夢のもつれ

なんとなく考えたことを生の全般ともつれさせながら、書いていこうと思います。

歌物語:月影

2005-12-22 | tale


  大空の 月の光し 清ければ
  かげ見し水ぞ 先づこほりける
            よみ人しらず・古今和歌集


 もしあなたが人生を放り出してしまいたいなら、ウィーンに行けばいいだろう。例えば5月のいちばん美しい季節に来て、さわやかな夏にシェーンブルン宮殿を始めとしたあちこちの名所・旧跡を見て歩き、とても短い秋にプラーター公園の長い並木道を散策し、長くて暗い冬をローデンの重くてあたたかいコートで迎える頃には、この街は観光客に決して見せない顔を現わし始める。どこを見ても石造りの歴史的建造物と言っていいグラーベンから岸辺のマリア教会の方に歩いているだけで、あなたは何の感情も寄せつけない古代ローマ帝国以来の歴史のあるこの街にひょっとすると押しつぶされてしまいそうになるかもしれない。あるいは気取った尖塔の市庁舎前に出ているクリスマス向けの露店で、キャンディやおもちゃや焼き栗やBONSAIが売られているのを冷やかしながら見ていると一時は気がまぎれて、普段は地位やおカネを意識しなくていい日本にいるような気分になるかもしれない。でも、そんなものはどこにもなく、何もできない人間には何も与えられないという、まるでラテン語の格言のようなこの街のルールが徐々にわかってくるだろう。……そうやって3年も経つとすっかり心のやわらかい部分が磨り減らされた自分を見つけるだろう。

 この街にはウィーン生まれとそれ以外のドイツ語圏生まれと東欧から中東にかけてのドイツ語以外を母国語とする3種類の人間がいる。お金の面から言えば金持ちと貧乏人の二通りに分かれる。これらは住む地域や言葉の使い方できっぱりと区分されている。また、プライドの面からは自分のアイデンティティに自信のある人と、自信を持っているように見せようという人と、プライドの持ちようのない人がいる。我々がこれから紹介しようとしている女性は、一応はドイツ語の通訳くらいはできる日本人留学生で、お金はないけれど、自信を持っているように見せている。こんなふうに分類できる人間の場合、住むところは中心部から南西に伸びた、くすんだようなデパートのある大通り、マリアヒルファー・シュトラーセのアパルトマンの5階であり、そこには古い手で柵を開けるエレヴェータで上がるのである。そのフロアに止まった時に大きく揺れても怯えてはいけない。

「それで仕事見つかった?」
「見つかった。でも、それはぼくのバックグラウンドを発揮できるようなものじゃない」
 日本の男なら『いい仕事がないんだ』とか自嘲気味に言うところだが、ゾルはそういう言い方はしない。それは彼だけじゃなくこの街で生きている者はみんなそうで、虚勢を張っているというより、ほとんど思考形態の違いである。
「涼子の方は?」
「バイトだけね。今はオフ・シーズンだから」
 日本で言うカフェオレのようなメランジュに目を落としながら言う。彼らは分離派美術館のそばのカフェ・ムゼウムのほこりっぽい壁の近くで、話し込んでいる。もう信じてはいない夢を語り合う他の多くの若者と同じように。
「19区の仕事くらいってことか。……ピアノは毎日さわっているかい?」
「うん。まあね」
「ピアノはイヌといっしょだよ。毎日さわってあげないとひねくれて言うことをきかなくなるよ」
 あたしがあまり最近、練習をしていないこととなぜそうなのかもたぶん知っていると彼女は思う。
「そうね。でも……」と言いかけて苦笑してしまう。ゾルは指で脅かすように、“Ja! Aber…”って構文をまた使ってしまったことをからかう。ここに住んで長いのに“Nein”って言うのはむずかしい。だからこそ、日本女性は人気があるのだろう。留学生仲間のお相手の男はやさしい、この街に痛めつけられそうなタイプが多い。
「まだ色は使わないの?」
「まだまだだよ。まだ2千枚しか描いていない」
「すごく上手なのに」
「ありがとう。君の言葉はうれしいけれど、まだ全然、線が生きていないんだ」
 彼は市立公園で似顔絵を描くときは別として、自分の作品としては1万枚のデッサンを描いてから、油か水彩を使うと決めている。少なくともそう宣言している。

 こっちに来た早々に涼子は、大学の教授にモーツァルトのソナタを弾いてみろと言われた。1楽章も終わらないうちに、肉というものがついてないような痩せて薄い唇の教授は、冷たく言った。
「技術的には楽譜の読みも肩の使い方も全くなってない。一からやり直しだ。表現上の諸問題のうち一つだけ挙げるとすれば、君はモーツァルトを誰だと思っているんだ?」
 それから毎日、毎日モーツァルトのソナタやファンタジーを弾いた。弾けば弾くほどむずかしくなって、彼女は叱られれば叱られるほどわからなくなって、音は大理石の床に落ちたグラスのようにばらばらになってしまった。……
『あの先生はやめたほうがいいわよ。最近じゃモノになった生徒がいないらしいから』そういう噂を言い訳にして、今の『いいですね。涼子。とてもすばらしい!』と言ってくれる教授に指導教官を変えた。日本人留学生に人気があって、いつも白い髭をいじりながらニコニコしているけれど、決して音を聴こうとはしていなかった。涼子が指導先を変更する挨拶に行った時に、痩せた厳しい教授が少しだけ目を細めて『なるほど』とだけ言った意味がわかったような気がした。

 結局、他の多くの仲間がそうであるように、彼女も日本に帰るつもりもなく、この街で音楽家としてやっていけるわけでもない万年留学生になってしまった。観光ガイドやベビーシッターなんかをやりながら、三十路を前に仕送りを断ることもできずに。
 さっきゾルが言っていた『19区の仕事』というのは、ウィーンの北の森、カーレンベルクの麓に広がる高級住宅地に住む大使館員や大企業の社員のベビーシッターや家事手伝いのことだ。彼らは2年から5年くらいの言わば長いヴァカンスを過ごして帰っていく、けっこうなご身分な方たちで、日本人会の「上流階級」を形作っているというわけである。

 この間、ベビーシッターで行ったのは、新聞社の特派員のお宅で、夫婦そろってシュターツオーパー(国立オペラ劇場)に「くるみ割り人形」を見に行くために彼女を頼んだ。涼子は預かった子どもにハンバーグを作ってやりながら、ウィーンのバレエなんか見たって仕方ないし、お子様向けのクリスマスの演目を3歳の子を置いて出かける感覚がよくわからないと思った。先月の「トリスタン」を退屈で寝ちゃったって言ってたくらいだから、行くこと自体に意味があるのだろう。

「クリスマスはどうするんだい?」
 このゾルの質問は教会に行くのかなんて意味では全くない。そんな若者は都会にはあまりいない。クリスマス休暇をどうするのかということだ。
「地中海に行くお金もないし、高いでしょ」
「じゃあ、一緒にノイジードラーゼーに行かないか? 友だちがキャンピングカーを持ってるんだ」
 ヨーロッパの人間は休暇をたっぷり取る代わりにおカネを使わない。夏休みには何週間もキャンピングカーで出かけ、湖畔で釣りをしたり、自転車に乗ったり、日光浴をして過ごす。2泊3日でハワイなんかに行くよりよほど安上がりだろう。
「ありがとう。それもいいかもしれない。ええ、本当に。……考えておくわ」
涼子とゾルの関係をもう少し立ち入って説明する前に、彼女がウィーンに来たきっかけをご紹介しよう。

 音大を卒業して、故郷の富山に帰って教師になることが決まっていたのに、どんよりとした冬の日本海とまた付き合うのが嫌で、彼女は東京に残ることにしたのだった。かと言ってシティホテルのロビーで軽いクラシックとイージーリスニングを弾くくらいしか職がない。何とか在京のオーケストラに入団できた2年先輩のクラリネット奏者のところに同居したのも、理由は愛情と経済と半々くらいだった。それは別に彼女だけのことではなく、目を凝らして見てみれば同棲にせよ結婚にせよ経済的理由抜きのものは、東京の夜空に見える星のように少ないものである。
 ところが、彼女が正月休みの帰郷を1日早めて日暮里のマンションに戻った時に見たのは、同棲相手の透が他の女と二つ並んだベッドで戯れる姿だった。見てしまった側の涼子の方が逃げ出したくなったのに対し、彼の方は神経質そうに苛立っていた。
「どういうこと?」
「早くなるならメールでもくれればいいのに」
 その言葉でもうおしまいなんだと彼女は思ったが、実はもっと先があった。透がかばうように抱き寄せていたなめらかな肌の持ち主は男だった。いや、股間以外は並みの女、すなわち自分など問題にならないほど美しいと彼女に思わせた。
 透がいたわりながら本当の恋人を帰した後、吐き気を覚えながら詰問する涼子に対し、ソロを吹くときのような顔で、少年のときから自分が同性愛者であること、彼女とセックスし、同棲したのは同情と社会への偽装のためであると理路整然と説明した。……
 親には故郷に帰る前に本場の音楽を勉強したいとか、親しい友人にはウィーンでキャリアアップするんだとか、相手によっていろいろな説明をしたけれど、結局、彼女が無理にウィーンに来た本当の理由は、ブラームスのヘ短調のクラリネット・ソナタを一緒に演奏した彼に同情されるような人間でいたくなかったからだった。

 節約のため、ハンバーガーとコーラの昼食を市立公園で毎日食べているうちにゾルと親しくなったのだが、それ以上の関係もこれからはあるのだろうかと彼女が考えた頃、彼もまた同性愛者であることを告げた。激しい嫌悪感を感じる一方で、自分の内心を悟られたくないため、涼子はこう言ってしまった。
「じゃあ、本当にいい友だちでいられるってことね」
「うん。ぼくもそういうふうに涼子が言ってくれればいいなってずっと思っていたんだ」
 その屈託のない笑顔には嘘はなかった。それからも古くからの女友だちのようにゾルにはなんでも相談できたし、彼も同居している恋人の愚痴を言ったりするのだった。会ったことのないゾルの恋人を涼子は女性だと仮想していて、いつも“sie”(彼女)と呼んで話題にしていた。……

 ハンガリーとの国境に横たわる湖、ノイジードラーゼーには教授を変えた後、ゾルに出会う前にやはり冬に一回だけ行ったことがあった。こうのとりが巣を作ることで有名なのだが、大きな鳥の姿は見当たらず、湖畔の小さな町からは浅い水の広がりが白く光っていた。耳が千切れそうになっているのに湖の周りを独りで歩いていて、森の中に小さな池があった。『あ、見つけた』思わずそうつぶやいてしまったが、それが湖からつながる水脈を見つけたからなのか、深い水の色が自分の心をのぞき込むような気がしたからなのか、今ではないにしてもいつか死んでしまうならここだと感じたからなのかわからない。ただそのとき彼女は次のように思ったし、それは今再びゾルの口から湖の名前を聞いてはっきりと思い出したのだった。――男もピアノもあたしが愛したものは、あたしを不幸にしただけ。いくら受け入れようとあがいても決してあたしの中には入って来ない。ただ滑稽でみじめな気持ちにさせる。まるで月の光が温かさどころか、精一杯その姿を映した小さな池を明け方までに白く凍らせてしまうようなもの。そんなことなら光を宿さなければよかった。たとえそうなると知っていても水面にはあらがうすべもないのだけれど。



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