Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

年の瀬の町なか

2006-12-30 08:09:26 | ひとから学ぶ
 世の中はまったくの年末年始状態である。長野市内を歩いても、町中には賑やかな場所があまりなく、人通りは少ない。わたしが人通りの少ないところを歩いているからなのだろうが、そうはいっても町中は人が少ない。ラジオで29日は「苦餅」といって餅をつかない、ということを言っていたが、けっこう知られている話だが、若い人たちにはそんなことはあまり耳には入らない。9という字が良くないから忌み嫌うのだろうが、この日ついた餅はざらざらしたきめの悪い餅になる、なんていうことをいった。「苦」だから、縁起がよくないということになる。年末年始で忙しくしているお餅屋さんは、この日は搗かないのだろうか。店に並んでいる餅は、いつついたものか、よく見れば記載されているのだろうが、果たして「12月29日製造」なんていう餅を見つけることはできるだろうか。あまりに一般的に言われていることではあるが、お餅屋さんはどうしているのだろう、なんていうことを思った。

 最近は杵で餅を搗くなんていう家は少ないだろう。実家ではどうしているのだろう。最近は餅つきにも行かないから、どうしているかは定かではない。お歳暮を届けると、「餅をもっていけや」と言われて餅を包んでくれるが、どうも杵でついた餅ではなさそうだ。妻の実家でも、ずいぶん昔から既に餅つき機になっていた。自家のもち米で、自家で杵で餅を搗くなんていうのも、重要文化財並なのかもしれない。

 さて、昨日は長野市内でも雪が少しであるが積もった。先にも述べたように、仕事納めを過ぎているから、町中を通っても雪をかく人は少ない。少しの雪が圧雪されていたりする。この時期の少しの雪だから、むしろ雪かきをしないほうが解けが早い。人が住まなくなった町中は、雪が片付けられずにそのままになっていることが多い。またそんな嫌な長野市内の冬が始まる。「このマチの人たちは、暮らす空間をどう考えているんだろう」なんていう皮肉な心配をするほど、社会生活が成り立っていない。きっとお役所が人ごとのように高みの見物をしているから、住民だって何もしないのだ。何年も暮らして、そんなことがよくわかった。
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