不適切な表現に該当する恐れがある内容を一部非表示にしています

Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

年末総会から

2006-12-26 08:15:32 | ひとから学ぶ
 の年末総会が開かれた。2年前まではこの総会が年度末総会として開催されていたが、今は年末総会である。簡単に言えば、忘年会のようなものである。年度末に行なう総会で忘年会をするというのなら、まだなんとなくであるがそれらしき雰囲気があるのだが、最近は年度の枠が大きくなってきて、暦上の一年の区切りはあまり意味をもたなくなってきた。まもなく正月というのに、わが家にはそんな雰囲気はまったくない。それもわたしが忙しくしているからよけいにそうなっているのだが、息子も進学の年だというのにまるで真剣みがなく、机に向えば寝てばかりいて、母との口論が絶えない。たまに帰った自宅なのだから争い事は止めてほしいと思うのだが、あまりにのんきな息子に期待するばかりの母が空回りをしている。こちらも、忙しくしているのだが、そんな争いごとをしていると気になって何もできなくなる。だからますます家庭の中は暗くなる。それもこれもわたしが単身赴任しているせいだとはいわないが、難しい時期に近くにいてあげられないわたしの責任でもあるのだが、こちらもとても余裕がない。ダメだ、というと沈んでゆく息子を見ていて、なぜにもっと自分のために考えられないのか、とこちらも悩んでしまうわけだ。それを毎日やっている妻はもっと悩んでいるのだろうが、なかなか上手くはゆかない。

 とそんな思いをしながら総会に参加している人たちの顔を見ていると、総会の意義はわかっていても先々この地域がどう生きつづけていくのか、という部分は不安ばかり、といった雰囲気がある。さまざまな常識を変えてきたことが、果たして良かったことなのかどうか、そんな疑問を持っている人はそうはいない。なによりこの時期に年末の総会が行なわれるのなら、やはり年度はここで変えてほしいものだ。ところが強い行政指導によって年度は行政に合わせられた。さまざまな考え方があってよいはずなのに、どうも統一した流れに進むのが常識だ、という流れが出来上がってしまっている。けして否定できないものではないのだろうが、住民のなかにもそれほど今までの流れを真剣に考えている人はいない。だから役所が勧めるのなら、という程度に人々はどんどん流れてゆく。異論はあってもその異論が表に出ず、出せば出しただけ反発が多くなってきてしまう。住民参加といいながらも、役所とは勝手なもので、責任回避ということについては役所に勝てる団体はない。だから参加する人は限られてくるし、多くの住民の言葉を聞いているようで、実は昔以上に少数意見によって自治が動いているようにも感じてくる(すべてではないが、そう感じざるを得ない、ということ)。田舎であればあるほどにそういう傾向もある。

 とそんなことを考えていても、わたしにはどうにもできない事実である。余裕が欲しいと思ってもそれはないし、ただただ回りに流されて行こう。そんな気分である。多くの地方の人たちが、そんな雰囲気にのまれているのではないだろうか。
コメント


**************************** お読みいただきありがとうございました。 *****