Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

全国中学校駅伝

2006-12-16 16:53:07 | つぶやき
 ノロウイルスが流行っていて、あちこちでそんな報道がされている。先日忘年会があって、予定していた宿泊場所で前日に感染症の疑いのある胃腸炎の客が出て、その宿が自主的に営業停止にするということになった。宿の方で別の宿を探してくれて、予定通り忘年会は開催できたわけだが、そんな忘年会の最中の事件が別の場所で起きていた。

 トップニュースではないが、報道されている全国中学駅伝大会の開催地でのノロウィルスの発症である。何もこんなときに、という感想は、関係している人たち全員の気持ちだろう。別ブログでも触れているように、息子は臨時駅伝部員で、中学の駅伝部に参加していた。そして、県大会を二連覇して、予定メンバー全員が調子の良い状態で全国大会を迎えていた。息子は臨時部員ということもあって、当然選手ではないが、応援部隊の1人として、大会前々日になるノロウィルスが発症した時間に地元を出発したところだった。出発したころにはすでに発症していたようで、息子の同級生のところにエースからすでに一報がはいっていたという。息子は携帯なるものを持ってないためか、出発してから何もわが家に連絡すら入れてこない。だから情報すら入らない状態であるが、いったいどうしているのか、なんていうことを妻と会話をしているような状態である。

 仕事が忙しくてニュースすら耳にしていなかったが、自宅へ帰る車の中で聞いていたニュース23によって「まさか」というニュースを耳にすることになったわけだ。「長野6人は入院」という報道に、長野といっても男女あるから息子の中学とは限らない。がしかし、おそらくインタビューを受けていた生徒が男子だったということもあって、息子の中学であるだろう予想はついた。

 今年の中学駅伝の優勝候補は、すべての選手が3千メートルを8分代で走る中学だといわれていた。ほぼそれに近いメンバーで挑める状態で参加していただけに、もしかしたら最初で最後の好メンバーで挑めた大会であったに違いない。昨年は11位。今年は入賞はもちろんのこと、上位入賞を期待されていた。部活のあり方などでさまざまに思うところはあったが、参加する以上は、田舎の小さな町だけに、期待は大きかった。

 全国中学駅伝のホームページがあって、「応援メッセージボード」なるものがある。

 そこに、「田舎町で出場が決まり、彼らの頑張りを聞いておりました。今回このような形で欠場となった選手の気持ちを思うと、かける言葉がありません。私が疑問に思うことはこのホームページではそのことに一切触れられていないようです。欠場せざるをえなくなった7チームの選手、関係者に充分な配慮はあったのでしょうか?もっといえば、何らかの形で、全校出場の開催はできなかったのでしょか?現場にいるわけではないので、すべてを把握してはいないのですが、ただこのホームページからは、一番の被害者、生徒にたいして無情としか感じとれませんでした。」

 というようなメッセージがあるように、大会関係者の配慮がどの程度あったのかはまったく情報がなくわからないわけだ。確かにそのページに欠場校があったことなどがまったく触れられていない。「無事終了」なるタイトルがあると、不愉快に思う人は大勢いただろう。前代未聞の大会になってしまったにもかかわらず、そこには「天と地」ほどの差があって、まさにそこにかかわった者としては残念でならない。

 さらに、「琢磨君お疲れ様でした。よくがんばったね!!今回走れなかった人達のことを思うととても悲しくなります。それにしても、大会本部の判断はこれでよかったのでしょうか??今回のことは事故ですが予定通り行ってよかったのでしょうか??
私は延期にしてほしかったです。選手の人たちはなんにも悪くないのに・・・。いまさらこんなこと言ってもしょうがないですがこの判断に疑問が残ります。」

 というメッセージは、おそらく近在の方のもので、ただひとり走ることができる状態であった補欠メンバーだった松下君が1区を完走したことへのものである。こんな状態でありながらも来年のために経験を、という気持ちもあって参加はしたものの参加選手中最下位という結果に終わった。

 日刊スポーツによると、「山口市で16日行われた第14回全国中学校駅伝大会で、選手が感染性胃腸炎の症状を訴えていた男女計7チームが棄権した。」ようだ。長野からも遠いが、棄権した青森や山形といった遠方からの参加者は、残念でならなかっただろう。参加はしたものの発症した北海道の中学もほかの中学よりだいぶ遅く最下位でおわった。もちろん最下位に連なるチームは発症したといわれたようなところばかりである。1区を走ったのは45チーム。このうち長野は1区で辞めたから、最後まで走ったのは44チーム。退院はしたものの、宿泊場所がなくて「待機」なんていう状態だったようで、無念はもちろんだが、大変な経験をしただろう。この経験を大きな経験として積み上げていって欲しいが、エース2人には、次の都道府県対抗駅伝がある。それに向けて調整していってほしいが、ほかの選手にはこの大会は今年最後の大会であっただろう。まさに残念!。万全ではなくともチームとして走らせてあげたかったものだ。
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