今夜はサントリーホールにて広上淳一指揮、新日本フィルハーモニー交響楽団の演奏会を聴いた。
まず第一に再認識した事は、コンサート・ホールも重要な “楽器” であるという事実。
サントリーホールはそりゃもちろんウィーンのムジークフェラインザールにはだいぶ劣るだろうが、国内有数の響きの良さだと再確認した。
昨日の東京芸術劇場は正直 「楽しめないホール」 だ。僕が聴いた座席は普通に考えると “スウィートスポット” に近い位置だった筈なのだが、ホールのそもそもの響きの薄さもあり、直接音の比率が高すぎて長時間聴く気になれない。
今になって思えば、昨日の第三楽章が必要以上に安っぽく聞こえたのは音響的なものが大きいのかもしれない。
アコースティックばかりではない。
建築物としての美しさ、居心地の良さ・雰囲気、シートの座りやすさ、言うまでもなく全てにおいてサントリーホールが圧倒的に優れている。これらは音楽に対峙する気持ちにも大いに影響を与えるのである。
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さて、広上淳一の指揮、そして新日本フィルの演奏は初めて聴いたのだが、なかなか良かった。
昨日のコバケンとは異なり、第一楽章は基本的に抑え目のテンポで丁寧に綿密に、ときに激しい葛藤を繰り広げる、といった、緩急自在の表現。理想的、とまでは言わないが、それなりに雰囲気は出ていたように思う。
第三楽章も、僕が期待したい雰囲気はある程度醸成されていたように感じた。コバケンの場合はともすると一本調子になりそうな演奏になってしまっていたが、弦セクションの力量の差もあるのだろうか、今日は比較的繊細な音が聴けた。もちろん、もっともっと繊細でしなやかで、かつまろやかな音を期待したいところだが、それはウィーン・フィルかロイヤル・コンセルトヘボウに任せるしかなさそうだ。日本のオーケストラとしては悪くないレベルだったと思う。
第四楽章はコバケンの表現の方がこの楽章に合っていると思った。緩急自在のコバケンに対し、スムーズな流れを重視する広上、といったところか。しかし、相手がコバケンだからスムーズに感じただけであって、今日は今日でこの楽章の特色をよく浮き彫りにした名演奏だったと思う。
あえて勝敗を付けるとすれば、ホールの良し悪しも含めて、広上淳一 & 新日本フィルの勝利ということになろう。
まず第一に再認識した事は、コンサート・ホールも重要な “楽器” であるという事実。
サントリーホールはそりゃもちろんウィーンのムジークフェラインザールにはだいぶ劣るだろうが、国内有数の響きの良さだと再確認した。
昨日の東京芸術劇場は正直 「楽しめないホール」 だ。僕が聴いた座席は普通に考えると “スウィートスポット” に近い位置だった筈なのだが、ホールのそもそもの響きの薄さもあり、直接音の比率が高すぎて長時間聴く気になれない。
今になって思えば、昨日の第三楽章が必要以上に安っぽく聞こえたのは音響的なものが大きいのかもしれない。
アコースティックばかりではない。
建築物としての美しさ、居心地の良さ・雰囲気、シートの座りやすさ、言うまでもなく全てにおいてサントリーホールが圧倒的に優れている。これらは音楽に対峙する気持ちにも大いに影響を与えるのである。
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さて、広上淳一の指揮、そして新日本フィルの演奏は初めて聴いたのだが、なかなか良かった。
昨日のコバケンとは異なり、第一楽章は基本的に抑え目のテンポで丁寧に綿密に、ときに激しい葛藤を繰り広げる、といった、緩急自在の表現。理想的、とまでは言わないが、それなりに雰囲気は出ていたように思う。
第三楽章も、僕が期待したい雰囲気はある程度醸成されていたように感じた。コバケンの場合はともすると一本調子になりそうな演奏になってしまっていたが、弦セクションの力量の差もあるのだろうか、今日は比較的繊細な音が聴けた。もちろん、もっともっと繊細でしなやかで、かつまろやかな音を期待したいところだが、それはウィーン・フィルかロイヤル・コンセルトヘボウに任せるしかなさそうだ。日本のオーケストラとしては悪くないレベルだったと思う。
第四楽章はコバケンの表現の方がこの楽章に合っていると思った。緩急自在のコバケンに対し、スムーズな流れを重視する広上、といったところか。しかし、相手がコバケンだからスムーズに感じただけであって、今日は今日でこの楽章の特色をよく浮き彫りにした名演奏だったと思う。
あえて勝敗を付けるとすれば、ホールの良し悪しも含めて、広上淳一 & 新日本フィルの勝利ということになろう。