Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

消えなかった村②

2007-01-14 09:22:34 | 歴史から学ぶ
 平成17年3月31日、彦根市・豊郷町・甲良町・多賀町合併協議会は廃止された。1市3町での合併が模索されたわけであるが、破談となったわけだが、平成の大合併を彩る地図で見た際に合併されずに白いまま残っている地域は、けっこうこうした破談というケースは多いのだろう。滋賀県なんかは、ほとんどの地域で合併が進んだようだが、白く残る地域にはそうした背景がありそうだ。この1市3町の合併が破談にいたった理由をみてみると、平成16年2月に協議会として実施した市町村合併住民意向調査において、合併の基本的項目、住民サービスの内容、住民負担の内容、新市まちづくり計画の4項目について住民の意向を聞き、その上で1市3町か合併することについての住民に投げかけたものの、彦根市においてはすべての項目にわたって評価をもらえなかったという。それを踏まえて彦根市長が合併断念を表明したといい、ようはイニシアチブをとっていた彦根市の一人相撲だったのかもしれない。今回触れる甲良町においても合併協議会廃止の議案提案において、町が合併の必要性を彦根市に対して説明してきたのか、と問われたりしている。彦根市民が、あるいは市長も含めて合併は不要だ、という意識がどこかにあったのかもしれない。合併をしたいと思ってもできない自治体がけっこうある。ようは合併相手がダメというなら、数の上では喧嘩にならないわけだ。彦根市より面積の大きい多賀町を含むということは、けっこう広範な行政域へ変化するわけで、不安な面があって当然である。

 観光パンフレットからこの「消えなかった村」というテーマを展開しているのだが、実は甲良町単独のパンフレットは、これを集めた昭和55年ころにもらえなかった。単独のものがあったのかどうかも不明であるが、手元にあるパンフレットは、「湖東三山とその周辺」という3町共同のものである。その3町とは、愛知郡秦荘町、同郡愛東町、そして犬上郡甲良町なのだ。湖東三山とは天台宗の三山、百済寺(愛東町)、金剛輪寺(秦荘町)、西明寺(甲良町)のことをいう。近江文化の象徴とも言われる湖東三山。その三山がたまたま三つの町にまたがっていたわけだが、このパンフレットを見て思ったのは、きっと湖東三山といわれるほどの地域なんだから、今ではそれらは合併して一地域になっているのだろう、というイメージを持っていた。ところが、郡が異なるように、甲良町は現存する。その理由は冒頭に触れた通りだが、実は、合併後もこの三つの地域は自治体が別なのだ。愛東町は現在の東近江氏市、秦荘町は愛知川町と合併して愛荘町に変化している。それぞれが別の自治体として歩んでいるわけだ。もちろん、この地域のことを詳しく知っているわけでもないわけで、どういう地域性とつながりを持っていたかは知らないが、以前より湖東三山というイメージを持ち合わせていたわたしには、ちょっと意外にも思ったわけだ。パンフレットはB6版の変形で12ページ立てである。湖東三山を扱っているのだから、もちろん内容は、それぞれの寺のことである。そしてその周辺の古刹や民芸、自然を扱い、最後に略図を載せて締めている。その図だけ見ていると、やはり三者は鈴鹿山脈の西麓に展開する一連の地域のように見えてくる。

 甲良町は、面積 13.66平方キロ、人口 8,230人(平成18年4月1日現在)という。藤堂高虎(1555~1630)は、天文24年(1555)にこの地で生まれている。湖東三山のひとつ西明寺を訪れたのは、昭和59年の末である。本堂と三重塔は国宝で鎌倉時代を代表する建物。秋に満開になる天然記念物「不断桜」が知られているが、12月末であったがこのときまだ桜が咲いていた。

 ちなみに湖東三山のホームぺージがある。
  百済寺
  金剛輪寺
  西明寺

 消えなかった村①
 消えた村をもう一度⑮
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