4 四月一日に生まれて~Tractus
「このように主、イエス・キリストは御自らわたくしどもすべての罪を御身に担われ、あえてあらがおうとせず……」
ルーカス神父のたどたどしい日本語の説教が質素な教会の中に響いていた。歳時記でそうなっているわけではないが、キリスト教に日本の夏は似つかわしくない。元々クリスマス前の待降節くらいから復活祭頃までが通常の教会の掻き入れ時で、神父によほどの愛 . . . 本文を読む
通常のミサでは、キリエに続いてグローリアが歌われますが、レクイエムでは省略され、司祭が「集禱文」を唱えた後、グラドゥアーレが歌われます。
このgradualeはgradus(階段)から派生した言葉で、祭壇に登る階段のところで歌われたのに由来するようです。こうした典礼の式次第と強く結びついているためか、レクイエムが教会の外に出て、コンサートで演奏されることが多くなり、いわばレク . . . 本文を読む
みゅーじっくばとんっていうのがあるのは、むじかもでるなさんから、自分に回ってきて初めて知りました。要は他人の音楽生活を訊こうということで、バトンを渡された人は5人の人に回すことになっているようです。
回された5人の人が生真面目にさらに5人の人に回していくと、10回目で5の10乗になって、9,765,625人になる勘定です。14回目くらいで世界の人口を超えるでしょう。インターネットに無用な . . . 本文を読む
羽部一家が栄子のやりくり算段でなんとか居候生活から脱し、団地から出て行けるようになった日、童だけが駅まで送って行くことにした。2月の冷たい雨の降る午前中だった。夜逃げの時と同様の3つのリュックサックの上に黒のこうもり傘、薄い紫の傘、無地の赤い小さな傘がかぶさっていて、先を行くこうもり傘の左隣に黒の折りたたみ傘が寄り添っている。
童は、今度はいつ会えるのか伯父に訊きたくて仕方がないのだが、ど . . . 本文を読む
このソプラノ独唱とオーケストラ、オルガンによる「踊れ、喜べ、汝幸いなる魂よ」は、ミラノでカストラートのラウィツィニのために書かれました。この曲は、宗教曲、モテットというよりは、彼自身が多く書いているコンサート用のレチタチィーヴォとアリアとして聴いたほうがわかりやすいでしょう。前回も申し上げましたようにモーツァルトの本質はオペラであり、それは宗教曲を書いていてもなんら変わりません。
レクイエ . . . 本文を読む
72、73年の社会風俗みたいなものを扱います。流行した歌を挙げるのが常道のようなので、まず記しますと72年は「女のみち」、「どうにもとまらない」、「せんせい」、「喝采」、「瀬戸の花嫁」、「旅の宿」、「黒の舟歌」、「出発の歌」で、73年は「なみだの操」、「神田川」、「危険なふたり」、「くちなしの花」、「心もよう」、「草原の輝き」なんだそうです。ほとんど知ってる人も、全然知らない人もいるでしょうね . . . 本文を読む
それから、宇八は甥のところへ時々暇つぶしのようにやって来るようになった。
「伯父さんは、ビートルズとか聴くの?」
伯父が”Eight Days a Week”を口笛で吹きながら、階段を登って(エレヴェータなどないのだ)帰って来ることがあるので、そう訊いてみた。
「聴くよ。おれは雑食だからな」
「そうなんだ。……ぼくもジャンルとか関係なくて、S&Gみたいなきれいなのも、T.レックスみたいな激し . . . 本文を読む
バルトーク唯一のオペラ「青ひげ公の城」(1911年)は、ペローの童話をルカーチの僚友で作家のバラージュが台本化したもので、元々はコダーイ向けに書かれたものだそうです。ペローの原作は次のような内容です。
見るからに醜く恐ろしい、青いひげを生やした大金持ちの男。男には何回か結婚暦があったが、妻たちがどうなったのかは誰も知らない。その男に、若くて美しい娘が、新しい妻としてやってくる。旅に出るこ . . . 本文を読む
1873-74年頃で室内楽の分野で目立つのは6曲ずつのミラノ四重奏曲(K155-160)とウィーン四重奏曲(K168-173)でしょう。その名のとおり、ミラノとウィーンの滞在時を中心に作曲されたものです。この次に弦楽四重奏曲を手がけるのは、ほぼ10年後に3年をかけて完成したハイドンセットですから、いかにモーツァルトの作曲技法がハイドンの影響によって進歩したか、もっと言えば室内楽の歴史全体にとっ . . . 本文を読む
平日の午後、たまたま宇八と光子が二人きりになり、また宇八が出かける様子もなく黙って食卓の前に座っている。彼に言わせれば金もない中年男の行き場などないのでそこにいるだけのことだったが、光子としては何を考えているのかわからない、職を探す気だけはなさそうな義兄に当たり障りのない話をしても、相槌一つがまるで専制君主から賜るありがたいお言葉であるかのような気になってしまうのに疲れ、話題を探しあぐねて「そ . . . 本文を読む
この作品は、ドビュッシーの最高傑作だと思います。あの音そのものが幻想を紡ぎだすような「牧神の午後への前奏曲」よりも、ニュアンスだけでできたようなピアノ音楽の一つの極致と感じられる「前奏曲集」よりも、ましてや音画的な「海」なんかよりは。……最初に聴いたとき、ストーリーも歌詞もなんにも知りませんでしたが、まるで水の中に入っていくような透明な音楽だと思ったものです。
完成されたオペラとしてはこの作 . . . 本文を読む
このオペラ「偽の女庭師」は、前回のシンフォニー第29番が作曲された1774年から75年にかけて書かれたものです。80年から82年の「イドメネオ」K366や「後宮からの誘拐」K384ほども知られていないでしょうし、上演されることは今でも少ないと思います。私は、オペラの良し悪しは音だけではわからないと思っていて、(実演がむずかしいとしても)DVDが普及した現在ではCDだけで評価するのはどうかと思い . . . 本文を読む
3 ソクラテスはいやな奴~GRADUALE
それから5か月ほど経って、羽部宇八は妻の末妹、鳥海光子の住む郊外の団地の六畳間に妻子共々ころがり込んでいる。健闘空しく事業は欽二の予想どおり失敗し、債権者に追われる身となってしまったのだ。
「さあ、今夜夜逃げするぞ」との彼の号令一下、準備を整え、大中小のリュックサックに最低限の荷物を詰め込んだ。幼い一人娘もあたかも「夜逃げ」というのは夜に出か . . . 本文を読む
図書館で借りたDVDです。その昔、「ハイウェイ・スター」をラジオで聴いたとき、そのスピード感と荒々しさにものすごく興奮したものです。それまでこんな音楽は聴いたことがなかったように思いましたし、日本の音楽が彼らに追いつくのに20年はかかると痛感したものです。そのとおりでしたけどw。
このDVDでは、昔のメンバーやエンジニアが”Highway Star”や”Smoke on the Water” . . . 本文を読む
仲林は、これまでも幾度となく話しした話を、今、初めて話すような調子で始める。中国での体験を何回も話していれば、自分では気が付かないうちに中身が変化しているだろうと宇八は思うし、実際のところ欽二自身も赤茶けて埃っぽいその村や吊り上った目だけが光っていた農夫が本当にいたのか最早定かではないのだけれども。
「おまえと会うちょっと前だったのかな……南京から四日行程ほど行ったところだったっけ。見たところ . . . 本文を読む