと貧乏性なのか、と思われるが、それが事実だ。だいたい、ずいぶん昔のセーターなんかを何年もタンスに眠らせていることじたい、貧相な話に聞こえる。まあめったに着ないから、良いものを買って、使うときだけ使う、というスタンスは、貧乏人がそこそこの値打ちものを利用する策ではある。

 と、そんな貧乏性の話は余談であって、そんな1回使うかどうか程度のセーターを、かつて何着も買ったものだが、近年はまったく利用しない。かつて使っていたころは、どんな服装をしていたのか、と思い出してみると、今とさほど変わりなく、セーターだけよけいだったのだ。そう考えると、歳をとって寒さを感じなくなったのか、ということになってしまうが、つまるところセーターを着るほど寒くなくなったということではないだろうか。そんな地球温暖化の現実を身をもって感じているのだが、先日あまり足を運びたくないイーオンに行って下着売り場をのぞいた。するとウォームビズ向けというコーナーがあって、温かそうな下着が何種類も並んでいるのだ。むかしのラクダの股引なんていうのと違って、若い人にも受け入れられそうなタイツを売っているのだ。現場に出ることの多いわたしなんかには、ちょっと気になる下着なのだが、さすがに値段がいい。欲しいな、と思っても考えてみれば、セーターも利用しなくなったほど、世の中は温暖化で暖かくなっている。そこまでして寒さ対策をするほどでもないか、と思って手を出すことはなかった。世の中、技術的な進歩もあって、さまざまな障害に対しての策は、金さえ出せば何でもある時代になった。でもこと寒さ対策に至っては、これほど地球が温かくなっているのに、みんな気を使いすぎ、いや、商売に乗っかっているのか宣伝文句が多い。家の構造なんかもまさにその策にはまっている。いかにお客さんを増やすか、ということになると、どうしても人間は退化してゆくような路線に乗ってしまう。温暖化傾向なんだから、違うところに目を向けるべきかな、なんて思うのだが、身にしみることにどうしても目は行ってしまう。仕方ないか、とは思うが、よーく考えてみると、そんなに気にすることはないのに、と思う事がらは多い。
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