夢のもつれ

なんとなく考えたことを生の全般ともつれさせながら、書いていこうと思います。

ジャパン・レクイエム:Requiem Japonica(42)

2005-10-21 | tale

 東京から帰ると宇八は、『アニュス・デイ』の構想をまとめていった。弦楽五部と通奏低音のオルガンだけなので、そんなに複雑なことはできない。独唱と合唱に工夫をすることにした。かつて親戚の新年会でやった十字形の配置を思い出した。これは、シュッツも『音楽のお葬式』の演奏で推奨している配置でもあった。教会の場合の奥、祭壇のある方にソプラノの独唱を置き、そこから反時計回りにアルト、テノール、バスと配置する。合唱は祭壇に向かって右が男声、左が女声である。この配置の下、3行とも共通の前段の歌詞、「世界の罪を消し去る神の小羊よ」をバス、テノール、ソプラノが順次歌っていく。つまり左側(心臓側と言った方がいいだろうか)のアルトは沈黙したままである。後段の「彼らに安息を与えてください」は男声合唱が歌い、三行目の「永遠に」の部分で、女声合唱も独唱も参加したフーガとなり、四方から響くという趣向である。この最後の語句はいわば独立した七番目の部分として取り扱われているのであった。通奏低音部(オルガンとコントラバス)は、HABE ADの音型を終始刻む。もちろんこれは”Ich habe Agnus Dei.”(私は神の小羊を抱く=私にはキリストがいる)という意味である。
 こうした基本構想を得て、作曲は順調に進められていった。ほとんど考える必要はなかった。書き直しもほとんどない。曲が手を触れられるような形でくっきりと見えていて、それを音符に書き留めていくだけのことだったから。……

 あともう少しで書き上げられるかという日曜日、宇八がさっぱり行かなくなったミサから戻って来た栄子が少し緊張したような顔で、「神父様があんたに会いたいって言っているの」と言った。いやな予感がする。来週にするかと思ったが、気になるのでその日のうちに教会へ行った。栄子もついて来る。まだミサの時の服装のままのルーカス神父が現われた。

 神父は言いにくそうに話を始めた。この間の上京の時に不意にいなくなってしまったのはまずかった。植村も(夕食の約束をしていた)安田や椎名も、ああいう常識はずれの行動をする人物の支援をする気持ちが薄らいでしまった。その次の打ち合わせで、その話をついうっかりと植村が周囲に漏らしてしまったところ、プロモーターも思いの外、深刻に受けとめてしまった。……
「まあ、身から出た錆ですな。それで神父さんのお考えは?」
「わたしとしても残念です。羽部さんは大丈夫ですか?」
「上演の中止ですか? それとも……まあ、どちらも大丈夫でしょう。レクイエムはもう少しで完成できそうですし、上演はやれればいいかな、やれなければそれだけのことってくらいの気持ちしかないですから」
「そうですか。そうなのかもしれませんね。……ただ上演するために羽部さんにいろいろと耐えていただかなければならないことがあったと思います。そうしたことにできれば我慢していただきたかったというのが。……あ、でもこれは私の立場とは違うのかもしれません。ごめんなさい」
「いや、お詫びしなければならないのは、おれの方でしょう」
 二人の男の話はそれで十分だった。

 しかし、いちばん失望したのは栄子だったのかもしれない。紙に書かれただけの楽譜なんて子どもの落書きと変わらない。それが音になって、初めてきちんとした『形』になる。夫の仕事がやっとみんなに、社会に認められるものになる。実は栄子は、それを強く待ち望んでいたのだった。結婚して30年近く、何か事業を始めてもどれ一つとしてうまくいかない。口ではもういい加減にして、仲林のような地味でもまっとうなことをやれと言い続けていても、あんなに楽しそうに熱中していることなんだから、一つくらい実を結ばせてやってもいいじゃないか。それが意味のあるもの、値打ちのあるものかどうかは、さっぱりわからなかったが。
 そう、栄子は夫の求めているものがなんなのか、理解できたことは一度としてなかった。だが、そんなことは問題ではない、この人生においては。……

 ルーカス神父との会話では、気にしていないようにしていた宇八だったが、それからひと月ほど経った8月の終わり頃、正式に上演中止の連絡を神父から電話で受けた後、宇八は家で酒を飲みながら荒れた。おれが何をしたって言うんだ。あんなところで、あの音楽が響いて、あいつが見えれば、誰だってああなる。いや誰だってあることじゃない。あれは特別なことなんだ。あれに出会えば導かれて行くしかないじゃないか。あれがあったから、おれはレクイエムが完成できるんだ。そのことがその上演を妨げる。音楽の知識をゴミ箱のような耳に突っ込んだ奴らが、おれの音楽の邪魔をする。カモノハシ以下の眼しかないような連中が。……なんて皮肉だ、完璧な逆説だ。

 こんなことを口走れば、夫が変なことを言っていると栄子が思うのも無理はない。いや、いつも変と言えば変だが、今日は様子が違う、興奮して手や脚をバタバタさせたりもしている。怖くなって、こういう時は、ああそうだ仲林さんにと電話を取ろうと立ち上がったとたん、くらくらっとしてお膳に手をついたが、支えきれずに倒れ込み、そのまま意識を失ってしまった。
 その物音に宇八とヘッドホンでFMを聴いていた輪子がびっくりして駆け寄った。救急車だ。叔母さんたちには?まだ早い。……まだってなんだ? 自分で言ってすごくいやな気がする。バカな。早く来ないのか、救急車は。酔いも鬱憤もいっぺんに消えていく。

 アパートの中にどやどやと救急隊員と担架が入って来る。見慣れた部屋が違って見える。狭い救急車の中で、栄子の手を握りながら不自然な姿勢をしていると吐き気がこみ上げてきて、我慢するのに一苦労した。
 古くて地下室のような病院に着く。夜の病院の廊下は、どうしてどれもこれも同じような不吉な白さをしているんだろう。病院の場所を聞いた輪子があとからタクシーで着く。「お母さんは?」、「まだ中だ」、短い会話しかしない。

 当直の若い医師が処置室から出て来る。
「軽い心筋梗塞でしょう。ただ……」
 医者ってのは、なぜ「ただ」って言うのが好きなんだ?
「ただ、この際、よく身体中を検査された方がいいんじゃないでしょうか」
 いやなことを言いやがると思ったが、輪子が聴いているのを意識しながら、尋ねた。
「それは、年も年だから念のためという意味ですか? それとも具体的な徴候なり、症状なりがあるんですか?」
「それはなんとも。……まだ血液検査とか、そういった検査結果が出ていませんから」
 ああそうかい、あんたも数字を読むしか能のない機械なんだなと思った。ちらっと鋭い視線を投げて、床を見る。

 処置室からストレッチャーで運ばれる時に、栄子が小さい声で「大丈夫」と言った。病室のベッドに移された後、まもなく眠ったようだ。その様子を見て、廊下で輪子に、
「今夜、どうこうってことはないってことだな」と言うと、
「お父さん、帰ったら?あたし、ここにいるからさ」という返事が返ってきた。おれだって心配しているからと言いたいところだが、確かに妻に付き添っていて役に立つのは輪子だろう。
「そうか。悪いな」と言って、独りでアパートに帰り、誰もいない部屋、これまで見たことのない部屋に入った。様々な悔いが湧き上がってくる。何、大したことないさと口をついて言葉が出てくる。おい、栄子。おまえは身体が丈夫なのが取り柄だったんじゃないのか。約束が違うだろ。おれは深刻にはならんぞ。ちゃんと検査しろよ。数字を出すんだ、ちゃんとした。……

 栄子は結局、4日間入院して、退院した。次の朝から元気で早く出たがっていたが、検査結果が出るのに日数が掛かったのである。結果は初めに言われたのとほぼ同じだった。その間、達子や光子や欽二が見舞いに来て、花や食べ物でベッドの周りを埋め尽くした。月子も来てくれて輪子を助けて、宇八の食事などにも気を配ってくれた。アパートで二人でテレビを見ている時に、9月中に東京へ行くとだけ言った。


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