Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

クマと出会ったら

2006-12-07 08:10:36 | 自然から学ぶ
 「伊那谷の自然」の最新号では、〝人里にクマが出る〟を特集している。一般的にも言われているように、①人里に接する地域まで生息域を広げているという事実と、②奥山での餌不足が今年の出没の要因だという。ただ、①の生息域の拡大は、今年だけに限ったことではないだろうから、主な要因は②の餌不足ということになるのだろう。中条村でも言っていたが、昨年の場合は確かに餌が山にあったようである。そういう意味では②の要因は大きい。

 ①について岸元良輔氏は、奥山が広範囲に伐採され、カラマツの植林地に変わったいっぽう、人里周辺にコナラやミズナラといった林が育ち、かつてとは住居地域と山の位置関係が変化してきたと説明している。ようはクマの好む空間が人里近いところにある、ということが人と接する機会を増やしているということになるのだ。また、果樹が分布する耕作地について、そうした実がクマにとっては「天国」のような空間となっているという。ただ、果樹については、だいぶ県内でも耕作面積が減ってきていて、むしろかつての方が盛んであったともいえる。そのかつてがいつの時代か、ということにも関連するが、おそらくクマの出没が多くなってきたころには、すでに果樹は減少し始めていた、というのがわたしの印象である。もっと以前、果樹以前の時代なら、確かに桑の木が一面だっただろうから、クマの天国とは言いがたかったかもしれない。そう言う意味では、米の生産調整が始まった昭和46年以降の耕作地と山の変化の結果と、一言にいってしまえば納得はできるが、ではなぜ今年これほどまで、ということの回答にはなっていないのである。

 伊那市の経ヶ岳山麓にやってくるクマのことが書かれている。スイートコーンを目当てにやってくるクマは、時期になると毎晩欠かさずやってきて、熟すのを確認すると言う。そして収穫しようと畑に行くと無残な状態を目にするというのだ。まさにこちらの思いが悟られているようなのだ。食べごろをしっかり把握する術は、人より野生の動物の方が長けているという証明にもなる。「手間をかけて育て収穫に至った作物を、クマに食べられてしまうのは悔しい。でも、たとえばこういう形でも、裏山にひっそりと暮らすクマと自分が接点をもてたことはうれしくもある」という考えは、本気に生産物で生きようとしている人には「とんでもない」と言われそうだが、そういう考えを持つ人もいる。しかし、ひっそりと暮らすクマなのかどうかはわからない。「恐ろしいクマ」と形容する人は多い。むしろ「丹精こめたナシがやっと収穫できると思ったとき、食い荒らされると全くごうがわく。自然保護とか愛護とかいうが、生活のかかっている農家にとってはクマを守るなんていう気持ちには、とうていなれない。サルもそうだし、イノシシもそうだ」という高森町の果樹農家の言葉の方が解りやすい。

 ところで、クマに遭ったらどうするか、なんていう囲み記事がいくつか紹介されている。クマよけスプレーというものがあるらしい。一本一万円ほどするというが、スポーツ店なんかに売っているというところがおもしろい。豊丘村の筒井さんという方は、このごろ毎年クマと遭遇するという。クマと出会ったら、ある程度距離があったら動かずにじっとしていて、クマの立ち去るのを待つという。近い場合は目をそらさないようにして、その場から少しずつ離れるといい、これもよく言われている方法である。また、そんな時に「おまえ何してるのよ」「ちょっと待っとれよ」「写真撮ってやるでな」なんて話かけていると、そのうちにクマの方から逃げてゆくという。なーんだ、友だちだと思えばよいだけだ、なんてね。
コメント


**************************** お読みいただきありがとうございました。 *****