夢のもつれ

なんとなく考えたことを生の全般ともつれさせながら、書いていこうと思います。

ジャパン・レクイエム:Requiem Japonica(48)

2005-11-11 | tale

 7月になってまた見舞い客が増えてきた。もういよいよ危ないということが口コミで伝わるのだろう。達子、光子、欽二らに加え、正一や昭三も妻を伴って顔を見せた。甥や姪も何人か来た。
「みんな待ちくたびれているみたいね」と栄子はかすれた声で、耳を寄せた達子に言った。達子は返事もできず、笑うとも泣くともつかない顔をしていた。

 その月の終わりには、長崎大水害を初めとする集中豪雨が各地で猛威をふるった。その日、夕方近くから振り出した激しい雨に、栄子を見舞っていた宇八と輪子は家に帰るに帰れないでいた。夕食が終わった後、栄子はうつらうつらしていた。寝顔をずっと見るのは、宇八も輪子もいやな連想が働くのでできなかった。帰ることにして、玄関まで行ったが、すぐ目の前のロータリーに植えられたフェニックスも影しか見えないくらいの大雨だった。傘を差しても腰から下は、すぐにずぶぬれになってしまいそうだ。小振りになるまで待とうと、缶コーラを買って、照明の落とされたロビーに少し離れて座った。57歳の父親と17歳の娘なんて一般的に言っても話すことを見つけるのがむずかしいのである。ましてやこの現状である。宇八は輪子がいないものと考えようとしていた。輪子も……輪子は父親に話し掛けた。
「お父さん、あたし、もしお母さんがこのままダメだったら、東京に行こうと思ってるんだけど。月子姉ちゃんがきてもいいよって言ってくれてて……」
 宇八は娘の言葉に少し驚き、次に娘に見捨てられたと思い、そして若者らしく母の死後のことも考えていることに安堵しなければと思った。
「……うん。それもいいんじゃないか。月子なら安心だな」
「そうだね。ありがと」
 だが、輪子はこう考えていた。お父さんはわたしのことをやっぱりあんまり気にしていない、月子がとても心配してくれた高校を卒業するかどうかという問題すら訊いてくれない。お母さんが死ねばあたしはひとりぼっちなんだ。暗澹たる気持ちで、ぬるくなった缶を少し強く握りしめた。……

 豪雨は明け方近くまで続いた。雨がやんでもあちこちで電車が止まり、道路が冠水していた。父娘は明け方5時半頃の電車で帰った。彼らの乗る電車は間引き運転をしているようだが、動いてはいた。いつも電車の窓から見かける、コンクリートで固められたほんの4、5メートルほどの川が大きな濁流となっているのを信じられない思いで、輪子は見ていた。傍らの父親は見ているのだろうかと思いながら。


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